5月 | 2017 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

心地よい風

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5月も下旬になり、一気に暑くなりました。そんな中でも外を歩いていて、時折吹く風を感じるのはとても心地良いものです。
風も季節によって呼び方が少し変わってきます。
春(3月末~4月):春風(しゅんぷう)
5月:薫風(くんぷう)
6月:涼風(りょうふう)
7月:松風(しょうふう)
それぞれに出典がありますが、今回は5月の「薫風」をご紹介しようと思います。この言葉の出典は「薫風自南来」です。
(右の画像の書は、鎌倉・巨福山建長寺管長・栢樹庵 吉田正道老師様の揮毫された書です。)
「薫風自南来」は「くんぷうじなんらい」とそのまま音読みする場合と、「くんぷうみなみよりきたる」と読み下す場合があります。この言葉には「殿閣微涼を生ず」という続きの語があります。
意味としては、「心地よい風(ほのかな香りのする風)が南から吹いてきて気持ちが良いなぁ。暑さの中、宮殿も心地よい涼しさに包まれた。」と字面からは読み取れます。
この言葉は昔の中国の皇帝〔唐の文宗(ぶんそう)〕が詠んだ詩が出典です。皇帝の住んでいた宮殿は南向きに建てられていましたから、南からの風を感じたのですね。実は、半年ほど前にご紹介した「南無」についてもこうした経緯から、南基点になったのではないか!?と私は考えております。
暑い日々、頭がボーっとしてしまう季節となりますが、そんな時に涼しい風を感じると本当に心地いいものです。物事に関しても、色々考えていると「煮詰まって」しまい、良い案が浮かばない時があります。そんな時、「ちょっと一息」を入れることも大切なのです。日本では昔から「三時のおやつ〔御八つ(=昔の時刻を表す言葉で、現在の午後2時~午後4時のことを指します。)〕」という習慣があります。これは「薫風自南来」に通じる習慣だと私は考えております。
宋の時代の詩人・蘇東坡(そとうば)が批判したことでこの言葉は有名になったそうです。(禅語としては、大慧禅師の大悟の語として知られています。)
実は蘇東坡という詩人は前回の「無一物中無尽蔵」にも関わりのある人物です。揮毫して下さった老師様も前回と同じく栢樹庵老師様です。弊社は京都で商いをしておりますが、鎌倉を陰ながら支える役目を仰せつかっております。(参考までにこちらをご覧ください。)
今回は季節の言葉をこれまでの記事と関連してご紹介致しました。

一生懸命生きて見えるものとは?

皆様方も近親者を亡くされたご経験をお持ちのことと思います。先年に私の祖母も鬼籍に入りました。
祖母の葬儀が終わった後、火葬場に行きました。祖母と本当に最後のお別れをした後、40分くらいで「再会」しました。
「再会」した際、私は何とも言えないあっけなさを感じました。人間はこんなにも儚いものなのか、と。
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本ブログでは「皆様の中の『佛』」や「無相の自己(formless self)」などとお話をして参りました。物理的な人間というものは非常にあっけないものなのだと思います。それは体の大きな人も体の小さな人も同じです。「人」を科学的に説明すれば、たんぱく質が……、水分が……、、、、、などと説明できるとは思います。でも、それでは「人」を説明できたとは言えないように思います。
「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」という言葉があります。似た言葉に「本来無一物」という言葉があります。これは、人とは「本来無一物」である、つまり、人とはもともと何もないものだ、という意味です。ただ、「何もない」のであれば、「塵も埃も積もらないではないではないか!」という批判もあります。一方で、「何もない」という境地を目指して一生懸命生きていくことは、これもまた大事なことなのです。(難しいです。。。)
「無一物中無尽蔵」とは、「何もないこと」の境地に達すればそこには大いなる世界が広がっている、というように私は解釈しています。「自らが気付いていない自分」を今を一生懸命に生きる事で見付け出せば、その先には大いなる世界が広がっているのではないか、私はそう思っています。
人間とは儚いものなのですが、今を一生懸命生きていけば大いなる世界に接することができる可能性を秘めているんですね。今を一生懸命生きる折々に、念珠がその傍らにあることが弊社の一番の喜びです。
本日は、祖母の命日が近付いていることもあり、個人的なお話をさせて頂きました。
(上と右の画像の書は、鎌倉・巨福山建長寺管長・栢樹庵 吉田正道老師様の揮毫された書です。)

念珠に表出する”もの”

5月も3分の1が過ぎました。少し更新が滞っており、申し訳ありませんでした。
ゴールデンウィークを皆さんはどのように過ごされたでしょうか?私は専ら自宅に居りました。一生懸命勉強をしていました、、、と言いたいところですが、少しアニメ鑑賞をしていました(笑)
観ていたのは『らんま1/2』というアニメです。『うる星やつら』などで有名な高橋留美子先生の作品で、ご存知の方も多いと思います。主人公の早乙女乱馬は 水を被ると女性に、お湯を被ると男性になる(元に戻る)体質です。乱馬の父は、水をかぶるとパンダに、お湯を被ると男性に(元に戻る)なります。
『らんま1/2』は、乱馬と許嫁のあかねがいろいろな敵と戦って仲を深めていくストーリーです。ドタバタ劇が面白いので大型連休にアニメを観てしまいました。最近では、新垣結衣さんが主演で実写化されましたので、そちらをご覧になった方も居られるかもしれません。
乱馬とあかねの関係は、女・乱馬と男・乱馬で当初少し違っているのですが、徐々にあかねは乱馬自身を好きになって行きます。
先日、本ブログで「念珠」の「珠」についてお話しした際に、「自らが気付いていない自分」と書きました。しかしながら、「これはどうもよく分からない。」とのご感想をいただきました。ありがとうございます。
『らんま1/2』を観ていて、女・乱馬、男・乱馬と外見が大きく異なる「乱馬その人」をあかねが好きになって行く過程が、「自らが気付いていない自分」を好きになって行く過程のように思えました。


「大きい・小さい」「長い・短い」などの視覚による情報で私たちは物事を判断してしまいがちです。そうした基準は客観的な基準ですが、人間はそんな客観的な基準だけで判断できません。どうしても感情というか、気持ちが表に出てきてしまいます。
自分自身の外見を取っ払って、「自分とは何か」を説明する。これが「自らが気付いていない自分」なのではないか、と考えています。
形や色や大きさなどの基準で説明できない自分、「無相の自己(formless self)」が長年使い続けた念珠に表出するのではないか、私はそのように考えています。

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東洋的無

著者:久松真一 
出版社:講談社
発売日: 1987/01/06
メディア: 文庫本
参考URL:http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061587700
(講談社BOOK倶楽部)



(6月5日追記)5月9日に本記事をアップいたしました際に埋め込んでおりました動画について、適切にアップされた動画ではありませんでした。ご指摘を頂戴いたしましたので、埋め込みを削除いたしました。お詫び旁御礼を申し上げます。今後共、ご指導のほどをよろしくお願い申し上げます。

※このブログは、多くの方々に念珠、仏教、京都に関心を持って頂くことを目的として、週に1回程度の頻度で更新して参ります。

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