12月 | 2019 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

念じることの大切さ

1年が経つのが早いですね。今回で本ブログの本年の更新は最終となります。
今年一年もお祈りすることが多かったです。ただ、昨年に比べると、何かご利益(プラスのこと)を求めるよりも、何もなく無事に過ごせることを願ってお祈りした一年だったように感じます。お陰様で私に大きな病気や怪我はなく、また弊社も大きな災いが巻き起こることはなく、何とか年を越せそうです。
20190212161811_00001
お祈りをすることはすぐに結果が出ないので、2度や3度程度で止めてしまいがちです。ですが、続けることて何か小さな「花」が開いているのではないでしょうか?
この「花」は何かは分かりません。ただ、「信頼」や「信用」といった一朝一夕に得ることのできない何かのような気もします。
まずは自分自身が今生きていることに感謝する。これが祈りの基礎だと感じた一年でした。
よいお年をお迎えください。

弘明寺観音

本年も後10日余り。「歳月人を待たず」とは正にこのことだと思います。
百観音を目指している私は上京した折に時間を見つけて坂東の札所巡りをしています。今回は横浜の弘明寺(ぐみょうじ)さんへお参りおした模様をご紹介します。
横浜市営地下鉄の弘明寺駅から商店街を抜けると弘明寺さまはあります。
【商店街から弘明寺を臨む】
23366
【仁王門】
23364
【本堂へ繋がる階段】
23361
この急な階段を登って本堂に到達します。
【本堂】
23363
当日は8が附く日でしたので、午後二時から護摩供が行なわれるとのことで極めて多くの人が参拝されておられました。
護摩と言うと一般的には不動明王さまや愛染明王さまにご供養するものだと私は認識しています。護摩壇はお不動様の口で、そこに願いを書き込んだ護摩木を投じて煩悩や穢れを払い、諸願成就を願う、というものと認識しています。観音護摩についてあまり詳しく知りませんが、観音様はいろいろな者に変身するので、不動明王さまに変身すると見たててお護摩をしておられるのでしょうか?
観音護摩はいろいろなお寺で為されているようです。薬師如来をご本尊として護摩を焚く薬師護摩もあるようです。私は僧侶ではありませんので詳しくは分かりませんが、いろいろな発見があり、今後の調査課題となるように思います。
仏教は奥が深いものがあるなぁ、と感じたお参りでした。

成道会に参列~鎌倉・円覚寺へ~

本ブログを見返すまでもなく、この1か月ほどは毎週上京しているような気がします。私自身は嘗て、そう遠くない過去に自宅に籠って勉強している時期がありました。別段身体の自由は制限されてはいませんでしたが、やはり周りの目が気になって、できるだけ自室からは出ないことが多かったように思います。その時期に思ったことは未だ記憶にしっかりと焼き付いています。「このまま死んでしまったら世間に私は知られることのないまま歴史は進んでいくのだろうなぁ。」と。おかしなことのようですが、やはり”人”というのはインプットしたものをアウトプットして行ってこそ初めて”人間”になるのだと思います。難しくはない、ただ人とおしゃべりするなどの触れ合えば良いだけです。最近毎日予定が立て込んでいると、嘗て感じたこの気持ちを忘れてしまっていました。
先週末の12月8日(日)、東京で用事があったので、その日の朝は鎌倉の円覚寺さまにお参りに行きました。当日は午前9時から日曜説教会(第二日曜日に開催)が開かれ、そして偶然にも12月8日でしたので成道会が日曜説教会の後に厳修されました。
【紅葉の綺麗な参道】
22929
日曜説教会で青松軒老師様は、「お釈迦様が悟りをひらかれたことは尊いことであるけれど、その悟りを梵天(ブラフマン)の指図によって多くの人々に説かれたこと。これこそが実に尊いことなのです。そうでなければ仏教という教えは今まで伝わってこなかったのですから。」という趣旨のことを仰いました。(メモ書き程度なので、一言一句正確とは言えません。詳細はこちらをご覧ください。)
【山門】
22927
このお話を聴いて、人と関わっていくことが何にも増して大事なのだという思いを一層強くしました。高尚な理論を理解しても、それを多くの人々に伝えられなければ、ただ単なる自己満足で終わってしまう。科学のことは学者に、お経のことは僧侶に、身体のことは医者に、と言った具合で専門家に話を伺って、それを自分の中で解釈して人に伝えていくことの大切さを感じました。何とも大きな「気付き」を得ました。
【成道会厳修された佛殿】
22928
日曜説教会の後の成道会では青松軒老師様の偈頌奉読を拝した後、楞厳咒(りょうごんしゅ)というお経をお唱えしました。(法要の様子はこちら)私は滅多にお唱えする機会がありませんが、自宅にあった経本を持って一緒にお唱えしました。円覚寺派はお経の節回しが独特のようです。参列した際に頂戴した案内文には「『山節』と称する独特の節回し」との記載がありました。長いお経ですが、所々節回しについて行けないところがありました。「門前の小僧習わぬ経を誦む」よろしく、私はどうも京叢林の節回しに慣れてしまっているようです。環境とは不思議なものです。
【門が額のようです】
22926
お釈迦様が教えを広められたこと、その尊さを感じることができたお参りでした。何だか過去の自分と対話しているような気がして気持ちの良い上京となりました。

犬鳴山七宝瀧寺へお参り

師走になりました。どうして「師走」というのでしょうか?
詳しく知らなかったのですが、とある寺院の月刊紙を読んでいましたところ以下のような記述がありました。
12月を「師走」と云いますが、一説によりますと語源は僧侶の礼拝行にあるということです。平安時代、年末になりますと各貴族の邸宅では礼拝行が営まれていたとのことです。当主に代わって僧侶が礼拝行を行い、各家の穢れを祓い、その家を浄めていました。年末になりますと各貴族の邸宅を忙しく回るので「師走」と云われるようになったそうです。
書寫山圓教寺・発行『松のひびき』307号(2019年12月号)1頁
如月や神無月など「~月」という月名の中で師走が異質だと思っていましたが、納得いたしました。知らないことが多いですが、こうやっていろいろな方に教えて頂くと一つずつ賢くなっていきます。
さて、今週は犬鳴山七宝瀧寺にお参りしました。大阪府泉佐野市にあるお寺です。関西国際空港がある都市として有名な泉佐野市ですが、犬鳴山七宝瀧寺はその名も犬鳴山の上に建つお寺です。
【大きなお不動さまがお出迎えして下さいます】
22570
【本堂】
22565
【清滝堂】
22567 22566
【清滝】
22568
水が綺麗な所へ赴くと、体がスーとする感覚になります。気持ちが良いですね。行者様方はお滝を浴びて体を浄め、山岳修行や護摩供養を行われます。こういった山の中で心と体を浄めていくのだなぁ、と感じ入りました。
近畿三十六不動尊霊場をお参りして、いろいろな御不動様にお目に掛かっています。「師走」のこの時期、心と体を浄化して、本年の残りの日々を過ごしていきたいと思いました。

安田念珠店

〒604-8076 京都市中京区御幸町通三条下ル海老屋町323

TEL:075-221-3735 FAX:075-221-3730

E-mail:yasuda@yasuda-nenju.com

受付時間:平日(月~金曜日)AM9:00~17:30まで