2月 | 2018 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

愛宕神社参拝

梅の花が咲いていました。暖かくなって、春の訪れを感じる日々です。
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さて、節分は過ぎてしまいましたが、先日私は愛宕神社に参拝いたしました。
私は毎年、2月と8月に参拝しています。今年の節分の頃は最強寒波が日本列島に襲来していたので、少し暖かくなった時期を見計らって参拝しました。参拝した当日の京都市内の気温は5℃でした。それでもやはり山頂は吹雪いていました。
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【本殿へ続く石段】
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【鳥居】
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【本殿の入り口】
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【本殿】
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昨年はおかげさまで大きな火の厄に遭うことはありませんでした。昨年のご加護を感謝し、本年の新しいお札を頂戴いたしました。
(昨年の参拝の様子は「節分のお詣り(その1)」をご覧ください。)
今年も1年、火の厄がないことを願っております。

仏教を身近に

梅の花がちらほらと咲く季節になってきました。底冷えする寒さが少しばかり落ち着いたようにも感じます。


今週は色々とイベントがある週でした。2月14日はバレンタインデー、2月15日は涅槃会(お釈迦様が亡くなった日)、そして本日2月16日は日蓮上人の誕生日です。その中でも今日は涅槃会のお話です。
近年注目される絵師として伊藤若冲という人が居ます。彼は1716年に生まれ、1800年に84歳でこの世を去りました。現代の私たちは学校教育で西洋画を学びますので、伊藤若冲の描く色彩豊かな絵を違和感なく受け入れることができますが、伊藤若冲の生きていた時代に若冲の絵は革新的でした。というのも、墨の濃淡の使い分けや細部までの細かな描写はそれまでの日本画の中心であった水墨画や狩野派絵画からは発展的なものだったからです。そしてもう1つ、若冲の絵の特徴は目の前の物を写実することに加えて「想像と創造」を絵に取り込んだことです。
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上の絵は若冲が描いた「果蔬かそ涅槃図」、通称「野菜涅槃図」と呼ばれる絵です。(上の画像は絵葉書として販売されているものの写真を載せています。)もともとの所蔵は誓願寺でしたが、現在は京都国立博物館に所蔵されています。昨日の涅槃会の際、この「果蔬涅槃図」の複製画が誓願寺の本堂に掲げられていました。(誓願寺に里帰りした旨が書かれた新聞記事はこちら。)
涅槃図と言えば、お釈迦様が横になっている周りを弟子たちが見守っている画が一般的ですが、若冲の「果蔬涅槃図」ではお釈迦様が大根に、弟子たちが様々な野菜や果物になっています。これが若冲特有の「想像と創造」なのです。
若冲は錦市場の青物問屋の生まれなので、こうした野菜や果物の涅槃図を描いたのだと予想されます。(若冲に関する錦市場の解説はこちら。)この「果蔬涅槃図」には多くの美術史研究者が様々な解釈を加えてきました。例えば、大根と仏教思想が深いかかわりを持つなどの解釈です。様々な解釈はどれも首肯できるものですが、何よりこの絵を見た人それぞれがどう思うのか、が大事だと私は考えています。
恐らく、若冲がこの絵を描いた当時は「お釈迦様への冒涜だ」という否定的な意見もあったことでしょう。ただ、現代以上に信仰心が強く、それでいて仏教の教義を難しいと感じる信徒が多かった時代、身近な野菜や果物でお釈迦様の最期の光景を描き出した若冲は、多くの”普通”の人々に仏教を身近に感じてほしかったのだと、私は予想します。この絵は、子供が観ても「あの野菜は何ていう野菜だろう」という新たな発見を得ると同時に、お釈迦様への思慕の念を抱くことも出来ます。私は若冲の「想像と創造」は老若男女問わず多くの人に仏教を身近に感じてもらうための方途だったと考えています。
若冲の絵は、綺麗や美しいといっただけでなく、仏教への関心を高めるのに役立つものだと、昨日の涅槃会を通じて感じました。

念珠の形(時宗)

立春を過ぎたのに、とても寒い日が続きます。皆様は体調を崩されたりはしておられませんでしょうか?
弊社が店を構えるのは「“寺町”六角」と呼ばれます。「碁盤の目」として知られる、人工的に整備された京都特有の呼び方で、南北の通りの名前と東西の通りの名前を交差して位置を指し示します。つまり、「寺町通(南北の通り)」と「六角通(東西の通り)」の交差した位置にありますよ、ということを「寺町六角」と言えば通じるのです。京都の「洛中」と呼ばれる地域は、どんな細い道であっても通りに名前が付いています。「○○X丁目」という地名で呼称される地域は明治以降の都市計画で整備された場所で、こうした地名の呼び方でも都市整備の時期が分かるようで面白く感じます。
さて、この「寺町通」というのは、豊臣秀吉の京都整備に伴って成立した通りです。安土桃山時代には、この地域は「洛中」の東の端であり、また鴨川の河畔で地質としても良質の土地とは言えなかった場所でした。そこに豊臣秀吉は京都各地の大きな勢力を持った寺院を集めていきました。本能寺(法華宗)、誓願寺(浄土宗)といった大寺院がこの「寺町通」に移されました。
寺町通と、八坂神社の参道である四条通の交差するあたりに、かつては「四条道場」と呼ばれた金蓮寺という時宗の寺院がありました。現在はその塔頭の1つの「染殿院」が残されているだけですが、かつては巨大な寺域を誇る京都の念仏道場の中心でした。染殿院は、付近を歩いてみると商店街の中に奥まって佇んでおり、見落としてしまいそうな寺院ですが、とても歴史のある時宗の寺院です。
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時宗という宗派は、一遍上人によって開かれた宗派です。ひたすらに念仏を唱えること、そして「賦算」と呼ばれる念仏札をいろいろなところに貼ることが極楽往生のために必要なことと説かれました。一遍上人が1284年から約2年間京都での活動の拠点とされた場所が、この金蓮寺の起源です。(金蓮寺は現在、京都の北西部、鷹峯にあります。)
時宗と言うと「踊り念仏」が有名です。太鼓や鐘の音に合わせて「南無阿弥陀仏」と唱える光景は、一遍上人のお生まれになった伊予の阿波踊りを想起させます。踊り念仏を見ていると、「難しいことを云々言わぬとも、兎に角楽しく「南無阿弥陀仏」と唱えましょう!」と一遍上人が仰っているように感じます。
念仏を大事になさる時宗では多くの方が浄土宗と同じく日課念珠をお持ちになります。(日課念珠に関してはこちらをご覧ください。)念仏を多く唱えることに執心なさる一遍上人の御教えを体現しているように思います。時宗が京都でも、そして全国で広く広まったのは、何より一遍上人のお話が分かり易かったのが要因だと思います。仏教詩人の坂村真民先生が一遍上人を尊敬されて讃歌を出されているのも、そのためだと思います。
京都にはいろいろな宗派の寺院がありますが、なるほどこんなところに御教えが息づいているのか、と感じ入った一時でした。

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一遍上人語録 捨て果てて

著者:坂村真民 
出版社:大蔵出版
発売日: 1994/10/01
メディア: 単行本(ハードカバー)

 

犬が悟れるのか?

2月に入りました。新年を迎えたのはつい先日だと思っていましたが、既に1か月が経過してしまいました。
今年は戌年です。町で散歩している犬をよく見かけますが、いろいろな品種の犬がいて、新たな発見をすることがあります。犬はかわいらしい生き物ですが、さて、私たち人間と同じく、「佛」になることが可能なのでしょうか?
禅宗の語録に『無門関』というものがあります。この第一則に「狗子仏性(くすぶっしょう)」というお話が載っています。お話の内容は、ある僧が「犬にも仏性があるでしょうか?」と尋ねて、趙州和尚が「無」と答えた、という問答に続くものです。
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お釈迦さまは一切の衆生は皆仏性を持つ、と仰いました。先の問いに「犬には仏性はない。」と答えると、お釈迦様が違うことをおっしゃったのか、ということになります。では、「犬に仏性はあります。」と答えるとすれば、趙州和尚が「無」と答えたのは何故なのか、ということになります。
趙州和尚が答えた「無」というのは、恐らく「有無」の「無」ではないのだと思います。大きいや小さい、高いや低い、広いや狭いといった人間が主観を持って判断する基準などは、後から生み出されたものに過ぎず、そんなものに囚われていてはいけない。犬に仏性があるかないか、というのも人間の主観的判断であって、趙州和尚の言った「無」というのはそうした人間の価値基準を超えたものなのではないか――私はそんな風に考えています。すなわち、人間は自分からの目線ではなく、風や樹木など自然のありとあらゆるものからの視点を踏まえてこの世界を捉えなければならないのではないか、ということではないかと思うのです。
禅宗では初心者が拈提する(=考える)公案(=問題)と言われていますが、有名な鈴木大拙博士もこの「狗子仏性」の公案に取り組んだと言われ、この公案を拈提するだけでも悟りに一歩近づけるのです。
思いやる気持ちや孝行心など、どんな場合でも忘れずに持っていたい気持ちだと、私はこの公案を考えながらいつも心に念じております。本日は干支から関連したお話を致しました。

※このブログは、多くの方々に念珠、仏教、京都に関心を持って頂くことを目的として、週に1回程度の頻度で更新して参ります。

安田念珠店

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