2019 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

念じることの大切さ

1年が経つのが早いですね。今回で本ブログの本年の更新は最終となります。
今年一年もお祈りすることが多かったです。ただ、昨年に比べると、何かご利益(プラスのこと)を求めるよりも、何もなく無事に過ごせることを願ってお祈りした一年だったように感じます。お陰様で私に大きな病気や怪我はなく、また弊社も大きな災いが巻き起こることはなく、何とか年を越せそうです。
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お祈りをすることはすぐに結果が出ないので、2度や3度程度で止めてしまいがちです。ですが、続けることて何か小さな「花」が開いているのではないでしょうか?
この「花」は何かは分かりません。ただ、「信頼」や「信用」といった一朝一夕に得ることのできない何かのような気もします。
まずは自分自身が今生きていることに感謝する。これが祈りの基礎だと感じた一年でした。
よいお年をお迎えください。

弘明寺観音

本年も後10日余り。「歳月人を待たず」とは正にこのことだと思います。
百観音を目指している私は上京した折に時間を見つけて坂東の札所巡りをしています。今回は横浜の弘明寺(ぐみょうじ)さんへお参りおした模様をご紹介します。
横浜市営地下鉄の弘明寺駅から商店街を抜けると弘明寺さまはあります。
【商店街から弘明寺を臨む】
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【仁王門】
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【本堂へ繋がる階段】
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この急な階段を登って本堂に到達します。
【本堂】
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当日は8が附く日でしたので、午後二時から護摩供が行なわれるとのことで極めて多くの人が参拝されておられました。
護摩と言うと一般的には不動明王さまや愛染明王さまにご供養するものだと私は認識しています。護摩壇はお不動様の口で、そこに願いを書き込んだ護摩木を投じて煩悩や穢れを払い、諸願成就を願う、というものと認識しています。観音護摩についてあまり詳しく知りませんが、観音様はいろいろな者に変身するので、不動明王さまに変身すると見たててお護摩をしておられるのでしょうか?
観音護摩はいろいろなお寺で為されているようです。薬師如来をご本尊として護摩を焚く薬師護摩もあるようです。私は僧侶ではありませんので詳しくは分かりませんが、いろいろな発見があり、今後の調査課題となるように思います。
仏教は奥が深いものがあるなぁ、と感じたお参りでした。

成道会に参列~鎌倉・円覚寺へ~

本ブログを見返すまでもなく、この1か月ほどは毎週上京しているような気がします。私自身は嘗て、そう遠くない過去に自宅に籠って勉強している時期がありました。別段身体の自由は制限されてはいませんでしたが、やはり周りの目が気になって、できるだけ自室からは出ないことが多かったように思います。その時期に思ったことは未だ記憶にしっかりと焼き付いています。「このまま死んでしまったら世間に私は知られることのないまま歴史は進んでいくのだろうなぁ。」と。おかしなことのようですが、やはり”人”というのはインプットしたものをアウトプットして行ってこそ初めて”人間”になるのだと思います。難しくはない、ただ人とおしゃべりするなどの触れ合えば良いだけです。最近毎日予定が立て込んでいると、嘗て感じたこの気持ちを忘れてしまっていました。
先週末の12月8日(日)、東京で用事があったので、その日の朝は鎌倉の円覚寺さまにお参りに行きました。当日は午前9時から日曜説教会(第二日曜日に開催)が開かれ、そして偶然にも12月8日でしたので成道会が日曜説教会の後に厳修されました。
【紅葉の綺麗な参道】
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日曜説教会で青松軒老師様は、「お釈迦様が悟りをひらかれたことは尊いことであるけれど、その悟りを梵天(ブラフマン)の指図によって多くの人々に説かれたこと。これこそが実に尊いことなのです。そうでなければ仏教という教えは今まで伝わってこなかったのですから。」という趣旨のことを仰いました。(メモ書き程度なので、一言一句正確とは言えません。詳細はこちらをご覧ください。)
【山門】
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このお話を聴いて、人と関わっていくことが何にも増して大事なのだという思いを一層強くしました。高尚な理論を理解しても、それを多くの人々に伝えられなければ、ただ単なる自己満足で終わってしまう。科学のことは学者に、お経のことは僧侶に、身体のことは医者に、と言った具合で専門家に話を伺って、それを自分の中で解釈して人に伝えていくことの大切さを感じました。何とも大きな「気付き」を得ました。
【成道会厳修された佛殿】
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日曜説教会の後の成道会では青松軒老師様の偈頌奉読を拝した後、楞厳咒(りょうごんしゅ)というお経をお唱えしました。(法要の様子はこちら)私は滅多にお唱えする機会がありませんが、自宅にあった経本を持って一緒にお唱えしました。円覚寺派はお経の節回しが独特のようです。参列した際に頂戴した案内文には「『山節』と称する独特の節回し」との記載がありました。長いお経ですが、所々節回しについて行けないところがありました。「門前の小僧習わぬ経を誦む」よろしく、私はどうも京叢林の節回しに慣れてしまっているようです。環境とは不思議なものです。
【門が額のようです】
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お釈迦様が教えを広められたこと、その尊さを感じることができたお参りでした。何だか過去の自分と対話しているような気がして気持ちの良い上京となりました。

犬鳴山七宝瀧寺へお参り

師走になりました。どうして「師走」というのでしょうか?
詳しく知らなかったのですが、とある寺院の月刊紙を読んでいましたところ以下のような記述がありました。
12月を「師走」と云いますが、一説によりますと語源は僧侶の礼拝行にあるということです。平安時代、年末になりますと各貴族の邸宅では礼拝行が営まれていたとのことです。当主に代わって僧侶が礼拝行を行い、各家の穢れを祓い、その家を浄めていました。年末になりますと各貴族の邸宅を忙しく回るので「師走」と云われるようになったそうです。
書寫山圓教寺・発行『松のひびき』307号(2019年12月号)1頁
如月や神無月など「~月」という月名の中で師走が異質だと思っていましたが、納得いたしました。知らないことが多いですが、こうやっていろいろな方に教えて頂くと一つずつ賢くなっていきます。
さて、今週は犬鳴山七宝瀧寺にお参りしました。大阪府泉佐野市にあるお寺です。関西国際空港がある都市として有名な泉佐野市ですが、犬鳴山七宝瀧寺はその名も犬鳴山の上に建つお寺です。
【大きなお不動さまがお出迎えして下さいます】
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【本堂】
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【清滝堂】
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【清滝】
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水が綺麗な所へ赴くと、体がスーとする感覚になります。気持ちが良いですね。行者様方はお滝を浴びて体を浄め、山岳修行や護摩供養を行われます。こういった山の中で心と体を浄めていくのだなぁ、と感じ入りました。
近畿三十六不動尊霊場をお参りして、いろいろな御不動様にお目に掛かっています。「師走」のこの時期、心と体を浄化して、本年の残りの日々を過ごしていきたいと思いました。

甲子の日のお参り~江戸裏鬼門の大黒さん~

京都の紅葉はまだ見頃です。
【真如堂の紅葉】
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60日に一度廻ってくる甲子の日、今年最後の甲子の日は11月23日(土・祝)でした。60日前の9月24日(火)は比叡山にお参りしましたが、今回は東京に用事があったので、江戸の裏鬼門を護る大黒天様をお参りしました。
お参りしたお寺は東京の目黒駅から行人坂を少し下ったところにある松林山大圓寺さまです。
【大圓寺さまの山門】
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大圓寺さまでは甲子の日に護摩供養が為されています。甲子の日、午前10時、午後1時、午後3時の三座の護摩供養が行われます。私は午後から勉強会があったので、午前10時の初座にお参りしました。
【護摩供養が行われた本堂】
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初参加でしたが、導師さまの真後ろでお参りさせていただきました。護摩供養の後、導師さまのお説教を拝聴しました。「祈りには効果があるのか?」というテーマのお説教でした。自分自身の福徳を神仏に求めることが祈りの効果なのか、というと決してそうではないと思います。それならば、大黒天様をお参りしている人は全て億万長者になっているはずです。アメリカの大学で行われた科学的な実験結果を例に出され、「祈ることは、祈る人と祈られる人の双方に良い影響を与える」というお話をされました。
人々が抱える悩みを人智の次元で考えていては気が滅入ってしまいます。ですから、神や仏という人智を超えた次元で考え、精神を落ち着けていくという行為はスピリチュアル・オカルト的な要素だけでなく、科学的にも意味があることなのだと極めて深く納得しました。
観音経をきちんと読誦できるようにしなければならないというのが私の喫緊の課題ですが、雨の中でもお参りして良いお話が聞けました。

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祈りの言葉―――「見えない力」を味方にして、人生を変える

著者:山川紘矢=山川亜希子 
出版社:ダイヤモンド社
発売日: 2016/07/29
メディア: 単行本(ソフトカバー)
参考URL:https://www.diamond.co.jp/book/9784478100165.html
(ダイヤモンド社)

 

千葉寺~台風からの復旧へ~

紅葉が色づいてきました。琵琶湖を背景に紅葉を撮ってみました。
【琵琶湖を背景に紅葉を】
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先日、東京に行った際にそのまま千葉へ足を延ばしました。千葉寺と書いて「せんようじ」というお寺をお参りするためです。千葉寺は坂東三十三観音霊場第29番札所ですのでお参りをしました。最寄り駅は京成電鉄の「千葉寺駅」で「ちばでらえき」と読みます。多くの人々には「ちばでら」として親しまれているお寺なのだと感じます。千葉寺駅から少し坂を上っていくと千葉寺はありました。
【千葉寺の仁王門】
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千葉県は10月の台風19号の猛威で大きな被害を受けています。予想をしていませんでしたが、千葉寺も手水舎が倒壊していました。
【千葉寺本堂(手前に倒壊した手水舎があります)】
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多くのお寺は火災や天災などで幾度となく被害を受けています。こうしたお寺を再建・復興していったのはお寺に信仰を寄せる信者の人々です。前回ご紹介した浅草寺も東京大空襲を経て焼失した本堂が戦後に再建されました。火災や天災等を経ても甦っていく寺院は真に信仰の結晶なのだと思います。現状は被害復旧の途上ではありますが、それを乗り越えることが信仰の証なのだと感じました。
観音さまを巡って、いろいろなお寺をお参りしますが、今回は信仰について深く考えさせられたお参りでした。

浅草寺・朝座勤行

更新が遅くなって申し訳ありません。依頼があると断れない性分で、いろいろなことが重なってしまいました。お詫び申し上げます。
11月16日(土)に東京で勉強会に参加し、別件で翌17日(日)に用務が入ったので、16日の夜は東京に宿泊しました。折角なので、坂東の札所巡りをしようと思って浅草に泊まりました。
【夜の浅草寺】
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時間が取れず写経を出来ていなかったので、浅草寺の朝座勤行に参列して参りました。(浅草寺のHPに案内があります。)
【開扉直後の本堂】
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現在(冬季)の開扉の時間は午前6時30分です。開扉直後に内陣に入れて頂いて早速朝座勤行が始まりました。天台宗系の聖観音宗のお寺である浅草寺ですから『台宗課誦』という経本を持参して参りました。法華懺法(ほっけせんぼう)を終えた後に観音経を読誦、その後に脇侍の愛染明王さまと不動明王さまの御前でそれぞれの供養が為されておられました。
いろいろな法要に参列している私ですが、法華懺法と観音経の読誦のスピードに付いていけませんでした、毎日のことですから、僧侶の方々も参拝の方々もほぼ暗記されておられ、スピードが非常に早く、まだきちんと目覚めきれていない私には目で追うのがやっとでした。
【朝座の後に本堂から】
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【二天門から撮ったスカイツリー】
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40分ほどして本堂を退堂した際に朝日に照らされて気持ちが良かったです。予想以上に朝座に参列するのは気持ちが良いものです。三文以上の得をした気分になりました。

八千枚護摩供~山を巡り~

11月、個人的には今月はあまり予定が無いと思っていたのですが、何だかいろいろ立て込んでおります。いろんなことが延び延びになっており申し訳ございません。
先週末になってしまいますが、11月2日(土)に比叡山の無動寺谷明王堂をお参りしました。11月2日は回峰行の祖・相応和尚の御命日にあたり、それに合わせて法要と八千枚護摩供が厳修されました。私は開闢(かいびゃく:始まり)の座をお参りに行きました。
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明王堂は小さなお堂ですが、こうした行事の時には溢れんばかりの方々が参集されておられます。悩みや苦しみを抱えた方が少なからず居られ、また心願成就を願う方がこれほどに多いのだなぁ、と感じます。便利になった現在を生きる私ですが、「お不動さん、どうかどうか!!」と願っておられる方々を間近に見て、弊社の存在意義というものを強く感じます。大阿闍梨様が一心に多くの方々の願いを不動明王様に祈っておられる姿に「ありがたい」という一言しか思い浮かびませんでした。本当にありがたいご修法だと感じました。いろいろと用務があって、翌11月3日の結願の座には伺えず残念でした。


翌日は夕方に自宅を出発し、信貴山へ向かいました。こちらは信貴山朝護孫子寺の大本山成福院さまで11月3日から10日までの1週間に亘り計21座のご修法が為されます。私は開白(かいびゃく:始まり)の座に伺いました。
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先の20座は前修行ということで、11月10日の21座目が本座となります。前修行の座は秘密行が行われます。
【衝立の向こうでは秘密行が行われています】
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秘密行が終わると本堂に入ってお参りできました。こちらでは護摩壇の脇でお参りをさせて頂きました。
【初座修法後の本堂】
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近時御縁ができて、私は隔月で伺っていることになります。御縁というのは不思議なものだと感じます。


天台宗と真言宗は密教と言われます。主に国家安泰(鎮護国家)の為に国家宗教となっていた時期があります。私は今回、ご真言や般若心経を式衆の僧侶の方や参拝の方々とお唱えしながら行者様のご修法を見守っておりました。天皇陛下御即位に関する行事の模様をテレビで幾度となく拝見しておりましただけに、こうした伝統的なご修法が今も脈々と続き、人々の平安を願い祈る修行が日本各地で行われていることが真にありがたいことだと感じました。
弊社の扱う念珠は、こうした凄まじい行をなさる行者様の傍らにいつもある物で、本当にありがたい商品を扱っているのだなぁ、とつくづくと感じました。

叱ってもらうことのありがたさ

11月になりました。もう完全に秋ですね。
毎年5月1日と11月1日の入制開講式(修行期間の始まり)に臨済宗の僧堂に伺っております。昨日の入制開講式にも参列して参りました。
昨日は『臨済録』についての提唱でした。「真仏無形、真道無体、真法無相」のお話でした。一言で解釈することは難しいですし、私にはそうした解釈をする力はありません。
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綺麗なお庭を眺めながら、「工夫」ができる人(自在に動き、自在に佇むことができる人)となるにはどうすればよいのかに思いを馳せました。やはり、こだわりなどを捨てて行くしかないのだと感じます。意思は持たなければなりませんが、仏や人に教えを受け成長していくためには、反発心やこだわりなどを捨て、素直に受け入れていくことが何よりも大事なのだと思いました。
人は年を経る毎に知らず知らずのうちに独自の「こだわり」が生まれ、人の指摘を素直に聞けないことがあります。私もいろんなこと教わりますが、時々反発心を持つことがあります。しばらく時間が経てば大して気にならないのですが、「叱ってもらうことのありがたさ」に気が付くことの難しさを日々痛感しています。
自分自身を成長させていくためには年齢は関係なく、様々な人々に「叱られる」(「怒られる」とは違う)ことが大切なのだと思います。私は「叱られる」ことを「鋭いツッコミ」だと思っています。自分自身の「ボケ」に対して「なんでやねん!」という気持ちで「鋭くツッコミ」を入れて下さる―――こうしたことにありがたさを感じる心を持ち続けたいと思いました。

京都三弘法を歩く

雨が続きます。暑さが和らぎ、秋の気配を感じるようになってきました。
巡礼の代表と言えば「四国八十八か所」、通称「お遍路さん」です。巡るのは時間とお金の算段がつかず実現できておりません。江戸時代にお遍路へ行く巡礼者が旅の安全を祈願して京都市内の弘法大師様をお祀りする三寺院を巡る風習がありました。「三弘法(さんこうぼう)」といいます。京都の他に名古屋などにもそういった風習があるそうです。
今回、京都三弘法霊場会の主催で「歩こう!三弘法」という企画がなされ、私はその会に参加して参りました。
朝8時30分に東寺さまの御影堂(仮堂)に集合して、そこから仁和寺さまへ、そして神光院さまへと徒歩で巡るという行程でした。当日は天候にも恵まれ、歩くのには最適な気候でした。
【東寺を出発】
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【昼に仁和寺へ到着】
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【最後に神光院へ】
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神光院さまに到着したのが15時40分ごろでした。各寺院の僧侶の方々の先導と解説を聞きながら、弘法大師様の御尊像を拝ませていただきました。
いつもは車や自転車などで通り過ぎてしまうところを歩いてみると、気付くことが多かったです。何よりも、大きな寺院である三弘法のお寺様をじっくりと歩きながら拝ませていただけたことは有難い限りでした。万歩計を見ると3万歩ほど歩いておりました。普段は1万歩ほどですので、普段の三倍ほど歩いたことになります。体力的には疲れましたが、弘法大師さまの御尊像を僧侶の方々、そして参加者の皆様方と拝むことができて気持ちが良い巡礼でした。

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