一生懸命生きて見えるものとは? | 春は花

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一生懸命生きて見えるものとは?

皆様方も近親者を亡くされたご経験をお持ちのことと思います。先年に私の祖母も鬼籍に入りました。
祖母の葬儀が終わった後、火葬場に行きました。祖母と本当に最後のお別れをした後、40分くらいで「再会」しました。
「再会」した際、私は何とも言えないあっけなさを感じました。人間はこんなにも儚いものなのか、と。
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本ブログでは「皆様の中の『佛』」や「無相の自己(formless self)」などとお話をして参りました。物理的な人間というものは非常にあっけないものなのだと思います。それは体の大きな人も体の小さな人も同じです。「人」を科学的に説明すれば、たんぱく質が……、水分が……、、、、、などと説明できるとは思います。でも、それでは「人」を説明できたとは言えないように思います。
「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」という言葉があります。似た言葉に「本来無一物」という言葉があります。これは、人とは「本来無一物」である、つまり、人とはもともと何もないものだ、という意味です。ただ、「何もない」のであれば、「塵も埃も積もらないではないではないか!」という批判もあります。一方で、「何もない」という境地を目指して一生懸命生きていくことは、これもまた大事なことなのです。(難しいです。。。)
「無一物中無尽蔵」とは、「何もないこと」の境地に達すればそこには大いなる世界が広がっている、というように私は解釈しています。「自らが気付いていない自分」を今を一生懸命に生きる事で見付け出せば、その先には大いなる世界が広がっているのではないか、私はそう思っています。
人間とは儚いものなのですが、今を一生懸命生きていけば大いなる世界に接することができる可能性を秘めているんですね。今を一生懸命生きる折々に、念珠がその傍らにあることが弊社の一番の喜びです。
本日は、祖母の命日が近付いていることもあり、個人的なお話をさせて頂きました。
(上と右の画像の書は、鎌倉・巨福山建長寺管長・栢樹庵 吉田正道老師様の揮毫された書です。)

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