4月 | 2017 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

明治神宮参拝

桜の季節が過ぎ去る前に、桜の写真を何枚か載せたいと思います。
【吉田山の桜】
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【待兼山の桜】
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【六甲台の桜】
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京阪神の三都を巡ってみました。
少し時期は遅いですが、私は「名残」が好きで、時期が遅れて咲く桜に趣を感じます。
では、今の都である東京の桜をご紹介します。
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先週、私は明治神宮に参拝致しました。最近刊行が続いています『昭和天皇実録』には明治神宮が鎮座された日(正確には鎮座は11月1日。)に次のような記述があります。
大正九年十一月二日火曜日
午前八時三十分御出門、御参内になる。九時、公式鹵簿にて宮城を御出門、明治神宮鎮座祭に天皇御名代として御参拝のため、官幣大社明治神宮に行啓される。明治神宮造営局副総裁床次竹二郎の先導にて神前に進まれ、本殿階下において御拝礼になり、宮司公爵一条実輝の奉仕により、玉串を供えられる。十時神宮を御発、再び御参内になり、天皇に復命される。ついで御内儀において皇后と御談話になり、十一時ニ十分宮城御出門、御帰還になる。
『昭和天皇実録 第二』(東京書籍、2015年)640ページ
ここでは、当時の皇太子 裕仁親王殿下(後の昭和天皇)が明治神宮鎮座祭に御参拝された様子が記述されています。ちなみに、明治天皇と昭憲皇太后の御陵(お墓)は京都・伏見の桃山御陵です。
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1920年に鎮座されましたので、2020年、東京オリンピックの年が鎮座100年なんですね。今は鎮座100年に向けて本殿の改修工事がなされていました。
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明治天皇は和歌を沢山詠まれており、明治神宮ではおみくじではなく明治天皇の御製歌(大御心〔おおみごころ〕と呼ばれています。)が引けます。大正天皇は漢詩を、昭和天皇は和歌を沢山詠まれておられます。
私は和歌が好きで一首詠みました。
尋ね入る 代々木の杜に 櫻花舞ひ
大御心を 拝し祀らん
春は花――本ブログのタイトルも道元禅師の和歌から拝借しております。上の歌も道元禅師の有名な歌から一部拝借しております。和歌はなかなか良いものだと感じます。
今日は桜の写真をお届けしました。

「念珠」の「珠」について(その2)

今回も前回の続きです。念珠の「珠」について考えていきます。
前回、「珠」とは「皆様の中の佛が表出したもの」と書きました。ここで私が「佛」と書いたことに疑問を抱かれた方もおられるのではないでしょうか?
というのも、「佛」といえば「仏陀」や「お釈迦様(釈迦牟尼佛)」のことを想起される方が多いのでは、と考えるからです。
確かに、お釈迦様は悟りをひらかれて仏陀(=悟りの境地に達した者。覚者。)となられました。ですから、「佛」と聞いてお釈迦様を連想なさることは間違いではありません。ただ、「佛」とは唯一絶対のものではないのです。
以前ご紹介した禅画で有名な白隠禅師が坐禅和讃というものを残されています。全文はこちらをご覧ください。坐禅和讃は「衆生本来佛なり」から始まり、「この身即ち仏なり」で終わります。
「衆生本来佛なり」とは「みんな仏さま」と解釈すると分かりやすいです。
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そして、「この身即ち仏なり」とは、その通り「この身がそのまま仏さまなのです。」と解釈できます。
お釈迦さまは2000年以上前の方ですが、生まれた時から仏様ではありませんでした。悟りをひらかれて、多くの説法をなさいました。それがお経や仏典として遺っています。私の想像ですが、悟りをひらかれたお釈迦さまが多くの説法をなさったのは、誰でも仏となる可能性がある悟りをひらくことが可能!)と感じられたからではないでしょうか?
皆は気付いていないかもしれないけれど、実は皆の中には仏さまが居るのだよ。」――――そんな風に仰っておられるように私は感じ、想像しております。もちろん、私個人の勝手な想像ですので間違っているかもしれません(笑)
ですが、白隠禅師の坐禅和讃を読んでも、そういった意味合いが読み取れますので、あながち間違ってはいないかもしれないとも思います。


お念珠を長く使い続けて頂くと、皆様の中にある「佛」が表出する。自らが気付いていない自分をお念珠を通して気付くことができるかもしれない。これが弊社が「念珠」という言葉にこだわり続ける理由だと考えております。

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人はみな仏である――白隠禅師坐禅和讃・一転語

著者:朝比奈宗源 
出版社:春秋社
発売日: 2011/05/20
メディア: 単行本(ハードカバー)
参考URL:http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-14421-3/
(春秋社)

 

「念珠」の「珠」について(その1)

さてさて、しばらく間が開きましたが、「念珠」について1文字ずつ考えることの続きを綴ってみたいと思います。
今日は「珠」という字についてです。「珠」という字を普段あまり使うことはないと思います。恐らく最もよく知られた単語は「真珠」ではないでしょうか?
「珠」を辞書で引くと次のように書かれています。
1.(水中で産する)丸いたま。しんじゅ。また、美しく、立派なものを形容することば。
2.真珠のように丸いもの。
『goo国語辞書』より
ふむふむ。つまりは、美しいものを指した言葉なんですね。しかし、「珠」は単に「美しい」だけではありません。
仏教の数多ある経典の中に『妙法蓮華経』というお経があります。一般には『法華経』として知られています。「南無妙法蓮華経」と毎日唱えておられる方には馴染み深いお経です。
『法華経』の中にはお釈迦様が分かりやすく喩え話をして下さっている部分があります。「7つのたとえ話」として知られているかもしれませんが、今回はそのうちの一つ「衣裏珠(えりじゅ)のたとえ」をご紹介します。
とある貧乏な男が金持ちの親友の家で酔って眠ってしまいました。金持ちの親友は、用事があって男が眠っている間に出かけなければならなくなりました。そこで彼の衣服の裏に高価で貴重な宝珠を縫い込んで出かけました。男はそれとは知らずに起き上がると、友人がいないことから、また元の貧乏な生活に戻り他国を流浪し、少しの収入で満足していました。時を経て再び親友と出会うと、親友から宝珠のことを聞かされ、はじめてそれに気づいた男は、ようやく宝珠を得ることができました。
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(上の画像の書は、京都・花園妙心寺塔頭・霊雲院住職の曇華室 則竹秀南老師様の揮毫された書です。)
このたとえ話は、無上の宝(つまり「佛」)を身に付けているにも関わらず、それを自覚せずに低い悟りで満足しているお釈迦様の弟子達への反省と感謝の込めた喩え話です。
真珠は生きた貝(アコヤガイなどが有名です。)の中に異物が入り、それが核となってあの美しい珠が出来上がります。
人も同じです。中身に実は素晴らしいものを持っています。そして、その人それぞれの経験や環境によって、その人独自の「珠」が出来上がって行くのではないでしょうか?
弊社の扱うお念珠には価格が様々あります。もちろん、高いお念珠をご購入頂くことはありがたいことなのですが、どんな価格のお念珠であっても、長く使い続けて頂きたい――これこそが弊社の最大の願いであります。
それによって、皆様それぞれの「念(=今を精一杯生きる心)」が入り、美しい「珠(=皆様の中の佛が表出したもの)」となる。これはお金では買えない、かけがえのない価値だと私は考えております。
今回は、「法華経」を手がかりに「珠」について考えてみました。「珠」については次回も取り上げてみたいと思います。

画でみる仏教

「日本の文化」を象徴するものとしては、アニメがあります。手塚治虫作品にジブリ作品、最近では『君の名は』や『この世界の片隅で』などもあります。
「日本最初のマンガ」と呼ばれるのは、京都・栂尾山高山寺(とがのおさん こうさんじ)の「鳥獣人物戯画」です。正確には分かりませんが、鎌倉時代の作品とのことですから、おおよそ800年ほど前のものなのですね。
そんな前から、日本では「絵」が描かれていました。そして「絵」は仏教の布教のために使われたのです!
その代表的なものが「禅画」と呼ばれるものです。昨年は臨済禅師1150年遠諱、白隠禅師250年遠諱を記念して京都と東京の博物館で展覧会が開かれました。実は弊社も、昨年の本店改装前にはずっと禅画を本店に掲げておりました。
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上の画像のものがその禅画です。「布袋解開」と呼ばれています。弊社が掲げていました画は、もちろん複写された画ではありますが、白隠禅師 の描いた布袋さんです。布袋さんが開いた袋から「壽」という字が読み取れるかと思います。この「壽」という字は「ことぶき」とも読めますが、「いのちながし」とも読めます。「いのちながし」とは、『論語』に出てくる「仁者壽(じんじゃ、いのちながし)」が出典です。「いのちながし」とは「長生きをする」という意味ですから、「ことぶき」でも「いのちながし」でも招福の意味があるように私は感じております。
私自身、何となくこの禅画を眺めてきたのですが、最近になってこの画を分かりやすく解説して下さった本が出版されました。『画題でみる禅画入門――白隠・仙厓を中心に』という本です。(詳細は本記事の最後をご覧下さい。)
茶の湯の床の間には最初、詩画軸(しがじく)が掛けられたと言われています。現存する最古のものは、大阪・藤田美術館所蔵の「柴門新月図(さいもんしんげつず)」〔国宝〕です。こちらをご覧いただければお分かりの通り、水墨画の上に文字が沢山書いてあり、十分な知識がないと太刀打ちできそうにないものですね。
その後、佗茶(わびちゃ)を大成した千利休が「圜悟(えんご)の墨蹟 」を大切にしたことから、茶の湯では禅僧の墨蹟が重用されるようになったのです。
白隠禅師は布教の為に達磨、布袋、釈迦などの画を描きました。約一万点にも上る禅画がある白隠禅師ですが、年齢を重ねることに画にも変化が生じているそうです。(例えば、本書45~50頁参照。)いろいろな発見がある本です。
いろんなことを書きましたが、何よりも面白い!とか可愛い!などと思うことに禅画は魅力があります。それがきっかけとなり、仏教への興味が湧いていくかもしれません。
この本には白隠禅師だけでなく、禅画の雄である仙厓和尚についての解説もありますから、是非この本をお手に取られることをお薦め致します。
本日は禅画を題材にお話をしてみました。

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画題でみる禅画入門――白隠・仙厓を中心に

著者:浅井京子 
出版社:淡交社
発売日: 2017/03/21
メディア: 単行本(ソフトカバー)
参考URL:画題でみる禅画入門
(淡交社)

 

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