2018 | 春は花

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春は花

観音様~出逢いに感謝~

カレンダーを新しくする時期です。いよいよ年の瀬となりました。
本年は私自身が歩いてもしくは車や電車に乗って、いろいろな所へ行った年でした。きっかけは本年4月末に観音霊場の納経軸を発見したことでした。
まずは京都に住んでいるのだからと、洛陽三十三所観音霊場を巡りました。そして、西国観音霊場を巡り終えた私は百観音を目指して現在巡礼を続けています。
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8月にご紹介した納経軸は仏様となって先日、我が家にお迎えしました。
観音様は三十三の御姿に変化(へんげ)して私たちの身近に御出で下さると言われていますが、本年は観音様を通じて沢山の方々との出逢いがありました。恐らく私の人生の中で最も多くの方々と出逢い、お話しできた一年だったのではないかと思います。人と出逢い、話をすることで自分自身を見つめ直し、智慧を得ることができるのだと感じました。
本年も気の赴くままに綴ってきましたが、お付き合いいただいた皆様方に感謝しつつ、本年は筆を擱くことといたします。
よいお年をお迎えください。

「苦しみ」こそ光り輝いている

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毎年のことですが、どうも私は年末になると気が重くなります。何であっても「終わり」に近づくと寂しい気がするのです。
私は同世代の人々に比べると失敗が多かったと思います。人生の進路に関しても、あっちに行ったりこっちに行ったりすることが多くありました。生来の楽天家なので「何とかなるさ。」と思っているのですが、そういった性格でも落ち込むことは数多くありました。


今から4年前、2014年(平成26年)11月でした。初めて一人で老大師さまに相見することになりました。お話が終わってから「頑張りなさい。」と添えて下さり、お言葉を賜りました。
「古人曰 刻苦光明必盛大也」(こじんいわく こっくこうみょうかならずせいだいなり)
禅語集など解説本を読んで、出典や字義などを調べました。その時は「頑張れば花開く日が来るんだな。」程度に思っていました。
それから4年、私自身にはいろいろなことがありました。呑気に過ごしているようですが、それなりに「苦しい」と思うこともありました。
先日、その言葉の意味が何となく分かったような気がしました。「苦しみは将来の幸せのための準備だ」と思っていましたが、「苦しみを感じることこそ”生きている幸せ”を感じることなのだ」なのだと。
「生老病死」という四つの苦しみがありますが、いやいや「生きていることは幸せ」なのだと思いました。苦しみを感じる、それこそ生きている証拠、生きていることは何て幸せなんだろうか。そういったことがこの言葉には込められているのではないだろうか、と思った次第です。
雑駁ですが、4年ほど経過して何となく意味を理解できるようになりました。いろいろな方々にいろいろなことを教えて頂くことは、生きていく上で大切なことだなと感じた1週間でした。

総持寺~包丁の道~

12月も半ばです。今週は一気に寒くなりました。
1週お休みしていましたが、今週から再開いたします。
石塔(総持寺)
私は阪急電車を頻繁に利用します。その沿線に「総持寺駅」という駅があります。幼い頃からお寺があることは認識していましたが、それ以上の認識はしていませんでした。西国巡礼を始めて、この「総持寺駅」が西国霊場の総持寺の最寄り駅だと分かりました。
【山門】
山門(総持寺)
【山門から本堂を】
山門から本堂を(総持寺)
さて、総持寺の起源は、藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)という公家が助けた亀によって命を救われるという逸話で良く知られています。山蔭の父が亀を助けた日、山蔭が継母に川へ突き落されてしまいますが、その亀に乗って山蔭は帰って来る、というお話です。その日が18日、観音様の縁日だったので総持寺が建立されたと言われています。
【本堂全景】
本堂全景(総持寺)
藤原山蔭は大人になってから宮中で料理法の策定に関わったそうです。その中で包丁道を確立しました。魚(大抵の場合は鯛)を決まった所作に従って捌いていく儀式です。
【包丁塚】
包丁塚(総持寺)
包丁”道”というくらいですから、「礼に始まり礼に終わる」ものです。こうしていろいろなお寺をお参りし、色々な文化に触れると、日本の文化の意味づけが少しずつ分かってくるように思います。
華道は六角堂の如意輪観音さまへのお供えから始まったもの、茶道も神仏への献茶の為に確立されてきたもの、そして包丁道は天皇陛下への献上の為に確立されたものと考えることができます。
日本には「道」と付くものが沢山あります。ただ単に花を活ける、お茶を点てる、魚を捌くという行為だけではなく、そこに気持ち、心を込めなければならない、ということが「道」の根底にはあるのだと感じます。
【総持寺の御詠歌】
「おしなべて 老いも若きも 総持寺の 仏の誓ひ 頼まぬはなし」
御詠歌(総持寺)

善峯寺~要のお釈迦様~

早12月です。今年は秋が無く、夏からすぐに冬になった気がします。
寒さが厳しくなると、冷えて腰が痛くなる方も居られます。冷えは万病の基、お気を付けください。
昔からこうした腰痛や神経痛に悩まされた人が多くいました。そうした人々を癒したのも仏様でした。京都の西山の善峯寺が今回ご紹介するお寺です。
【山門】
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【本堂(観音堂)】
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山に建つ善峯寺は京都市内を一望できるポイントが各所にあります。
【鐘楼堂付近からの眺望】
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善峯寺は多くの親王が住職となった格式の高いお寺です。その寺域が広い、伽藍が立派であるなど、目を見張るところがありますが、西山からは京都と比叡山をまとめて見ることができます。どこかで変化が起きた場合や緊急時に天皇などが避難できるように整備されたのだろうと考えられます。昔から、京都の人々は何かが起きてもイエが存続するように離散しておいて、緊急時に備えていました。
【遊龍の松】
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善峯寺の見どころは「遊龍の松」でしょう。背丈は1mほどですが、とても大きく広がった松です。国の天然記念物に指定されています。恐らく人工的に作り上げられた形状なのでしょう。簡単に言うと「盆栽の大作」と言えると思います。
今回のお参りでは、観音堂よりも釈迦堂でのお勤めの方が何だか気持ちが良い気がしました。本堂は参拝者でにぎわっていましたが、少し登ったところにある釈迦堂は内陣でお参りができるにもかかわらず参拝者も少なく、仏様と近くでお参りすることができました。
【釈迦堂と西山】
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釈迦堂の裏では夏季(5月~10月)の第二日曜日に薬湯場が解放されます。昔から多くの参拝者が薬湯に浸かって腰痛や神経痛を癒していました。
【善峯寺の御詠歌】
「野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立」
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仏様に近いお参りをすると、薬湯に浸かったような何とも言えない気持ち良さを感じます。御詠歌にもあるように、雨が上がって観音様が良い方向にお導き下さるような気がします。普段の喧騒を少し離れて、心を洗う所業も大切だと思うお参りでした。

穴太寺~矢傷のある観音様~

秋が深まりを見せています。
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京都市から北西に亀岡市があります。亀岡市に在るのが穴太寺(あなおじ)です。
【山門】
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穴太寺の本尊様は逸話があります。宇治宮成(うじのみやなり)というお侍さんがいました。宇治宮成の奥さんはとても信心が厚く、京の都から仏師・眼清(がんせい)を招いて聖観音像を彫ってもらいました。宇治宮成の妻は眼清へ御礼の印として白馬を与えたそうです。宇治宮成はその白馬が惜しくなり、先回りして白馬に乗った眼清を矢で射てしまいました。戻ってきた宇治宮成は眼清が彫った聖観音像に矢が刺さり、血が流れているのを目にします。観音様は眼清の身代わりになったのです。宇治宮成はその一件で改心して仏門に入ったそうです。
【本堂】
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【多宝塔】
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そして、穴太寺には「安寿と厨子王」で有名な厨子王がかくまわれたお寺です。
【穴太寺の御詠歌】
「かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声 」
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長閑な田園地域に佇む穴太寺は御詠歌の通り、こんな苦しみの多い世の中に生まれたことを憂えずに、観音様に思いを聞いてもらって、私たちの苦しみ悩みを矢傷の如く観音様に受けて頂きたいと感じるお寺でした。

今熊野観音寺~頭痛封じ~

紅葉が色づいてきました。
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さて、本日は今熊野観音寺のお参りの様子のご紹介です。
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今熊野観音寺は正式名称を「新那智山 観音寺」と言います。その名の通り、西国第一番札所の那智山青岸渡寺のある熊野三山の権現さまを京都に招来してできたお寺であります。
【本堂】
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今熊野観音寺の御本尊は弘法大師が熊野権現から天照大御神の彫った観音様を授けて、洛東に観音堂を建立するように言ったという言い伝えがあります。そして、後白河天皇が頭痛に悩んだ際に頭痛を治した観音様としても知られます。
【大師堂】
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境内にボケ封じの観音様があるのもこうした経緯からです。
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【医聖堂】
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この医聖堂は医術と宗教の双方を大切にすることを願って建てられたものです。頭痛封じのお寺としての特徴を表していると思います。
【本堂と医聖堂】
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後白河法皇は頭痛が本当にひどかったようです。今熊野観音寺をお参りして、頭痛封じの観音様とのご利益を目にしましたが、こうした後白河法皇の頭痛を封じるために平清盛の寄進によって三十三間堂が建立されています。そして三十三間堂は「頭痛山平癒寺」と呼ばれるようにもなったそうです。三十三間堂の御本尊様並びに1001躯の観音様は後白河法皇の頭痛平癒の為の観音様なのだと分かりました。
嘗ての天皇の信仰を垣間見ると、どのように観音様にお詣りなさっていたのだろうか、と思いを馳せてしまいました。
【今熊野観音寺の御詠歌】
「昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり 」
御詠歌(今熊野観音寺)

南都の観音様~南円堂と二月堂~

秋も深まってきました。
京都(平安京)に対して南にある奈良の旧都・平城京をかつて「南都」と呼びました。現在の奈良市を中心とした地域です。かつては政治経済の中心地でしたので、もちろん仏様がおいでになります。
近鉄奈良駅から徒歩5分ほどで到着するのが西国第九番札所の興福寺南円堂です。
【興福寺南円堂】
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南円堂の御本尊は不空羂索観音さまです。西国の札所で不空羂索観音さまが御本尊なのはこちらだけです。南円堂は藤原氏の元祖春日明神を祀った春日大社の傍らに、藤原冬嗣が子孫繫栄の為に建てたことが始まりと言われています。こうした経緯から、南円堂は興福寺の中にありながらも、明治の廃仏毀釈に遭うことがありませんでした。現在の南円堂は江戸時代の寛保元年(1741年)に建てられたものです。興福寺は明治期の廃仏毀釈で大きな打撃を受けたお寺です。時代の流れの中で歴史的な建造物が沢山壊され、仏像なども多くが海外へ流出しました。
【興福寺中金堂】
興福寺中金堂
興福寺の本堂である中金堂は2018年10月、300年ぶりに再建されました。創建1300年の興福寺は本堂を焼失したまま300年もの間を過ごしていたのです。これは歴史的なことであると思います。
【興福寺五重塔】
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歴史を知りつつお参りをすると、現在こうして仏様にお目に掛かれるのは先人たちの努力の賜物なのだとつくづく感じます。
【興福寺南円堂の御詠歌】
「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲」
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南円堂を遠くから見ると御詠歌を詠われた花山法皇の気持ちがしみじみと分かります。もちろん今は「秋の日は」なのですが。
【興福寺南円堂を望む】
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さて、南円堂から徒歩10分程度で東大寺の二月堂に到達します。道中には東大寺大仏殿を見ることができます。
【東大寺大仏殿】
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東大寺二月堂は十一面観音様をご本尊とするお堂です。
【東大寺二月堂】
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修二会の映像を観たことがある方も多いと思います。
【修二会の様子(朝日新聞社)】
こちらは内陣に上がってお参りすることができます。
【東大寺二月堂からの眺め】
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奈良の景色を一望できる二月堂から、観音様は皆の安寧を願っておられるのだと感じます。
【東大寺二月堂の御詠歌】
「ありがたや ふしぎは一か二月堂 若狭の水を むかへたもふぞ 」
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南都では実に心地よい風を感じ、歴史を垣間見るお参りでした。

六波羅蜜寺~あの世とこの世の境界~

11月となると「涼しい」ではなく「寒い」という肌感覚になりました。季節は移り変わります。
あの世には行ったことがありませんので分かりませんが、誰もが死んだ後に行くことになるので実は身近な世界なのだと思っています。もしかすると、明日交通事故で死んでしまうかもしれない。こんな儚い世界に私たちは住んでいるのですから。
【本堂の扁額】
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昔の京都の人々はあの世とこの世の境目を御所から見て巽[辰巳]の方角(南東の方角)に定めていました。実際、御所から見て南東方角には西国観音霊場の第10番から第17番までの寺院がかたまっています。その中で第17番札所の六波羅蜜寺が今回お参りしたお寺です。17は33の丁度真ん中で、六波羅蜜寺は西国観音霊場の中央札所と言えます。
【本堂】
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六波羅蜜寺は浄土教の先駆者である空也上人が開基したと伝わるお寺です。空也上人は観音像を引きながら「南無阿弥陀仏」と唱えて京都中を廻られたそうです。平安時代、仏様は民衆にとってどれほど近い距離だったのでしょうか?想像するに民衆と仏様の距離は今より遠かったと思います。仏様はどちらかと言えば天皇や貴族など身分の高い人々の帰依によって日本に広まっていたからです。
空也上人は貴賤を問わず念仏を弘められました。平安時代、平安京造営がある程度落ち着いた時代にやっと民衆に仏様が近くなってきたのだと想像できます。そして空也上人があの世とこの世の境目である、都の巽に六波羅蜜寺を開基されたのも多くの民衆を救うためだったと想像できます。六波羅蜜寺は当初名前が「西光寺」と言いました。西方浄土から阿弥陀様がお越しになるということが寺院名にも如実に表れています。
【山門前の観音像(ご本尊様の写し)】
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本堂で観音様にお参りをした後、本堂横に在る地蔵堂へ行きました。こちらには銭洗弁財天様が居られます。
【地蔵堂】
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鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社の銭洗弁財天様が有名ですが、西国には六波羅蜜寺の銭洗弁財天様が居られます。
鎌倉の弁財天様はお金を洗って、そのお金を使わねばなりませんが、六波羅蜜寺の弁財天様では洗ったお金を動かさずに自宅の賢所で保管しなければなりません。弁天様は川の神様ですので、川の流れのイメージに起因して龍や蛇と結びつきました。その為、干支の辰や巳と結びついているのです。弁財天様には巳の日にお参りするとご利益がある(お金が増える)と言われているのもそうした理由からです。都の巽[辰巳]に六波羅蜜寺があり、弁財天様が居られるのも実はこうした意味があるのだという事が分かります。
滝などの水が激しく流れるところに不動明王さまが居られるように、都からの方角に応じて神仏が居られるのは恐らく易学が深く影響していたのだと思いを馳せながら、今回は六波羅蜜寺をお参りしました。
【六波羅蜜寺の御詠歌】
「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば」
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鎌倉を巡る

秋が深まってきました。
今週、私は関東方面へ出向きました。半日かけて三浦半島に所在する坂東三十三観音霊場の札所を巡りました。
まず訪れたのは第一番札所の杉本寺です。
【杉本寺 本堂へ繋がる階段】
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【杉本寺 本堂】
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杉本寺は本堂内陣に昇殿することができ、たくさんの仏様を間近に拝むことができるお寺でした。鎌倉時代より以前から存するお寺ですので、由緒正しきお寺にもかかわらず、仏様をとても近くに感じることができるお寺でした。
次は鎌倉市から逗子市まで足を延ばして第二番札所の岩殿寺にお参りしました。
【岩殿寺 観音堂】
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【岩殿寺観音堂から逗子の海を望む】
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岩殿寺は山肌に建っているお寺です。観音様が逗子の海を眺めるために建てられたお寺のように感じました。
そして次に訪れたのは長谷寺です。
【鎌倉長谷寺山門】
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【鎌倉長谷寺観音堂】
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こちらは大和長谷寺と同じく巨大な十一面観音立像が観音堂に居られます。こちらの観音様も徳道上人が彫られた観音様という言い伝えがあります。(大和長谷寺についてはこちらをご覧ください。)
【鎌倉長谷寺観音堂前から相模湾を望む】
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三浦半島に在する札所は、山と海に囲まれた土地に観音様が鎮座しておられることもあり、「観音様が山に腰かけて海を眺める」という構図になっていることが多いように感じました。海は時に荒れて人々に災いをもたらすことがあります。海の平安を願い、昔この地に住んだ人々が観音様に救いを求めたのだと感じました。
建長寺へお参りし、開山の蘭渓道隆禅師の塔所である昭堂をお参りしました。正面からだけでなく、西来庵からもお参りしました。昭堂の屋根は間近で見ると素晴らしいです。
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鎌倉、逗子という場所にはまだまだ多くのお寺があります。京都から政治の中心が移った場所だけあって、800年近く前のいろいろな由緒や建造物などに触れることができました。

革堂~鹿で繋がる神と仏~

弊社の北側の通り、六角通は西国18番札所の六角堂頂法寺から来ています。東側の寺町通を北上すると西国19番札所の革堂行願寺があります。札所を順番に廻っておられる方々は六角通を東へ進み、誓願寺様を拝して寺町通を北上される方が多いです。こう考えると弊社の存する「寺町六角」は西国18.5番というところでしょうか!?
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本日は革堂のご紹介です。
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私自身は西国巡礼を意識する遥か前、未だ中学生だった頃にこの革堂に立ち寄りました。自転車通学をしていた私は通学路の途中に在るお寺や神社によることがよくありました。街中に在るそれほど大きくないお寺ですが、街中の喧騒とは時空が違うように感じたのを覚えています。
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「革堂観音」と呼ばれる通り、観音様をご本尊とするお寺です。開山の行円上人が出家前に身ごもった鹿を射止めたところその傷口から仔鹿が産まれたのを見て発心し、仏門に入られたとの伝説があります。行円上人は自身が射止めたその母鹿の革を身に付けておられたため、「革堂」と呼ばれるようになったとのことです。
さて、革堂には七福神の寿老人(「寿老神」とも)が祀られています。寿老人は長寿の神様で、いつも牡鹿を連れておられます。鹿つながりで観音様と寿老人とが結び付くようでとても興味深く感じます。
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この寿老人像は桃山時代のもので、豊臣秀吉が安置したと伝わっています。その縁起を山田恵諦座主が記されたものがお堂の扁額に掲げてあります。
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京都の中心部は神様や仏様が多く居られる土地ですが、驚くほど身近にこうした立派な仏様や神様が佇んでおられることを再認識しました。
【革堂の御詠歌】
「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」
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安田念珠店

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