「念珠」の「念」について(その1) | 春は花

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「念珠」の「念」について(その1)

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先週は阪神淡路大震災アメリカの新大統領就任の2つの話題から「祈り」を考えてみました。私自身の「祈り」に対する考え方を開陳した上で、今週からは「念珠」について、1文字ずつ考えてみたいと思います。
(弊社がなぜ「念珠」というのかについては、こちらをご覧下さい。)


今日のテーマは「念」です。
「念」を辞書で引くと、仏教用語であることが分かります。
〔仏教用語〕(梵語smṛti)心の働きの一つ。物事をしっかりと記憶すること。また一念というときは時間の単位で、一般に非常に短い時間をいい、十念などというときは、仏教の瞑想の一方法をいう。
『ブリタニカ国際大百科事典 Quick Search Version』(ブリタニカ・ジャパン、2008年1月版)
分かったような、分からないような。。。
私はあまりよく分からなかったので、もう少し調べてみました。
お経の中で非常に短いものに『延命十句観音経』というお経があります。このお経に分かりやすい解説が付された書籍があります。『祈りの延命十句観音経』という書籍で、著者は鎌倉・瑞鹿山円覚寺管長 横田南嶺老大師様です。
(右の画像は千眞工藝謹製の「2016年 日本の心 墨蹟日暦」に掲載された横田南嶺老大師様御寫経のものです。)
この書籍の「念念従心起」の節から引用してみます。
生きる事は息をすること、食べること、出すこと、眠ることにほかなりません。そのことに心をこめることです。
〔中略〕
心が外に向かうのを迷いといい、自分のうちに向けて見るのを悟りと古人は言いました。今一度、こうして見たり聞いたり、食べたり感じたりしているこのものは何か、立ち止まってみたら如何でしょうか。
心あればこそ、いのちあればこそ、ものを見、耳で聞き、舌で味わい、あれこれ思うことも出来ます。その心こそ、そのいのちこそ仏さま、かけがえのない尊いものです。
このいのち、心の貴さに気がつけば、必ずこれは自分ばかりでは無い、まわりの人もみなこのいのちを生きている。人だけではない、庭の草も花も、鳥や獣達も皆この心をもって生きている。この心に自ずと手が合わされます。生きていのちのあること、これほどすばらしいことはありません。
〔中略〕
みなひとりひとり仏心をもって生まれてきている、この仏心の貴さに目ざめることにほかなりません。みな仏心をもった仏さまなのです。

横田南嶺『祈りの延命十句観音経』(春秋社、2014年)122頁~125頁
引用の都合で、省略してしまいましたが、是非ともこの書籍を手に取ってお読みになってください。
この文章(書籍)から、「念」とは「ひとりひとりが今を感謝する心」なのではないか、と私は考えています。
以前、毎日生きていることが膨大な偶然の上にあるのだ、ということを書きましたが、今を生きていることに感謝する、この心こそが「念」なのではないか、と思うのです。
今日は、『延命十句観音経』を手掛かりに、「念」について考えてみました。また次回も「念」について考えてみたいと思います。

9784393144268


祈りの延命十句観音経

著者:横田南嶺 
出版社:春秋社
発売日: 2014/03/11
メディア: 単行本(ソフトカバー)
参考URL1:http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-14426-8/
(春秋社)
参考URL2:2014年3月10日 新刊「祈りの延命十句観音経」
(居士林だより|円覚寺)

 

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