12月 | 2016 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

新年に向けて

クリスマスが終わり、間もなく新年を迎えます。クリスマスツリーから門松へと街の装いが急激に変化するこの1週間は「日本らしさ」を象徴する1週間ではないでしょうか?

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カレーライスにナポリタンそれにラーメン、洋食や中華として一般的なこうした食べ物は実は日本で生み出されたものです。インド・カレーやパスタなどといった基礎となる料理は当然海外から日本に入ってきたものですが、それを日本人の舌に合わせて作り出したのがこうした食べ物なのです。
仏教もキリスト教も、日本で生まれた宗教ではありません。それぞれ、海や陸の道を通って伝わってきました。
仏教やキリスト教が入ってきた当初はそれぞれ排斥されました。仏教を巡っては聖徳太子が皇子の時代に起きた蘇我氏物部氏争い、キリスト教を巡っては江戸幕府によって行われた踏み絵にそれぞれ象徴されます。その後、時間を掛けて仏教やキリスト教は日本文化に適した形に変容し、受容されたのです。それは決して熱心な信仰を強制するものではなく、カレーライスやナポリタンを食べるように、時折接するという姿勢です。まさにクリスマスがその好例です。
日本はこうした「フィッティング能力(社会に適した形に変容させ受容する)」に長けていると言えます。その基礎となっているのが、「八百万神」の思想なのだと私は考えています。どこにでもあらゆるところに神が宿る、この考え方が様々な宗教を受容した理由なのではないでしょうか?
新年を迎えて初詣に向かわれる方も多いと思います。神社で柏手を打つ時、その心は仏様を拝む心と同じであると気付いて頂ければ幸いです。
皆様、良いお年をお迎え下さい。

日本におけるクリスマス

今週末はクリスマスです。クリスマスはキリスト教においてメシア(救世主)であるイエスが降誕(誕生)した日です。クリスマス(Christmas)という単語も分解すると「キリストの〔Christ〕」と「ミサ〔Mass〕(宗教儀式)」という意味の言葉となります。イエスの降誕が最初のミサで、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』で有名な「最後の晩餐」もミサの1つです。
日本では、松任谷由実さんの『恋人がサンタクロース』の影響が大きく、「クリスマス=恋人と過ごす日」という観念が定着しています。本来の意味と現実とが少し離れたものとなっているように思いがちですが、私は日本におけるクリスマスの意味合いの変化は実は共通点があるように考えています。

“恋人がサンタクロース” – 松任谷由実

キリスト教を信仰していない人にとって、イエスは歴史上の人物であり、信仰の対象ではありませんよね。もちろん会ったこともないです(笑)し、感情移入できる対象でもありません。だからこそ、日本におけるクリスマスでは、一番身近な「恋人」を大切にすることに重きを置いているのではないでしょうか?この「恋人」という部分を身近な人、例えば「親」や「家族」に置き換えても差し支えありません。「隣人愛」を説くキリスト教の教えを、最も身近な「恋人」に実践する。日本でのクリスマスは、実はキリスト教の教えを忠実に守っているのかもしれません。(「隣人愛」とは「神様があなたを愛しているのだから、あなたも同じように隣の人を愛しなさい」という意味です。)
日本でのクリスマスは、日本社会で長年培われてきた「孝行」や「思いやり」という考え方によって日本に適した形に変容したのかもしれません。

個性?

本ブログのサブタイトルに「西洋よりも東洋を好む……」と書いておりますが、今日は西洋のお話しです。
新年を迎えると日本でも様々な行事があります。世界的に有名な新年行事の1つとしてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートがあります。詳しくはWikipediaの説明をご覧ください。このコンサートでは、ヨハン・シュトラウス2世の作曲した楽曲を毎年演奏します。曲目に限りがありますから、もちろん重複する楽曲があります。このコンサートの見どころは毎年、著名な指揮者がタクトを振るうところです。日本人では2002年に小澤征爾さんがタクトを振るっています。

Carlos Kleiber – “Die Fledermaus” – J. Strauss – New Year’s Concert 1989

シュトラウスⅡ世 歌劇「こうもり」序曲 小澤征爾 ウィーン・フィル

上に掲載した2つの動画は、上がカルロス・クライバーの指揮のもの、下が小澤征爾さんの指揮のものです。同じ『こうもり 序曲(Die Fledermaus)』なのに、微妙に違っています。楽譜も場所も同じですが、指揮者と演奏者が違うと微妙な差が生まれます。テンポやそれぞれの楽器の音の強弱など、指揮者の楽曲への解釈の違いによって差が生じます。
この2つの演奏の違いから何が見えてくるでしょうか?私は、これこそ「個性」だと考えています。同じ楽譜の曲目を演奏しても全く同じものとならない。これは自明のことのようで、案外気付いておられる方は少ないように思います。
仏教も神道もキリスト教もイスラム教も、教えは違えど信じる人その中身は同じです。各宗教の「個性」を知ること、これも仏教への理解を深めるために必要なことだと思うのです。
今日はクラッシック音楽を手掛かりに考えてみました。

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音楽の聴き方――聴く型と趣味を語る言葉

著者:岡田暁生 
出版社:中央公論新社
発売日: 2009/06/25
メディア: 新書
参考URL:http://www.chuko.co.jp/shinsho/2009/06/102009.html
(中央公論新社)

八百万神

「八百万神」――皆さんはこれを何と読みますか?
私は小学生の頃に授業で「はっぴゃくまんしん」と読んで、恥ずかしい思いをしたことがあります。
これは「やおよろずのかみ」と読みます。「八百屋」の「八百やお 」と「萬屋錦之助よろずやきんのすけ 」の「よろず 」(「萬」は「万」の旧字です。)と理解すれば、納得です。
「八百万神」とは簡単に云えば「日本古来の沢山の神様」という意味です。
伊勢神宮や出雲大社などは神話に出てくる神様がご祭神の神社です。一方で、明治神宮は明治天皇と昭憲しょうけん 皇太后こうたいごう (明治天皇の皇后)をご祭神としてお祀りしており、このように実在の天皇陛下・皇后陛下がご祭神の神社もあります。他にも、八幡神(はちまんしん/やはたのかみ)、稲荷神(いなりのかみ)など、様々な神様が全国各地で祀られています。
学問の神様として有名な「天神さま」(天満宮)のご祭神は菅原道真公です。天満宮は神話に登場する神様や天皇陛下・皇后陛下を祀った神社ではありません。映画『陰陽師おんみょうじ 』で有名になった安倍晴明あべのせいめい を祀っている晴明神社もこうした神社の1つです。神様と言っても趣の違う神様が沢山おられます。
「八百万神」は「自然のあらゆるものに神が宿る」という考え方を基礎にしています。ですから、沢山の神様が居られても不思議ではありません。
手を合わせる時、皆様は誰かを思い浮かべることが多いと思います。日本における「八百万神」は私達の「誰かを思い浮かべで手を合わせる」という意識と近いように感じます。
日本で神道と仏教が融合したのは、こうした意識を仏教が受容できたからかもしれません。

毎日、良い日だなぁ。

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早、十二月。1年の最後の月です。「光陰矢の如し」とは言いますが、時の流れは本当に早いものです。
ここで「時の流れが早い」と言いましたが、そんな言葉を呟けるのも毎日生きているからなのです。これは当然のことですね(笑)。しかしながら、実はよくよく考えてみると大変恐ろしくまた凄いことと言えます!!!
1人の男性と1人の女性が出会い、そこから子供が生まれます。人と人が出会うのも、タイミングが合わないと出会えません。例えば、生まれるのが1年違えば、学校で同級生にならなかった、という事態が起こり得ます。両親が出会った“偶然”、そして私たちがこの世に生を享けた“偶然”、そうした“偶然”の積み重ねで私たちの「今」があるのです。こう考えると、生まれたことは実に不思議ですし、人との出会いも実に不思議です。
「日々是好日」という言葉があります。言葉の解説はWikipediaをご覧ください。簡単に解釈すると「毎日、良い日だなぁ。」という言葉です。ただ、「毎日が良い日」ということの基礎には膨大な数の“偶然”が重なっており、そして「今」があるということ、こうした深い意味がこの言葉には隠されているのです。
人との出会いと別れ、こうした“偶然”と寄り添い、その傍にあるのが念珠です。私たちの大切にする気持ちを十二月に考えてみました。
(右の画像の書は京都・慧日山東福寺前管長・遠藤楚石老大師様が揮毫なさったものです。)

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