8月 | 2017 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

幸せになれますように。

8月後半になりました。まだまだ暑い日が続きますが、皆様体調はいかがでしょうか?夏バテしておられませんか?


前回はお経の話をしました。お経と言うと「ありがたいものなのだろうなぁ。」とは思いつつ、「具体的に何を言っているのだろうか?」と思われる方も多いと思います。お経にはたくさんの種類がありますし、宗派によっても読み方が異なったりします。
私もお経を暗誦することは得意ではありません。
そんな私でも覚えられるとても短いお経があります。『四弘誓願(しぐせいがん)』というお経です。
【原文】
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
【現代語訳】
この世に生きる全ての人が幸せになれますように。
際限のない煩悩を無くせますように。
お釈迦様の壮大な教えをすべて学べますように。
最上の悟りを得る事ができますように。
af001bef5383d86cf8d5c97a8edbf547
四弘誓願は佛教を信じる者が行う基本的な4つの誓いです。4つくらいなら、結構簡単にできそうですが、内容を見るとどれも壮大な話でとても実現できそうにありません。
ただ、最初の「衆生無辺誓願度」、つまり「この世に生きる全ての人が幸せになれますように。」というのは、少しであればできそうな気がします。
日本に生きる私たちは、様々な不平不満はあれども、世界の中で見ればかなり恵まれた環境に居ます。こうした環境に感謝して、遠く離れた人々に思いを馳せる。これが私たち誰にでもできる佛様の教えの実践なのだと考えています。勿論、募金をするなどの支援も大切です。しかし、行動に移す人はわずかでも、皆が幸せになれるように願うことは誰にでもできる事だと私は考えています。
本日は、『四弘誓願』について私なりの解釈をお話ししました。

お経を誦む

お盆が過ぎました。皆様はお盆をどのように過ごされたでしょうか?地元に帰省された方、各地へ旅行された方、様々だと思います。

私は、お盆の時期に棚経にお越し下さる僧侶の方々の後ろで、一緒に誦経をしました。
弊社は以前ご紹介した通り、浄土宗西山深草派の総本山である誓願寺様の門前に店を構えております。ですから、浄土宗西山深草派のお寺様に普段から回向をお願いしております。そしてお盆の時期には、弊社に有縁の浄土宗(鎮西派)のお寺様、そして京都市内の臨済宗の僧堂の雲水(修行僧)の方々がお越しくださいます。
【私が回向の時に用いる経本】
DSCF8162
私は幼い頃、月詣りやお盆の棚経で弊社にお越しになるお寺様の後ろで、ずっと正座をして座っているだけでした。祖母が隣に座っており、正座を崩して良い雰囲気ではありませんでした。足が痺れ、「早くお経が終わらないかなぁ~。」と心の中で思っていました。
そんな私が大学生の頃、ある本山様の大きな法要に参列しました。そこでは在家の方々が大きな声で一心不乱にお経を唱えておられました。その光景を目にしてから、私は「お経を声に出して読むことが大切」だと考えるようになりました。
お寺様と一緒にお経を唱えていると、それまでは単なる「音」でしかなかったお経にいろいろと種類があり、それぞれに意味があることが分かってきました。何より、お寺様がどういったお経を誦んで下さっているのかを知ることができ、お仏壇への回向を行う意味が私の中で理解できるようになりました。
「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがありますが、このことわざを誦経する時にいつも頭に思い浮かべてしまいます。


お念珠を片手に経本を持って誦経をする。皆さんも機会があれば実践されるとお経が単なる「音」ではなくなり、案外気持ちが良いものだと感じられるかもしれません。

「東洋」と「西洋」

ここ数か月、季節の行事などに沿った話題でお話を進めてきました。話題に何の脈絡もないように感じておられた方も多いのではないでしょうか?
実は、「自然崇拝」について洋の東西による違いを考えてみようという意図で進めていました。




私の興味関心は、「『東洋』と『西洋』の違い」です。世界は「東洋」と「西洋」だけではなく、イスラーム圏などもあります。ただ、現在の国際秩序形成の中心であった「西洋」と日本が属する「東洋」の違いを理解することは肝心なことだと考えています。
これまでお話してきた通り、日本では自然崇拝を基礎とした神道と大陸から渡ってきた仏教とが習合し、文化の形成基盤となってきました。一方の「西洋」は、キリスト教を基礎として文化が形成されてきました。「西洋」では人間や自然も含めた万物を神が創造したと考えられてきました。ですから、自然に神は宿らず、人間の文化形成に自然崇拝の要素が少ないと言えます。
文化形成の面で「東洋」と「西洋」にとても大きな差が生まれたのは、こうした「自然への接し方」に違いがあったからだと私は考えています。
ec_sanpai-660x350
「西洋」の文化形成の基盤はヘレニズムヘブライズムです。では、日本に限らず「東洋」の基礎となっているものは何でしょうか?私は、自然崇拝と仏教なのではないか、と考えています。
「手を合わせる」という祈りの所作は洋の東西によって違いがありません。「東洋」と「西洋」の文化形成基盤の差が、もしかすると念珠の発展過程に何か関係があるやもしれない。私はそうした関心を持ち続けています。
今日は少し難しいお話でしたが、私の興味関心についてお話を致しました。


(「東洋」、「西洋」と確固付きで表記しているのは、①中東などのイスラーム圏を「西洋」に含めていないこと〔イスラームもヘブライズムの流れを汲むので〕、②一般的な東洋にも東南アジアにイスラーム圏があること、の2点を考慮してのことです。)

ロシアの宗教

「日本の隣国」というと、皆さんはどの国を思い浮かべるでしょうか?中国や韓国を挙げる方が大半なのではないかと予想します。
実は中国と韓国以外に隣国は沢山あります。その中の1つがロシア連邦です。
ロシアというとどのようなイメージでしょうか?ウォッカ、クレムリン、ピロシキ、マトリョーシカなど思い浮かべるものはいろいろあります。今日はそんなロシアの宗教のお話です。


ロシアは国土が広く、モスクワなどのヨーロッパ地域とシベリアなどのアジア地域はかなり離れています。ロシアの国土の東西は約1万Kⅿ離れているそうです。
そんなロシアも10世紀にはキエフ(現在のウクライナの首都)を中心とする小さな国でした。そして、988年にウラジーミル1世によってキリスト教が導入されました。ウラジーミル1世がキリスト教の洗礼を受けたのはクリミア半島のケルソンでのことです。ロシアにおけるキリスト教は、ロシア正教といわれる正教会の一宗派です。
八端十字架】(ロシア正教会で用いられる十字架です。)

Cruz_ortodoxa
日本におけるキリスト教はカトリックやプロテスタントがほとんどで、ロシア正教やギリシア正教などと言っても何が違うのか、あまりよく分かりません。
実は、ロシアにおけるキリスト教は、EUに加盟している国々に代表される所謂「ヨーロッパ」のキリスト教とは若干趣が異なります。
キリスト教導入前のキエフ大公国では自然崇拝が為されていました。具体的には、大自然との深いかかわりの中で、母なる大地のすばらしさ、親子のぬくもり、祖先の霊を崇める、といったものでした。どこか日本の「八百万神」と似通った部分があります。
10世紀当時の政治状況や「文明国」としてキエフ大公国が認められるためにキリスト教の導入が必要であった、という経緯があります。ただ、結果として導入されたキリスト教がロシアの中でそれまでの土着の神々と共存するために変容し、変容させていったのは事実です。その過程が私個人としては非常に興味深く感じました。
前述した土着の神々は、キリスト教における「唯一の神」と「人間」とをつなぐ媒介(仲介者)として変容していきます。例えば、雷神ペルーンは『旧約聖書』に登場する預言者エリアに変わったかのように投影されることがあるそうです。
ロシアの土着宗教(自然崇拝)とキリスト教の関係は、キリスト教を「主」として、そこに自然崇拝の神々の中から当てはまる神だけを当て嵌める形式です。日本の神道と仏教が融合した習合的ではありません。
2014年に生じたロシアによるクリミア併合という問題があります。ロシアにとってクリミア半島はウラジーミル1世の洗礼地ということあり、国民にとっては非常に重要な土地であることが分かりました。また、ソ連という時代を経験したロシアにおいて宗教が無くならなかった理由も少しながら分かりました。


日本に居ると、欧米目線で世界を捉えてしまいがちですが、「隣国」であるロシアのことも学んでみると面白い部分があると感じました。

–41Ncru1vKZL__SX316_BO1,204,203,200_


ロシア精神の源――よみがえる「聖なるロシア」

著者:高橋保行 
出版社:中央公論新社
発売日: 1989/12/10
メディア: 新書

 

安田念珠店

〒604-8076 京都市中京区御幸町通三条下ル海老屋町323

TEL:075-221-3735 FAX:075-221-3730

E-mail:yasuda@yasuda-nenju.com

受付時間:平日(月~金曜日)AM9:00~17:30まで