犬が悟れるのか? | 春は花

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犬が悟れるのか?

2月に入りました。新年を迎えたのはつい先日だと思っていましたが、既に1か月が経過してしまいました。
今年は戌年です。町で散歩している犬をよく見かけますが、いろいろな品種の犬がいて、新たな発見をすることがあります。犬はかわいらしい生き物ですが、さて、私たち人間と同じく、「佛」になることが可能なのでしょうか?
禅宗の語録に『無門関』というものがあります。この第一則に「狗子仏性(くすぶっしょう)」というお話が載っています。お話の内容は、ある僧が「犬にも仏性があるでしょうか?」と尋ねて、趙州和尚が「無」と答えた、という問答に続くものです。
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お釈迦さまは一切の衆生は皆仏性を持つ、と仰いました。先の問いに「犬には仏性はない。」と答えると、お釈迦様が違うことをおっしゃったのか、ということになります。では、「犬に仏性はあります。」と答えるとすれば、趙州和尚が「無」と答えたのは何故なのか、ということになります。
趙州和尚が答えた「無」というのは、恐らく「有無」の「無」ではないのだと思います。大きいや小さい、高いや低い、広いや狭いといった人間が主観を持って判断する基準などは、後から生み出されたものに過ぎず、そんなものに囚われていてはいけない。犬に仏性があるかないか、というのも人間の主観的判断であって、趙州和尚の言った「無」というのはそうした人間の価値基準を超えたものなのではないか――私はそんな風に考えています。すなわち、人間は自分からの目線ではなく、風や樹木など自然のありとあらゆるものからの視点を踏まえてこの世界を捉えなければならないのではないか、ということではないかと思うのです。
禅宗では初心者が拈提する(=考える)公案(=問題)と言われていますが、有名な鈴木大拙博士もこの「狗子仏性」の公案に取り組んだと言われ、この公案を拈提するだけでも悟りに一歩近づけるのです。
思いやる気持ちや孝行心など、どんな場合でも忘れずに持っていたい気持ちだと、私はこの公案を考えながらいつも心に念じております。本日は干支から関連したお話を致しました。

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