11月 | 2017 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

念珠の形(浄土宗・その1)

この季節、紅葉が綺麗です。紅葉自体も綺麗ですが、その周りの木々などによって紅葉が引き立っているようにも感じます。こう見ると「主役」だけでなくそれを支える「脇役」が何よりも肝心なのだと思います。
【相国寺の紅葉】
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さて、今日は浄土宗について見ていきましょう。
浄土宗の宗祖・法然上人は様々な文書を遺しておられます。法然上人の御教えと浄土宗の本旨が一枚に詰まった「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」が有名ですが、今日は「発願文(ほつがんもん)」を見ていきたいと思います。
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(上の画像の書は知恩院門跡第83世門主・岸信宏猊下が揮毫なさったもの(複写)です。)
【原文】
願弟子等 臨命終時 心不顚倒 心不錯乱 心不失念
身心無諸苦痛 身心快楽 如入禅定
聖衆現前 乗仏本願 上品往生 阿弥陀仏国
到彼国已 得六神通 入十方界 救摂苦衆生
虚空法界尽 我願亦如是
発願已 至心帰命阿弥陀佛
【現代語訳】
願わくば、私たち念仏を唱える者が、命終わろうとする時に、心が迷ったり、心が乱れたり、我を失うことがありませんように
そして心と体に何の痛みも感じることなく、心身ともに安らかで、心穏やかにありたいものであります。
極楽浄土からお迎えにこられた阿弥陀さま、菩薩さま方よ、どうかお姿をお現しくださいませ。佛さまの私たちを救いたいという御本願のまま、極楽浄土へ立派に往生させて下さいませ。
極楽浄土に参りましたなら、六種の不可思議な力をこの身に備え、すべての世界で苦しむ人々を救うことができますように。
私のこの願いは、大空が果てしなく続いているように、永遠に続きます。
誓いを立て終わりました。真心を込めて阿弥陀様に帰依し奉ります。
この「発願文」は法然上人が、死を迎える時はこのように死に、死後はこのようにみんなを導いていきたいという願いを記したものです。
浄土宗では「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることが大切だと言われます。ただ、念仏を唱えることは、極楽へ往生し、その後に他の人々を救うために唱えるのだ、ということが「発願文」には記されています。念仏は、自らを救ってくれるだけでなく、他の人々をも救うものなのだと説かれているのです。
ご先祖様などこれまでの人々が「脇役」として支え、今を生きる私たちが「主役」となる。親孝行が大事だと言われるのは、こうしたことからも言えるのかもしれません。紅葉を眺めながら「発願文」を思い出しました。

念珠の形(真言宗・その2/南都六宗)

秋が深まってきました。
【大徳寺の紅葉】
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【東福寺の紅葉】
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京都の秋は紅葉の色づきに合わせて深まっていくのが感じられます。
さて、少し間が空きましたが、念珠の形の続きです。
先日までは天台宗と真言宗についてみてきましたが、天台宗と真言宗が開かれる前から仏教は日本にありました。その代表が奈良の寺院です。総称して「南都六宗(なんとろくしゅう/なんとりくしゅう)」と呼ばれます。「京都から見て南の旧都にある6つの宗派」という意味ですが、6つの宗派の内、大きくは3つの宗派が現在もその流れを遺しています。東大寺(華厳宗)、薬師寺、興福寺(以上、法相宗)、法隆寺(聖徳宗〔法相宗の一派〕)、唐招提寺(律宗)といった奈良の大きなお寺に加えて、京都には清水寺(北法相宗〔法相宗の一派〕)や新撰組ゆかりの壬生寺(律宗)といったお寺があります。
南都六宗は国を護るための仏教でした。ですから、天皇や貴族といった階層の人々がその対象で、一番大切なことは国を護るためにお祈りすることでした。その後の宗派が一般の民衆を救済することを目的としていたのとは少し趣が違います。
国を護ることが第一義ですから、時代を経るごとに密教の影響、特に真言宗の影響を受けることとなります。真言宗は即身成仏(=生きた人間が行をすることで悟りをひらいて仏になること)と鎮護国家(=仏教で国を護ること)の2つが大きな綱領ですから、自然な流れと言えます。例えば、かつて南都六宗の1つを形成していたお寺に西大寺があります。西大寺は名前の面からも東大寺と対であることが分かると思いますが、西大寺は現在真言宗の一派である真言律宗となっています。
ですから、南都六宗の宗派の方々も真言宗のお念珠を用いられます。
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上の画像は真言宗のお念珠です。お念珠には一般的に主珠で構成されるお念珠本体から双方向に房という部分が出ています。上の画像の通り、真言宗のお念珠には表房と裏房の両方に弟子珠と露珠が付いています。そして、表房にだけ浄明珠という珠が付いています。浄明珠は表房の位置を示す珠です。というのも、電気のない暗闇でお祈りをする時に、真言をどれだけ唱えたのかを数える際、表房と裏房が分かることが肝心だからなのです。実用面を考慮して、こうした形が出来上がったのだと私は考えています。
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真言宗のお念珠は、国を護ることを目的とした宗派の成立から実用を踏まえて形が出来上がっていったのだと分かります。お念珠の形を見るだけで、日本の仏教の歴史を垣間見ることも出来るようにも感じます。

大丈夫 心配するな なんとかなる

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ここ数回は宗派による念珠の違いをみてきました。続きは次回以降にして、今回は私の感じたことをお話ししようと思います。


先日、神奈川県座間市のアパートから9人もの遺体が発見される事件がありました。亡くなった方々は自殺願望があり、犯人は被害者の自殺を手伝う意図を持って近付き、犯行に及んだとのことです。
この事件は、私にとって非常に衝撃的でした。本気で「死ぬこと」を希望する人がこれほどまでに多く、にもかかわらず自力で死のうとしなかった。もしかすると、被害者の方々は同じ気持ちや同じ経験をした人を捜し求め、そういった人と苦しみを共有したかったのではないか?――私はそう考えるのです。
最近はインターネットの普及に従って、TwitterやFacebookなど様々なSNSが広く利用されるようになりました。これは人々の「つながっていたい」という欲求を満たすツールとして爆発的に広がりました。電車に乗って携帯電話を操作している人が大勢いるのは、”誰か”と”いつでも”「つながっていたい」という気持ちを大勢の人が持っていることの証左です。
ただ、人との「つながり」がどうも表面的になってしまったようにも感じます。本当に困った時に相談したり助けてくれる家族や友人、近所の人が少なくなったようにも思います。
私の好きな言葉に「大丈夫 心配するな なんとかなる」という言葉があります。「一休さん」で有名な一休宗純禅師が最期の時に、その弟子たちへ「本当に困った時に開けなさい」と言って遺した箱の中にあった言葉だと伝えられています。弟子たちは寺が窮地に追い込まれ、手を尽くした後にこの言葉を見て、笑ってしまったと伝わっています。
(右の画像の掛物は京都・東山建仁寺管長・小堀泰巖老大師様が揮毫なさったものです。)
生きるというのは面倒なことや大変なことの連続ですが、生きていれば楽しみや喜びを感じることも出来ます。決して悲観的にはならず、楽天的に生きる事が大切なのだと感じます。
今回の事件の報道に接して、窮地に陥った時に相談に乗ってくれたり、助けてくれる方を1人だけでも良いので持つ必要性を痛感しました。そして、血縁関係がなくともお世話になった先生やご近所の方々など、自らと関わりを持った人々を定期的に気遣うことが大事であると、今回の事件を機に一層強く感じました。
今回は、私の感じたことをお話ししました。

念珠の形(真言宗・その2)

11月に入って秋らしさが増してまいりました。
昨日、私は洛東の金戒光明寺に参りましたが、徐々に色づき始めたお庭を見ることができました。
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さて、前回から真言宗についてみています。真言宗では他の宗派に比べて特に念珠を大事にされます。それもそのはず、宗派の名前からも分かる通り「真言(真理を表す仏様の言葉)」を大切にしたお宗旨だからです。この「真言」を数えるためにお念珠は用いられます。
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真言宗の教えの基礎をなすのは「密教」です。「密教」とはその名の通り「秘密の教え」です。これと対比される「顕教」、つまり「顕らかな教え」を修得した人だけが学ぶことのできる教えです。
真言宗では大日如来様と一体となることを目指して行がおこなわれます。この大日如来様、手の組み方が特徴的です。忍者が忍法を唱える時の手の組み方と似ているように感じます。勝手な解釈ですが、密教での「秘儀(秘密の儀式)」は忍者の忍法と同じく、修行をやり遂げた人だけに許されるものであると理解できると思います。
(詳しい解説は京都国立博物館のホームページをご覧ください。)
真言宗では、大日如来様と一体となることが重要とされています。そのために自然の中で修行をします。滝に打たれる行などはこうした考えから生み出されたものです。大日如来様は万物を超越しておられますが内在もしておられます。これはつまり、「自然の中のどこかに居られる大日如来様が、実は自らの中に内在していることに気が付く」ために修行していると理解できるように思います。
簡単に言えば、「大日如来様を喜ばせ、大日如来様が存在をお知らせくださり、自らの近くに居られることに気付く」が真言宗の教えではないかと考えています。(「大日如来様を喜ばせる」という表現は語弊があるかもしれませんが、「大日如来様に自らを気付いていただく」という意味合いでこの表現を用いています。)
真言宗のお念珠の特徴は、真言を唱えて大日如来様を喜ばせること、そのお道具として念珠は用いられています。

※このブログは、多くの方々に念珠、仏教、京都に関心を持って頂くことを目的として、週に1回程度の頻度で更新して参ります。

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