「念珠」の「珠」について(その1) | 春は花

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「念珠」の「珠」について(その1)

さてさて、しばらく間が開きましたが、「念珠」について1文字ずつ考えることの続きを綴ってみたいと思います。
今日は「珠」という字についてです。「珠」という字を普段あまり使うことはないと思います。恐らく最もよく知られた単語は「真珠」ではないでしょうか?
「珠」を辞書で引くと次のように書かれています。
1.(水中で産する)丸いたま。しんじゅ。また、美しく、立派なものを形容することば。
2.真珠のように丸いもの。
『goo国語辞書』より
ふむふむ。つまりは、美しいものを指した言葉なんですね。しかし、「珠」は単に「美しい」だけではありません。
仏教の数多ある経典の中に『妙法蓮華経』というお経があります。一般には『法華経』として知られています。「南無妙法蓮華経」と毎日唱えておられる方には馴染み深いお経です。
『法華経』の中にはお釈迦様が分かりやすく喩え話をして下さっている部分があります。「7つのたとえ話」として知られているかもしれませんが、今回はそのうちの一つ「衣裏珠(えりじゅ)のたとえ」をご紹介します。
とある貧乏な男が金持ちの親友の家で酔って眠ってしまいました。金持ちの親友は、用事があって男が眠っている間に出かけなければならなくなりました。そこで彼の衣服の裏に高価で貴重な宝珠を縫い込んで出かけました。男はそれとは知らずに起き上がると、友人がいないことから、また元の貧乏な生活に戻り他国を流浪し、少しの収入で満足していました。時を経て再び親友と出会うと、親友から宝珠のことを聞かされ、はじめてそれに気づいた男は、ようやく宝珠を得ることができました。
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(上の画像の書は、京都・花園妙心寺塔頭・霊雲院住職の曇華室 則竹秀南老師様の揮毫された書です。)
このたとえ話は、無上の宝(つまり「佛」)を身に付けているにも関わらず、それを自覚せずに低い悟りで満足しているお釈迦様の弟子達への反省と感謝の込めた喩え話です。
真珠は生きた貝(アコヤガイなどが有名です。)の中に異物が入り、それが核となってあの美しい珠が出来上がります。
人も同じです。中身に実は素晴らしいものを持っています。そして、その人それぞれの経験や環境によって、その人独自の「珠」が出来上がって行くのではないでしょうか?
弊社の扱うお念珠には価格が様々あります。もちろん、高いお念珠をご購入頂くことはありがたいことなのですが、どんな価格のお念珠であっても、長く使い続けて頂きたい――これこそが弊社の最大の願いであります。
それによって、皆様それぞれの「念(=今を精一杯生きる心)」が入り、美しい「珠(=皆様の中の佛が表出したもの)」となる。これはお金では買えない、かけがえのない価値だと私は考えております。
今回は、「法華経」を手がかりに「珠」について考えてみました。「珠」については次回も取り上げてみたいと思います。

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