1月 | 2017 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

「念珠」の「念」について(その1)

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先週は阪神淡路大震災アメリカの新大統領就任の2つの話題から「祈り」を考えてみました。私自身の「祈り」に対する考え方を開陳した上で、今週からは「念珠」について、1文字ずつ考えてみたいと思います。
(弊社がなぜ「念珠」というのかについては、こちらをご覧下さい。)


今日のテーマは「念」です。
「念」を辞書で引くと、仏教用語であることが分かります。
〔仏教用語〕(梵語smṛti)心の働きの一つ。物事をしっかりと記憶すること。また一念というときは時間の単位で、一般に非常に短い時間をいい、十念などというときは、仏教の瞑想の一方法をいう。
『ブリタニカ国際大百科事典 Quick Search Version』(ブリタニカ・ジャパン、2008年1月版)
分かったような、分からないような。。。
私はあまりよく分からなかったので、もう少し調べてみました。
お経の中で非常に短いものに『延命十句観音経』というお経があります。このお経に分かりやすい解説が付された書籍があります。『祈りの延命十句観音経』という書籍で、著者は鎌倉・瑞鹿山円覚寺管長 横田南嶺老大師様です。
(右の画像は千眞工藝謹製の「2016年 日本の心 墨蹟日暦」に掲載された横田南嶺老大師様御寫経のものです。)
この書籍の「念念従心起」の節から引用してみます。
生きる事は息をすること、食べること、出すこと、眠ることにほかなりません。そのことに心をこめることです。
〔中略〕
心が外に向かうのを迷いといい、自分のうちに向けて見るのを悟りと古人は言いました。今一度、こうして見たり聞いたり、食べたり感じたりしているこのものは何か、立ち止まってみたら如何でしょうか。
心あればこそ、いのちあればこそ、ものを見、耳で聞き、舌で味わい、あれこれ思うことも出来ます。その心こそ、そのいのちこそ仏さま、かけがえのない尊いものです。
このいのち、心の貴さに気がつけば、必ずこれは自分ばかりでは無い、まわりの人もみなこのいのちを生きている。人だけではない、庭の草も花も、鳥や獣達も皆この心をもって生きている。この心に自ずと手が合わされます。生きていのちのあること、これほどすばらしいことはありません。
〔中略〕
みなひとりひとり仏心をもって生まれてきている、この仏心の貴さに目ざめることにほかなりません。みな仏心をもった仏さまなのです。

横田南嶺『祈りの延命十句観音経』(春秋社、2014年)122頁~125頁
引用の都合で、省略してしまいましたが、是非ともこの書籍を手に取ってお読みになってください。
この文章(書籍)から、「念」とは「ひとりひとりが今を感謝する心」なのではないか、と私は考えています。
以前、毎日生きていることが膨大な偶然の上にあるのだ、ということを書きましたが、今を生きていることに感謝する、この心こそが「念」なのではないか、と思うのです。
今日は、『延命十句観音経』を手掛かりに、「念」について考えてみました。また次回も「念」について考えてみたいと思います。

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祈りの延命十句観音経

著者:横田南嶺 
出版社:春秋社
発売日: 2014/03/11
メディア: 単行本(ソフトカバー)
参考URL1:http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-14426-8/
(春秋社)
参考URL2:2014年3月10日 新刊「祈りの延命十句観音経」
(居士林だより|円覚寺)

 

アメリカ新大統領と「祈り」

本日、アメリカ合衆国では新たな大統領が誕生しました。新大統領の行動や政策は世界中に影響があり、様々な期待や懸念を持って見守られています。
アメリカで起きた「トランプ現象」を見て、「別の国のことだ。」と思ってしまうのではなく、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
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日本に住んでいる私達は、世界の中では大変恵まれています。水道の水を飲めますし、日が沈んでから街を歩いても命の危険はありません。(当然のことのようですが、日本以外ではあり得ないことです。)コンビニエンス・ストアに行けば食べ物、飲み物が揃います。何て便利な環境なのでしょうか!!
しかし、私達が平穏に過ごす今この瞬間にも世界の中に飢えた人が居るのは事実です。だからといって、私達にも普段の生活がありますから、苦しむその人達の元へ駆け付けて助けてあげることは現実的にできません。では、どうすれば良いのでしょうか?
トマス・ポッゲという思想家が居ます。彼は『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権〔原著題:World Poverty and Human Rights: Cosmopolitan Responsibilities and Reforms〕』という本を書いています。この本では世界の貧困を解決するため、現状分析と解決策の提案が為されています。この本の主張の1つには、先進国の人々が現在のグローバルな秩序を支持することで、遠く貧しい人々への人権侵害をしている、というものがあります。
なかなか難しいです。私たちは、知らず知らずのうちに人権侵害をしている、と言われているのです。そんなつもりはないのに。。。
「自分自身の生活が第一」であることは現実的には致し方ないのです。しかし、利己的になり過ぎず、思いやりの気持ちを持つこと。これが、たくさんの人の集まりである社会を円滑に進める秘訣なのではないでしょうか?
自分だけのこと、自分の国だけのこと、これに固執し過ぎると良い結果はでないのではないか、と私は考えます。
傳教大師・最澄様がおっしゃった「忘己利他慈悲之極」を胸に抱き、手を合わせる一時ひとときを持つ余裕があれば良いのではないか!?
世界の流れが劇的に変わる今、「祈り」の大切さを私なりに考えてみました。

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なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権

著者:トマス・ポッゲ 
監訳者:立石真也
出版社:生活書院
発売日: 2010/03/25
メディア: 単行本(ソフトカバー)
参考URL:http://www.seikatsushoin.com/bk/052%20pogge.html
(生活書院)

阪神淡路大震災の日に

本日は阪神淡路大震災から22年の日です。
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昨年2016年の熊本地震、2011年の東日本大震災、2004年の新潟県中越地震、、、20年以内に限っても大地震は数多く発生しています。
地震を予知できるようになれば被害も小さくできるかもしれません。ただ、先日の大雪も降ることが事前に分かっていましたけれど、多少の混乱がありました。ですから同じように、地震を予知できたとしてもやはり被害をゼロにすることは難しいのかもしれません。(もちろん、気象や地震による被害を減らそうと日夜研究されて居られる方々がおいでになり、そうした方々のご尽力で少しでも天災の被害を小さくできればと私は願っております。)
こう考えると、やはり「祈る」しかないのでしょうか?「祈り」は効果が見えにくいものです。祈ったからといって、即座に願いが叶うとは限りません。では、どうすれば良いのでしょうか?
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この問いに対する答えは分かりません。それでも私は、普段から祈ることが大切だと考えています。祈りを始めるきっかけは人それぞれですが、毎日手を合わせる習慣を作ることが、大変な状況の時に生きている私達を支えてくれるのではないでしょうか?
阪神淡路大震災で亡くなられた大勢の御霊に手を合わしつつ、生きている私達にとっては手を合わせる習慣が大切なのではないか、私はそう思うのです。

松竹梅――日本人と「3」

お正月もそろそろ松の内が明けます。お正月には家の門に門松を飾る慣習がありますが、最近はあまり飾るご家庭が多くありません。
弊社も門松は略し、簡易ではありますが、本店の入り口付近に松飾りをしております。右の写真をご覧頂ければお分かりの通り、竹の上に松が生けられ、梅が垂れております。
門松ではなくても松飾りには必ず「松竹梅」が揃い入っています。「松竹梅」と言えば吉祥を表す象徴ですよね。同時に日本では「松竹梅」が等級を表すものとして用いられてきました。鰻屋さんやお寿司屋さんで、例えば「松御膳」や「梅コース」といったメニューを目にされた方も居られるのではないでしょうか?
等級としては、
松>竹>梅
となります。この等級があるので、松竹梅の全てが揃い入っていても「門“松”」や「“松”飾り」と「松」をメインにして言うのではないか、と私は考えています。(中国から日本に「松竹梅」がどのように受容されてきたのかは、こちらのサイトをご覧下さい。)
日本には「松竹梅」だけではなく、3つの等級を持つ概念がいくつかあります。「真行草(しんぎょうそう)」や「守破離(しゅはり)」などです。
この2つについて、それぞれの等級は、
真>行>草
守<破<離
〔寧ろ、「真→行→草」、「守→破→離」と理解した方が良いかもしれません。この辺りについて現在勉強中です。〕
となります。
「松竹梅」と「真行草」と「守破離」を一纏めにしてしまうことは、それぞれ趣が違うので避けるべきかもしれません。しかし、3段階にランク付けをする概念がいくつも存在することは、もしかすると日本人が「3」段階に分ける考え方に親しみを持っているからかもしれません。
日本人と「3」の関係について、今後も考えていきたいと思います。

お餅の話

新年明けましておめでとうございます。
本年も本ブログ共々、安田念珠店をお引き立ての程を宜しくお願い申し上げます。


新年を迎えて、お雑煮を召し上がった方も大勢居られることと思います。
全国各地のお雑煮にはそれぞれ特色があって面白いですよね。そんなバラエティーに富んだお雑煮ですが、共通しているのはお餅が入っていることです。「お餅には神様が宿る」と言われ、お餅を食べることで神様からの恩恵を得ることができる、という意味が込められ、お正月に食べるそうです。

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実は、お餅が悟りの境地だと説かれたお話があります。『碧巌録』という仏典の第七十七則の本則に以下のようなお話があります。

【原文】
僧、雲門に問う、如何なるか是れ超佛越祖ちょうぶつおっそ の談。門云く、餬餠こびょう
【現代語訳】
偉い偉い高僧であった雲門文偃(うんもんぶんえん)の所に1人の僧侶がやってきました。その僧侶が、雲門に尋ねました。「仏を超え、祖先をも越えるものとは何でしょうか?(悟りの境地とは何でしょうか?)」と。雲門は「それは胡麻餅だ。」と答えました。
(訳文は春見文勝『提唱碧巌録(全自筆)』(私家版、1982年)を参考に私が行いました。)

お餅が「悟りの境地」とは!
お正月にお餅を召し上がった皆さんは悟りの境地に一歩近付いたことになるのです!
このお話の表していることは悟りとは実は身近なところにあるのだ、ということなのです。
野に咲く花や風の囁きなど、身近なことに注意を払えば悟りへの「気付き」を得ることができるのですね。
今日はお餅から悟りについて考えてみました。

※このブログは、多くの方々に念珠、仏教、京都に関心を持って頂くことを目的として、週に1回程度の頻度で更新して参ります。

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