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「祈り」を信じて

春爛漫の季節です。昨年の5月1日は「令和」へと元号が変わり、御代替わりを目撃した1日でした。それから1年、こんな状況に日本が陥っているとは夢にも思いませんでした。
御即位を記念して、多くの寺院では「秘仏御開帳(普段は厨子の中に収められている仏様のお姿を拝見できる期間)」が行われる予定でありました。
【石山寺】
【紀三井寺】
【三井寺】
”33年に1度”など次回の御開帳までにかなりの期間が空きますので、是非ともお参りに行きたかった寺院です。ただ、感染拡大が続く中で、こうした秘仏にお参りできなくなりました。残念でなりません。
しかしながら、それ以上に多くの寺院では「コロナ禍が早期に終息するように」お祈りをして下さっています。大変ありがたいことです。
【高台寺】
【金峯山寺】
【円覚寺】
【慈眼寺・塩沼亮潤大阿闍梨】
【醍醐寺】
人類と病は長い間、闘ってきました。そして、その闘いの度に祈りが捧げられてきました。「『祈った』からといって病気が治るわけではない!」と言われればそれまでなのですが、人それぞれに宿る「心」の平安こそが社会の安定につながるのです。私はそう信じています。
自宅に居ても、一瞬で良いから手を合わせてお仏壇、もしくは太陽に向かって感謝の祈りを捧げる、これこそが宗教の原始的な形であり、その形を見直す良いきっかけになると私は信じています。
「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」との言葉通り、これだけの事態は将来の何か良い結果をもたらしてくれるための布石だと信じて毎日祈れればと思います。

見えないけれど祈っておられる

日に日に恐怖心が強くなる今日この頃です。大変な時代を我々は経験しています。
更新をしばらくお休みして申し訳ございませんでした。自宅にいるものの、それでもやるべき事は沢山あり、疎かになってしまいました。
京都の祇園祭の山鉾巡行が中止というニュースに接しました。祇園祭は「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」という名称で古くは呼ばれていました。名前の通り、「御霊」つまり「疫病をもたらす神や疫病による死者の怨霊」を鎮めるために始まったお祭りです。「このような時期だからこそ」という思いはありましたが、やはり感染拡大防止のためには致し方無い判断だったと首肯いたします。
御霊を鎮めるという意味では、比叡山延暦寺が京都に住む者にとって極めて大きな意味を持つ寺院です。「鬼門(艮:丑寅)」の方位は鬼(魔)の出入りする方位と昔から考えられており、その鬼が都に入ってこないように平安京の東北に比叡山延暦寺はあります。
比叡山延暦寺は「鎮護国家(ちんごこっか)」、つまり「国家を守護すること」を大きな目的として長年存立してきました。延暦寺が所領を得ていたのも安定した財源を確保し、それによって「祈り」に集中することが当初の目的でした。ただ、「祈り」に集中せずに武器などを持って「僧兵」となった者もおりました。そして所領を有していたことで時の為政者に反発・抵抗することが頻繁にありました。織田信長の比叡山焼き討ちというのも、こうした反発・抵抗に対する報復措置だったと私は捉えています。
鎮護国家
現在では、比叡山延暦寺において日々僧侶の方々は「鎮護国家」を祈っておられます。特に、千日回峰行を満行された大阿闍梨様たちは比叡山から京都に向かってお祈りを捧げて下さっておられます。回峰の道にある「玉体杉(ぎょくたいすぎ)」という杉は唯一腰掛けることが許された場所として有名です。ここからは京都を一望でき、京都に向かってお参りするには最適な場所だと思います。
玉体杉
しばらくの期間は拝観停止の為、私自身がお参りに伺うことはできそうにありません。しかしながら、私たちが見えない所であっても比叡山の僧侶の方々は日々「鎮護国家」、現在の場合ですと「コロナウイルスの早期終息」を強く念じてお祈りしてくださっておられます。こうしたことに感謝をしながら、私は毎日比叡山に手を合わせております。
何とかこの「見えない敵」を退散させるべく、場所は離れていても皆様で心を一つに念じていきたいと感じております。皆様のご健康が安らかであることを祈っております。

身近なことから

先が見えない情勢になってきました。家に居るのは別に苦ではない性分ですが、気候は本当に良い季節です。
散歩程度の外出はしています。近くへ行くと本当に綺麗な桜が咲いていました。
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新型コロナウイルスさえなければ本当に最高の季節ですね。
もう全員が感染者だと思って行動するしかない状況です。命が一番大切です。皆さんが何とか命を守り、心の底から桜が綺麗と思える来年を迎えられるようお互いに身近なことから予防していきましょう!

集中するということ

危機意識が世間的に高まってきました。自宅で過ごすことがもっと多くなりそうです。
家に居て「集中」して物事に取り組める好機ではあります。しかしながら、この「集中」というのはなかなか難しいものです。私などはかなり気が散るタイプでなかなか集中を持続するのは難しい性分です。
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人の集中力はせいぜい40分くらいが限度と言われます。昔の人は線香の燃焼時間で時間を計っていた場合が多くありました。現在でも坐禅をする際に線香1本が燃え尽きるまでの時間「一炷(いっしゅ)」を目安として坐禅が為されます。
道を究めた高僧の方のお話を伺うと「線香の灰が落ちる音が聞こえた」と仰る方も居られました。どんな音がするのでしょうか?私には到底想像もつかない境地だと思い、驚く以上に尊敬の念を持ったのを覚えております。それからは「集中」という言葉はあまり使わないようにしています。究極の集中状態を体験したことがない私が「集中」などと言っても低レベルなものに過ぎないと思うからです。
まぁ、ここまでの集中状態に達することができる方は数えることができるほどだと思います。ただ、他者ができることが自己にできないわけがない、という考えもあります。極限状態とはいかなくとも、落ち着いた気持ちで物事に取り組まれ、良き成果が出ることを祈っております。
平生を取り戻すべく、一刻も早い疫禍収束を願います。

今が大事

新型ウイルスが世界を席巻する毎日です。今週は特に世界が動きました。動きが取れない中で何をすれば良いのでしょうか?
自宅でできること、旅先でできることが違うように、平常時にできること、そして非常時にできることは実は違います。具体的に何をすれば良いのかは結構難しいのですが、各人が心と体を落ち着かせて何かに取り組むことができる絶好の機会だと思います。
【建仁寺派管長 小堀泰巌老大師様揮毫の「即今只今」】
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「即今只今(そっこんただいま)」という言葉があります。「今、この瞬間を一生懸命に生きましょう!」という意味の言葉です。簡単そうでかなり難しい言葉です。人間は過去や未来のことをあれこれと考えてしまいます。予定を立てて行動することは大切ですし、過去を振り返って反省することも大切です。ただ生きているのは「現在、この瞬間」だけなのです。これは分かっているようで分かっていないことです。「まぁ明日があるか。」と思ってしまってダラダラと過ごしてしまうことが私にはよくあります。こういう怠け癖のある私には「即今只今」との言葉は身に沁みます。
先日旅立たれた円覚寺の栽松軒 足立大進老大師様にも『即今只今』という題のご著書があります。「今、今日一日が足りれば幸せ」であるという教えが随所に鏤(ちりば)められています。人はあれもこれも求め過ぎるんですね。外部世界と少し隔絶した状態で「今、この一瞬」を見つめ直すことは人生の中で大切なことだと思います。しかし、そうした時間はあまり多くはとれません。これを好機と捉えるのが得策のように私は考えます。
「いつやるの?今でしょ!」という言葉が少し前に流行りました。あの言葉は実は禅の教えにも通じる深い言葉だったのだなぁ、と感じます。今しか出来ないことを見付けて一生懸命に取り組まれることを願っています。

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即今只今

著者:足立大進 
出版社:海竜社
発売日: 2009/08/01
メディア: 単行本(ハードカバー)
参考URL:http://www.kairyusha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-7593-1080-1.html
(海竜社)

 

「見えないもの」を感じる

前回、「見えないもの」のお話をしたので、その繋がりで気になっていたことについて今回は書きたいと思います。
「見えないもの」のもっとも身近なものは何でしょうか?私は”風”だと思います。風は気持ちがいい「そよ風」などもありますが、人々を困らせる「強風」、「台風」もあります。「風を感じる」などと聞くこともありますが、私は”風”と言うのが何なのかあまりよくわからないでいます。
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昔の話ですが、学生の頃に一人で夜中に山寺で座禅をしたことがありました。合宿に行って、いろいろな修錬を積んだ中での経験です。それまでは至る所で落ち着きの無い動きをしていましたが、その夜座は清々しい気持ちを私に与えてくれました。
鳥も啼かない夜でした。月の明かり以外は何もありませんでした。お堂の周りは月明かりで明るいですが、それ以外は真っ暗なので、当初はその暗闇から何かが襲ってくるのではないか、と思って夜座をすることをためらっていました。合宿3日目の夜に夜坐へ向かい、時間は分かりませんがしばらく座っていました。
その時に初めて”風”を感じました。疲れていて思考能力が低下していたこともあったかと思いますが、何も考えず、眠りの一歩手前の状態でした。ただ体に受ける”風”しか感じませんでした。
当然と言えば当然の話なのですが、いつもは風向きや強さ等あまり気にせずにいる”風”の繊細な強弱や流れの変化を肌で知り、なんだか凄いことを知ったような感覚でした。今でも”風”というものを感じようとしますが、「あれをしなきゃ!」とか「こうしてないと叱られる!」とか様々なことを考えてしまい、”風”を感じる気持ちが失われています。
「見えないもの」を感じる・知るのはやはり”心”・”気持ち”なのだと思います。株価の急落と言うのは人々の不安という気持ちが表れたもののように思います。人は世事に引っ張られてしまうのだ、それに惑わされない強い気持ちを持つことが必要だが、それが難しい、ということを強く感じた1週間でした。

念じることの大切さ

1年が経つのが早いですね。今回で本ブログの本年の更新は最終となります。
今年一年もお祈りすることが多かったです。ただ、昨年に比べると、何かご利益(プラスのこと)を求めるよりも、何もなく無事に過ごせることを願ってお祈りした一年だったように感じます。お陰様で私に大きな病気や怪我はなく、また弊社も大きな災いが巻き起こることはなく、何とか年を越せそうです。
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お祈りをすることはすぐに結果が出ないので、2度や3度程度で止めてしまいがちです。ですが、続けることて何か小さな「花」が開いているのではないでしょうか?
この「花」は何かは分かりません。ただ、「信頼」や「信用」といった一朝一夕に得ることのできない何かのような気もします。
まずは自分自身が今生きていることに感謝する。これが祈りの基礎だと感じた一年でした。
よいお年をお迎えください。

気を保つために

我が家はテレビがかなり好きな家です。私も同世代に比べるとテレビを観る方だとは思いますが、誰かが観ている番組をちらっと観る程度です。何か番組をじっくり観るというわけではなく、CMを結構観ている方だと思います。
9月23日に秋の彼岸会法要へ私は菩提寺に行きました。法要の後、ご住職様がお説教をされたのですが、昨今の「煽り運転」に絡めてお話をされました。「煽り運転」は危険ではありますが、テレビの通信販売で「限定○○個」と言ったり、「今だけ半額」と言ったりすることも人を急き立てる「煽り」の一種ではないか、と。また日韓関係もお互いの「煽り」があったのではないか、と。考えてみれば深い洞察だと思いました。
「煽り」をしてしまうのはやはり心の病なのだと思います。煽り運転などの身近で起こり得る例だけでなく、外交関係などでも気持ちの行き違いというのはあるのだなぁ、と感じました。お説教は「難しいかもしれませんが、心を落ち着かせるためにお念仏をお唱えしましょう」と締めくくられました。浄土宗のお寺なので話のオチは教義に沿ったものでした。
そこで、最初の話題です。昨日テレビでCMをちらっと観て、ビッケブランカさんの『Ca Va?』という曲を耳にしました。『Ca Va?』とはフランス語で「元気?」という意味です。
飛行機で自分のオレンジジュースが可哀想にかかってしまった男性が、自分の身の不運を気にせずこの曲を聴いています。
個人的な意見ですが、いい曲ですよね。気を病むこと(=病気)なく、平常の心、つまり”元”の状態の”気”を保つ(=元気)ことが体現されているCMだと思いました。
煽り運転などが問題となる社会が急き立っている状態を少しでも解決するのは、お念仏も良いですし、こうした現代の曲を聴くことも大事なのだと思いました。

赤山禅院へちま加持

本日9月13日は本年の仲秋の名月の日です。
節句もいろいろありますが、奇数の重なる日、つまり割り切れない日は気(パワー)が強いと考えられ、様々な節句があります。


1月1日:元日
1月7日:人日じんじつ の節句/七草
3月3日:上巳じょうし の節句/桃の節句
5月5日:端午の節句/菖蒲の節句
7月7日:七夕しちせき の節句/笹の節供
9月9日:重陽ちょうよう の節句/菊の節句


こうした節句を経て、季節が移り替わると考えられてきたのです。結構面白い考えだと思います。ちなみに節分(2月3日)は2月4日から新節(新年)が始まるので、その前日で2月3日です。2月4日は2も4も偶数ですので、気(パワー)が一番弱いためにこの日になったのだと考えられます。(2月2日にすると、前日が2月1日となり、御朔日[月の始まりの日]を大事にする考えとそぐわない為、2月3日が節分になったのではないかと思います。勿論、太陽の位置を基準に考えられていたので、数字だけが大切なわけではないのでしょう。)
さて、本年は本日9月13日が仲秋の名月でしたので、その日に併せて赤山禅院でへちま加持が行われました。へちま加持とは「ぜんそく封じ」といわれるものです。医学では治癒できない病気を比叡山の大阿闍梨様のお加持によって「気を整える」効用があるのと考えられています。
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私は今年初めて参列しましたが、平日にもかかわらず多くの参拝者が居られました。
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頂戴したへちまを土に埋めて、21日間毎日お参りすると1年間無病息災に過ごせるとのことです。
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「病は気から」と言いますが、病気の方々が大阿闍梨様のお加持を受けて、気を整えることで病から回復するというのは、科学的にはどうなのかは分かりませんが、首肯できることだと感じました。何事もマイナス思考で考えるとどんどんと悪い方向へ行ってしまいますが、プラス思考で考えるためにお加持でパワーを頂戴することは大切なことだと感じました。

目に見えぬ物への感謝

お盆が近づいてきました。
弊社には幼いお子さんを育てながら勤務してくれている社員がおります。その内の1人のお子さんがディズニーの『美女と野獣』のヒロインのベルが大好きだという話を聞きました。私も嘗てアニメ版の『美女と野獣』を観た経験がありますが、記憶が曖昧でしたので、2017年に実写化された映画を観てみました。
お話の要旨は、「容姿にかかわらず”美しい”心を持つことの大切さ」を説いているものでした。確かに人は目に見える物事で判断してしまいます。それが至極当然な姿だと思います。しかし、それではいけない、ということを訴えかけている映画でした。
この映画を観て、現代の我々は目に見える物に囚われすぎていて、目に見えない物への感謝を忘れてしまっているのだということを感じました。目に見えない物とはすなわち「列祖への感謝」であります。今私たちが生きているのはご先祖樣方が居られたからこそなのです。勿論直接会ったことのないご先祖様は沢山居られますが、それでもそういったご先祖樣方への感謝を忘れてはならない、と感じます。
お盆を目前にして「目に見えぬ物の大切さ」を痛感した映画鑑賞となりました。

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