2月 | 2017 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

午の日のお詣り

今年は平成29年。同時に酉歳なので、唐揚げやフライドチキンなどの鶏肉(酉と29[にく])のフェアが開催されていたりします。私もその恩恵に浴して、鶏肉を沢山頂きました(笑)
「酉歳」と云うように日本人にとって干支は馴染み深いものです。実は、年だけではなく、日にも月にも干支があります!一般にも馴染み深いのは「土用の丑の日」で、その日に鰻を食べる方が多く居られます。
先週の金曜日(2月24日)は午の日でした。私はその日、友人の御伴おとも をして伏見稲荷大社にお詣り致しました。
初午」の日にお稲荷さん(伏見稲荷大社)にお詣りするという習慣は、平安時代からあったようで、清少納言の『枕草子』にも登場します。(詳しいことが伏見稲荷大社のホームページに掲載されております。)
私がお詣りした2月24日は「二の午」の日でした。つまり、立春(2月4日)以降の二回目の午の日でした。ちなみに、今年の初午の日は2月12日でした。十二支ですから、12日前なのは当然ですね。
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伏見稲荷大社の御祭神は稲荷大神(いなりのおおかみ)様で、五穀豊穣の神様です。稲荷大神を構成する御柱の中心的な神様の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が白狐(びゃっこ)に乗られたそうで、御社の両側に狐が居られます。また、鳥居が朱色なのは稲荷大神様の豊穣の力を表すから、とのことです。
私は、弊社の家内安全をお祈りして伊奈利山を後にしました。
本日は、午の日のお詣りをご紹介いたしました。

春が来たら。。。

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寒い日が続きますが、2月も残り1週間を切りました。もうすぐ春がやって来ます。
今日は季節にあわせて「春」のお話です。
春は心地よい季節ですから「春爛漫らんまん 」といった言葉や、冬の時期のことを指すにもかかわらず「小春日和こはるびより 」といった言葉が昔から使われてきました。こういった言葉を耳にすると、暖かさをイメージしてしまいます。
禅の言葉(禅語)にも春の言葉があります。「春来草自生」という言葉です。読み下すと「春来たらば、草おの ずから生ず」もしくは「春来たって、草おの ずから生ず」となります
(右の画像の掛物は京都・龍寶山大徳寺管長・高田明浦老大師様が揮毫なさったものです。)
言葉そのままの意味を捉えれば「春が来ると草は自然と生えてくる。」という意味になります。当たり前のことのようですよね!?
この言葉をどう捉えれば良いでしょうか?私は次のように考えています。
草が生えてくるのは春になってからです。つまり、「春」という適切な時期ならばこそ草が生えるのです。夏や秋や冬では草は生えては来ません。
皆様方ご自身の身に置き換えて考えてみて下さい。会社でも、新入社員と入社10年目の社員ではできること、やるべきことが違います。例えば、新卒社員がいきなり一大プロジェクトのリーダーにはなれません。人にはそれぞれ、今の役割、適切な役割があります。「今を一生懸命に生きる」ことも、今の自分自身の能力と与えられた役割とを正しく認識してこそ可能なのではないでしょうか?
春の訪れを心待ちにしながら、今日は「春」について考えてみました。

念珠製造と火除け

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本日、一部の地域では「春一番」が観測されました。春の訪れを感じさせる季節になりました。
さて、先週ご紹介した節分のお詣りから、本日は念珠製造と火除けの関係性をお話ししてみたいと思います。
念珠は糸と珠を組んで製造するものです。火とどう関係するのか、分かりにくいところがあると思います。実は念珠製造の際、火を使うことがあります。
切房(きりふさ)という種類の房があります。房には他に撚房(よりふさ)という種類があります。例えばこちらの念珠の房は撚房ですが、こちらの念珠の房は切房です。撚房はその名の通り糸を撚って作っておりますので、ほつれにくく耐久性があります。一方の切房は好みの長さに“切って”房を成形しますのでこの名が付いたと考えられます。どちらの房も絹糸を使って作っておりますが、撚房は先程申しました通り、元の絹糸を何本も撚って1本の糸を作っているため耐久性があり、ほつれにくいものです。一方の切房は元の絹糸を撚ることなくそのまま房に仕立てますので、どうしても絡んでしまいます。
イメージしやすいように女性の髪形を例としてご説明すると、撚房は三つ編みの髪型、切房はストレートヘアーというところでしょうか。ストレートヘアーの場合、寝起きは櫛を通して、ミストをかけて……などのお手入れを必要とします。念珠の房も同じだと考えて頂ければ良いです。
切房をお仕立てする場合、右の写真の薬缶のような道具を使います。水を入れて沸騰させ、水蒸気で房を伸ばします。この工程を「湯のし」と言います。この「湯のし」を行うと、一本一本の絹糸がシャキとして、綺麗な切房になります。
念珠は珠だけでなく、房も重要な部分です。切房を用いた念珠は臨済宗などでは高僧の方々が法要の際に用いられます。
念珠を製造する過程では火を用いることが不可欠であり、そこに火除けへ執心する理由があるのです。

節分のお詣り(その2)

前回の雪化粧した愛宕神社の写真に「神々こうごう しい」とのご感想を述べて下さった方が居られました。ありがとうございます。雪に反射した陽の光が御社おやしろ を照らし、確かに神々しさがありますね。こうした自然の風景から古人は神を感じたのかもしれません。


さて、前回の続きのお話をしましょう。
愛宕山を下山した私は、京都御所を目指しました。次なる目的地は京都御所の東に位置する清荒神きよしこうじん 護浄院ごじょういん です。京都市バスには「荒神口こうじんぐち 」というバス停があり、そのバス停から程近くにこのお寺はあります。
「清荒神」と聞くと、特に関西の方は宝塚市にある「清荒神清澄寺」を思い浮かべる方が多いと思います。阪急宝塚線にも「清荒神」との駅名があり、清澄寺様への参拝の方に多く利用されています。
私がお詣りしたのは清荒神護浄院様です。こちらは、天台宗のお寺なのですが、境内に鳥居があります。これはまさに江戸時代までの神仏習合の名残を目にできる好例です。
清荒神護浄院の北側には「清浄華院しょうじょうけいん 」という浄土宗のお寺があります。この2つのお寺は共に名前に「清」「浄」が入っています。これは、平安京の鬼門を護る比叡山の回峰行者が行を満行し、御所に参内する際に身を清める(きよ める)ためのお寺だから、との理由です。


私は、護浄院様で神棚の御扉にお祀りする御神札を頂きました。三宝荒神は「かまど の神様」で、火事から御守り下さるご利益りやく があるそうです。
お店に戻り、神棚に愛宕神社と清荒神護浄院の御神札をお祀りしました。
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向かって左が愛宕大神さま、右が三宝荒神さまです。

こうして、これから来年の節分までの1年間、火事から御守り頂けると信じております。
2回に渡り節分のお詣りをご紹介して疑問を持たれた方が多いのではないでしょうか!?というのは、念珠を製造販売する弊社がなぜ火除ひよ けに殊更熱心なのか?という点についてです。


これについては、また次回にお話することに致しましょう。

節分のお詣り(その1)

この数週間は少し難しい話題が多かったように思います。今週は、一旦小休止です(笑)。


私は、前回の記事を更新してから、山登りに出かけました。どこの山か!?京都市の北西に位置する愛宕山(あたごやま/あたごさん)です。落語がお好きな方は「愛宕山(あたごさん)」という演目で良くご存知かもしれません。

桂米朝「愛宕山」

その日は2月3日。そう、節分の日でした。
愛宕山の山頂には愛宕神社という神社があります。「愛宕神社」という名前の神社はWikipediaによると全国にかなりの数があります。それらの神社の総本社が京都の愛宕神社なのです。
2月3日当日は、京都市の最高気温が12℃、最低気温4℃と2月としては暖かい日でした。清滝口きよたきぐち から登り始めた私は、一歩一歩足下を確認しながら登って行きました。しばらく登ると、足下がぬかるんできました。もうしばらく登ると、そこは一面に雪で覆われていました。中腹で一面の雪でしたので、そこからは山頂に向かうほど雪が深くなりました。
清滝口から1時間25分、愛宕神社の本殿下の階段に到達。そこはもう銀世界でした。
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本殿でお参りをして、御神札を頂きました。
御扉みとびら の神棚にお祀りする御神札と下の画像の火伏札を頂きました。(神棚については次回、ご紹介致しますので、お楽しみに。)
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愛宕神社は火伏せの神様として広く知られ、信仰を集めています。本来は7月31日に「千日詣り」をするのが良いのですが、私は節分にあわせてお詣り致しました。
いにしえ こよみ では立春から一年が始まる、という考え方をしていました。節分は立春の前日ですので、節分にそれまで1年の間で頂いた御札をお返しし、新たな御札を頂くことで新たな年を迎えることができる、と考えられてきたのだと(私が勝手に)理解しています。そして、愛宕神社の御神札を頂くことで、今年1年は火事などに遭わないようお守り下さる、と願っております。
雪道を下山することに骨が折れましたが、何とか下山し、もう1件のお詣りに向かいました。。。が、それは次回ご紹介することと致します。

「念珠」の「念」について(その2)

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袖振り合うも他生の縁」という故事があります。故事ことわざ辞典によると、「知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。」との意味であると書かれています。現代のイメージで言うと、電車で偶然に隣の席に座るのも因縁によるもの、というところでしょうか。
人との出逢いだけではなく、物との出逢いにも不思議なものがあります。私は古本を購入することが多いのですが、そこに予期せぬ書き込みがあって驚くことがあります。
前回ご紹介した横田南嶺老大師様のご著書にたびたびご登場なさる坂村真民さかむらしんみん 先生(1909年-2006年)という仏教詩人が居られます。坂村先生の詩に興味を持った私は全集を購入してみることにしました。つい昨年のことです。購入してビックリ!全集第七巻の見開きに坂村先生直筆のサインがあったのです!!
(右の画像をご覧ください。)
そこには「念に生きる」と書かれていました。はて、どういう意味なのか?
坂村先生の詩の中には「念」という語が入った詩が数多くありますが、ここではその名も「念」という詩を引用してみます。


花が咲くのも念
鳥が鳴くのも念
宇宙が回転するのも念
太陽が出現するのも念
だからわたしは
手を合わせて見
手を合わせて聞き
手を合わせて拝むのだ

坂村真民『坂村真民全詩集〔第七巻〕』(大東出版社、2001年)57頁
さてさて、「念=今を感謝する心」という前回お示しした私の解釈はこの詩にうまく当てはまっているでしょうか?
私はこの「念」という詩を(自分勝手に)解釈してみました。
花は咲くことに今この瞬間一生懸命、鳥も鳴くことに今この瞬間一生懸命、宇宙だって、太陽だってそう。だから、私たち人間も手を合わせて、心を落ち着かせ、今を一生懸命に生きるのだ。
ですから、「念に生きる」とは「今を一生懸命に生きる」ということなのではないか、と私は考えています。
未来のことが心配になるのが世の常ですが、まずは“今”を一生懸命に生きないと“未来”はやって来ません。
何より大切なのは今を一生懸命に生きること。当然のことのようで、実はこれが一番難しいことなのかもしれません。
「念」とは何か。私は「今を感謝する心」、そして「今を一生懸命に生きること」である、と考えています。

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