掛物 | 春は花

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「三十三」の姿

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言葉の学習をするときは、黙読することも必要ですが、音読することも大事だと言われます。母国語以外の言葉の場合は特に音読は必須であるように思います。お経を唱えたり、聞いたりすることもその一種なのかもしれません。
京都市内に在る僧堂の修行僧(雲水)の方々に弊店のお仏壇に回向をして頂く際、私も雲水さんの後ろに座って経本を持ち誦経を致します。以前は文字を追って声を出し、誦経のスピードに付いていくことに必死でしたが、最近ではお経の内容を考えながら唱えることができるようになりました。
禅宗では『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』、通称『観音経』と呼ばれるお経を読みます。このお経の中で以下のような節があります。
無尽意菩薩。白仏言。世尊。観世音菩薩。云何遊此娑婆世界。云何而為衆生説法。方便之力。其事云何。仏告無尽意菩薩。善男子。若有国土衆生。応以仏身。得度者。観世音菩薩。即現(1)仏身。而為説法。応以辟支仏身。得度者。即現(2)辟支仏身。而為説法。応以声聞身。得度者。即現(3)声聞身。而為説法。応以梵王身。得度者。即現(4)梵王身。而為説法。応以帝釈身。得度者。即現(5)帝釈身。而為説法。応以自在天身。得度者。即現(6)自在天身。而為説法。応以大自在天身。得度者。即現(7)大自在天身。而為説法。応以天大将軍身。得度者。即現(8)天大将軍身。而為説法。応以毘沙門身。得度者。即現(9)毘沙門身。而為説法。応以小王身。得度者。即現(10)小王身。而為説法。応以長者身。得度者。即現(11)長者身。而為説法。応以居士身。得度者。即現(12)居士身。而為説法。応以宰官身。得度者。即現(13)宰官身。而為説法。応以婆羅門身。得度者。即現(14)婆羅門身。而為説法。応以比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷身。得度者。即現(15)比丘(16)比丘尼(17)優婆塞(18)優婆夷身。而為説法。応以(19)長者(婦女身)(20)居士(婦女身)(21)宰官(婦女身)(22)婆羅門婦女身。得度者。即現婦女身。而為説法。応以童男童女身。得度者。即現(23)童男(24)童女身。而為説法。応以(25)天(26)龍(27)夜叉(28)乾闥婆(29)阿脩羅(30)迦楼羅(31)緊那羅(32)摩睺羅伽。人非人等身。得度者。即皆現之。而為説法。応以執金剛神。得度者。即現(33)執金剛神。而為説法。無尽意。是観世音菩薩。成就如是功徳。以種種形。遊諸国土。度脱衆生。是故汝等。応当一心。供養観世音菩薩。是観世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中。能施無畏。是故此娑婆世界。皆号之為。施無畏者。
上の節では観音様が三十三の姿に変化して人々を救う、ということが説かれています。下線を引いたところが三十三の姿です。そういったことから、三十三間堂や西国の札所が三十三か所であったと、「三十三」という数字をよく耳にするのです。
今年は西国三十三所の霊場が草創されたとされる年からちょうど1300年の節目の年です。いろいろな姿に身を転じて私たちを救って下さる観音様は、実は自分自身のすぐ傍に居る人や物なのかもしれないと思いを馳せ、周りの人や物に親切・丁寧に接していくことが大事なのだと思います。


「西国三十三所 草創1300年――いまこそ慈悲の心を――」
公式ホームページ: http://www.saikoku33-1300years.jp/

教えを繋ぐ

人間は多くの人に「出逢い」、教えを受けることで成長するのだと思います。人との「出逢い」は面会するだけではなく、時代を超えて、場所を超えて、手紙や書物を通してでも「出逢う」ことができます。


弊社は多くのお寺様とのお付き合いをさせて頂いております。そしてお寺様にはそれぞれに機関紙があります。いろいろなお寺様のいろいろな機関紙を日々拝読し、現在の仏教の教えや高僧の方のお話などを私は知り得ています。
そんな中で、昨年9月に妙法院門跡(三十三間堂本坊)様の発行される機関紙『蓮華』93号に接しました。『蓮華』93号には昨年9月に御門主を退任された菅原信海大僧正様揮毫の色紙「無」が読者プレゼントとして掲載されていました。私はその読者プレゼントに応募し、運良く当選したのです。
「無」という字は、仏教的にみると「人間の根源」を表すものと捉えられることが多いです。ただ、漢字に馴染みのない国の方の中にはこの「無」という字のくずし字を十字架に捉える方も居られるのです。
「無」を十字架に捉えるという話を聞いてから、私はこの書を大切にしなければと思い、掛軸に表具をする依頼をしました。
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先日、その表具が出来上がってきました。(上の画像をご覧ください。)
揮毫して下さった菅原信海大僧正様とは今年の2月に幽明境を異にすることとなってしまい、直接ご覧いただくことは叶いませんでした。
ですが、この「無」という字、仏教者の書であってもキリスト教を信仰する人にも理解して頂ける書であると感じています。
心のお広い大僧正様のお人柄を感じさせる、宗教の別を超えた立派なものとなったと私は個人的に喜んでおります。
人と人との「出逢い」はこのようにして後世の人々に教えを伝えていくのだなぁ、と感じた1週間でした。

書の力

ブログの更新、滞って居りまして申し訳ございません。遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。


年末年始のお休みの際、京都には多くの外国人観光客の方がお越しでした。弊店にお越しの外国人のお客様も多く居られることに、いろいろな意味で驚きを持って見ておりました。
本ブログでもWikipediaにリンクを貼ることを度々行っておりましたが、日本語版以外のWikipediaを見ることは私はそれほど多くありませんでした。ところが先日、ふとしたことからヨーロッパや米国で日本の禅への関心が異常に高いことを知りました。
弊社の寺町本店にお越しいただくと、正面に「安田念珠店」と書かれた大きな書が目に入ります。
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この書は山田無文老師(1900年~1988年)が揮毫して下さったものです。山田無文老師は今年で遷化されて30年の節目の年となりますが、未だに多くの信奉者が居られる偉大な禅僧でした。
私自身は山田無文老師に直接お目に掛かったことはなく、それこそWikipediaの情報やご高著を通してしか存じ上げておりませんでした。
そんな中、英語版のWikipediaの情報を見て、検索した結果山田無文老師の在りし日のお姿が動画で観れることが分かりました。

Zen of Yamada Mumon Roshi

この動画は、「参禅」の様子まで映し出されるというかなり貴重な動画です。
本ブログでよく高僧の方の書をご紹介することがあります。書には揮毫される方の「風格」が現れると言います。この「風格」、簡単に言うと「人柄や性格」といったところでしょうか。
山田無文老師の書は力強い中にも柔らかみがあり、独特な感じを受けます。
欧米ではこうした書が芸術として評価されていることが分かりました。文字を書くことは、その言葉が持つ意味を伝えるだけでなく、何とも言えない力を観る人に与えるのだと感じます。
外国の方々に日本がなぜ仏教と神道を大切にして歴史を歩んできたのかをきちんと説明できるようになることが、念珠を商う弊社の役割なのかもしれない、と思った次第です。
ご興味を持たれた方が居られましたら、山田無文老師の書をご覧にお気軽に弊社の寺町本店にお越しください。お待ち申し上げております。

時の流れ

いよいよ一年が終わりを迎えます。私は個人的に、来年1月に「締め切り」を迎えるものがあり、それに全ての時間を費やしているのが現状です。思い通りに進まない一方で時間が刻々と過ぎて行き、「時間が止まればいいのになぁ。」と思う日々です。
「時間」――これも不思議なものです。人間が作り出したものではありますが、人間がこれに最も拘束されています。
「山中無暦日」という言葉があります。「山中さんちゅう暦日れきじつ無し」と読み下されます。この言葉、「山の中の生活にはカレンダーはないので、月日が経つのを忘れている。」という意味に解釈されるのが一般的です。
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(上の画像の書は京都・正法山妙心寺管長・江松軒こうしょうけん 嶺興嶽老大師様が揮毫なさったものです。)
山の中に住んで、たった一人で自給自足の生活をすれば、確かにカレンダーも要らないのかもしれません。でも現実にはそんなことは難しいですよね。この言葉の大意は「時間に囚われてはいけない」ということを言っているのです。〔ちなみに、この言葉に接すると「何だか特殊相対性理論に通じる話だなぁ」と思ってしまいます。〕
現代社会は気忙しく、皆様方も時間に追われる生活をなさっておられると思います。そんな中で落ち着いて自分を見つめ直すのが大事だとこの言葉は教えてくれているのです。
そうは言っても、人間は時間に囚われてしまう生き物です。時間の流れには逆らえませんが、年末年始の落ち着いた瞬間に自分本来のあり方を見つめ直す機会を持たれても良いかもしれません


2017年は第14回から今回の第63回まで計50回の記事を更新して参りました。私の思うままに書いてきましたので、訳の分からない記事もあったかと思います。毎回色々なご感想を届けて下さって感謝しております。今後共、ご愛顧いただければと存じます。
皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

大丈夫 心配するな なんとかなる

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ここ数回は宗派による念珠の違いをみてきました。続きは次回以降にして、今回は私の感じたことをお話ししようと思います。


先日、神奈川県座間市のアパートから9人もの遺体が発見される事件がありました。亡くなった方々は自殺願望があり、犯人は被害者の自殺を手伝う意図を持って近付き、犯行に及んだとのことです。
この事件は、私にとって非常に衝撃的でした。本気で「死ぬこと」を希望する人がこれほどまでに多く、にもかかわらず自力で死のうとしなかった。もしかすると、被害者の方々は同じ気持ちや同じ経験をした人を捜し求め、そういった人と苦しみを共有したかったのではないか?――私はそう考えるのです。
最近はインターネットの普及に従って、TwitterやFacebookなど様々なSNSが広く利用されるようになりました。これは人々の「つながっていたい」という欲求を満たすツールとして爆発的に広がりました。電車に乗って携帯電話を操作している人が大勢いるのは、”誰か”と”いつでも”「つながっていたい」という気持ちを大勢の人が持っていることの証左です。
ただ、人との「つながり」がどうも表面的になってしまったようにも感じます。本当に困った時に相談したり助けてくれる家族や友人、近所の人が少なくなったようにも思います。
私の好きな言葉に「大丈夫 心配するな なんとかなる」という言葉があります。「一休さん」で有名な一休宗純禅師が最期の時に、その弟子たちへ「本当に困った時に開けなさい」と言って遺した箱の中にあった言葉だと伝えられています。弟子たちは寺が窮地に追い込まれ、手を尽くした後にこの言葉を見て、笑ってしまったと伝わっています。
(右の画像の掛物は京都・東山建仁寺管長・小堀泰巖老大師様が揮毫なさったものです。)
生きるというのは面倒なことや大変なことの連続ですが、生きていれば楽しみや喜びを感じることも出来ます。決して悲観的にはならず、楽天的に生きる事が大切なのだと感じます。
今回の事件の報道に接して、窮地に陥った時に相談に乗ってくれたり、助けてくれる方を1人だけでも良いので持つ必要性を痛感しました。そして、血縁関係がなくともお世話になった先生やご近所の方々など、自らと関わりを持った人々を定期的に気遣うことが大事であると、今回の事件を機に一層強く感じました。
今回は、私の感じたことをお話ししました。

解釈

近年は小学校で英語を習うそうですが、私が英語を習ったのは中学校からでした。「英語→日本語」と「日本語→英語」の訳文が作れるようになることが学習の目標だったと思うのですが、英語を習い始めた当初から「解釈」という言葉に何か不思議な感覚を抱いていました。
夏目漱石の有名な小説に『吾輩は猫である』があります。この題名を英語に訳すと「I am a cat.」です。ですが、「I am a cat.」を日本語に訳す場合、例えばテストの解答用紙に「吾輩は猫である。」と書く人は少ないでしょう。私は中学校1年生の時にこの疑問を抱いて、勝手に「“吾輩は猫である”問題」として中学校で語っていました。この問題は、日本語と英語の構造の違いが要因ですが、私は「(英文)解釈」とは単なる訳文を作るだけでなく、読み手に分かり易い表現を使うべきなのだと学びました。
日本では、英文だけでなく古くから漢文が読まれてきました。漢文も英語と同じくS(主語)→V(動詞)を基本形にした文法をとります。経典に代表される仏教に関する文章はその多くが漢文で書かれており、英文と同じく解釈が必要になります。ですから、その語を見て即座に意味を理解できる人はそれほど多くないと思います。
「解釈」というのは地道な作業で、何か分かり易く解説してくれる書籍はないものかと思っていました。そこに最近、何とも分かり易い書籍が出版されました。『茶席からひろがる漢詩の世界』という本です。この書籍は単なる日本語の訳文だけでなく、1つ1つの単語やその背景知識を丹念に解説してくれています。その解説方法も、先生と生徒役の女の子がいろいろとやり取りをする形で展開されています。「漢文解釈」を分かるように示してくれる良書だと感じました。
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弊社には、上の画像の香語(法要の要となる精神を漢文調にまとめたもの)を掲げてあります。

【原文】
甘露雨潨蒼翆中
念珠結絆白玲瓏
年年等接温和手
綿密家風老舗隆
 安田念珠店主人いわく
 手のひらから伝わる素敵なぬくもり
 平成廿四年梅雨 花園太聳たいしょう 山人

【絶句の部分の現代語訳】
恵みの雨は樹木が青々と茂っている中に集まり、
念珠は美しく照り輝く絆を結んでくれる。
それは、長い年月、温かな手にいつも接しているとそうなるのだ。
そして、綿密な家風が老舗を盛んにさせる。

揮毫して下さったのは、京都・花園妙心寺塔頭・霊雲院住職の曇華室どんげしつ 則竹秀南老師様です。弊社はこの偈にある通り、お念珠に対して一生懸命、そして緻密に向き合って参り、今後も向き合っていく所存です
次回以降は、宗派毎の念珠の形について、私なりの「解釈」を提示していきたいと考えています。

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茶席からひろがる漢詩の世界

著者:諸田龍美 
出版社:淡交社
発売日: 2017/09/13
メディア: 単行本(ソフトカバー)
参考URL:茶席からひろがる漢詩の世界
(淡交社)

 

”知恵”と向き合う

今日も暑さの中で「風」を感じました。6月の「風」は、「茶」を啜りながら感じる「松風」です。これは「萬壑松風供一啜 (ばんがくのしょうふう いっせつにきょうす)」が出典の「風」です。
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(上の画像の書は、愛媛宇和島の玉鳳山大乗寺の露香室・河野徹山老師様ご揮毫の書です。)


本日は『聖書』のお話をしようと思います。
『旧約聖書』の「創世記」という部分に出てくるアダムとエヴァがエデンの園という楽園から追放される神話をご存知の方は多いと思います。アダムとエヴァは神に楽園から追放されてしまいます。追放された理由は、アダムとエヴァが楽園に生えていた“知恵”の木の実を食べてしまったというものです。“知恵”が罪と捉えられているのです!
『旧約聖書』では、人間はすべてこのアダムとエヴァの子孫ですから、人間は皆この罪を背負って生きている、ということとなります。人を殺したり、物を盗んだりすることで負う罪は自分自身が犯した罪ですが、“知恵”の木の実を食べた罪は自分自身で犯した罪ではないので「原罪」と呼ばれています。人間である以上逃れることのできない罪です。
この神話の世界を離れて、現実の私たちに当てはめて考えてみましょう。何かに思い悩んでしまい、「もうこんなことを考えるのはやめよう!」と思っても、どうしてもそのことばかりを考えてしまう。皆様もこういった経験をお持ちではないでしょうか?私は1つのことをクヨクヨ思い悩むことが多く、自分で自分が嫌になってしまうことがあります。
そんな時に、小鳥のさえずりや蝶や動物などが自由にしている様子を目にすると、うらやましく感じることがあります。思い悩んだりしない動物の方が幸せなのではないか、と考えてしまうのです。こう考えると、やはり“知恵”は罪なのだと思います。
最近は科学技術の発達で便利なものがたくさん出てきています。しかし同時に、それに伴う問題もたくさん出てきています。一昔前、“知恵”は高貴なものでしたが、今では“知恵”が本当に高貴なものなのか疑問を持たれています。
「風」などの自然を感じながら「茶」を啜る。このような、自然と一体となることが私たちにとって今一度大切なのことなのではないかなぁ、とふと感じた一週間でした。

お茶の効用

皆さんは毎日のお食事の時に何を飲んでおられますか?いろいろな飲み物がありますが、やはり「お茶」が一般的な飲み物だと思います。煎茶にほうじ茶、抹茶や紅茶など、お茶にも様々な種類があります。
今年の5月に摘み取られた新茶を先日、私も頂戴しました。
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お茶は今では一般的な飲み物となっていますが、いつごろから飲まれるようになったのでしょうか?
天平17年(745年)、聖武天皇の時代に東大寺で大般若経を読んだ僧侶たちにお茶が与えられたという記録がありますから、奈良時代にはお茶は日本にあったようです。(立花實山『壺中爐談』)ただ、お茶が本格的に飲まれるようになったのは鎌倉時代のことです。そのきっかけとなったのは、千光国師・栄西禅師が中国(宋)からお茶の種を持ち帰って栽培を始めたこととされています。
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栄西禅師は『喫茶養生記』というお茶を飲むことの効用を説いた書物を遺されています。『喫茶養生記』は次の文言から始まります。
「茶は養生の仙薬であり、人の寿命を延ばす妙術を具えたものである。」
(右の画像の書は、この言葉を京都・東山建仁寺管長・小堀泰巖老大師様がご揮毫なさり、千眞工藝謹製の「2017年 日本の心 墨蹟日暦」に掲載されたものです。)
お茶を飲むことは健康によく、寿命を延ばしてくれる効果がある。こう書かれているのを読むと、日本人はお茶を飲むので長寿なのかもしれないとも思います。
『喫茶養生記』を読むと飲茶の効用がいろいろと書かれています。私は学ぶことがたくさんありましたが、ここに1つ付け加えたい効用があります。「ホッとする」という効用です(笑)
現在様々な健康法が氾濫していますが、お茶を普段から飲むことで病を予防できるのは、落ち着く、つまり「ホッとする」時間を持てる効果があるからではないかと思います。忙しい毎日の中でホッとする時間を持つ余裕。新茶の季節にこうした時間の大切さを感じました。

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栄西 喫茶養生記

全訳注者:古田紹欽 
出版社:講談社
発売日: 2000/09/10
メディア: 文庫本
参考URL:http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061594456
(講談社BOOK倶楽部)

 

心地よい風

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5月も下旬になり、一気に暑くなりました。そんな中でも外を歩いていて、時折吹く風を感じるのはとても心地良いものです。
風も季節によって呼び方が少し変わってきます。
春(3月末~4月):春風(しゅんぷう)
5月:薫風(くんぷう)
6月:涼風(りょうふう)
7月:松風(しょうふう)
それぞれに出典がありますが、今回は5月の「薫風」をご紹介しようと思います。この言葉の出典は「薫風自南来」です。
(右の画像の書は、鎌倉・巨福山建長寺管長・栢樹庵 吉田正道老師様の揮毫された書です。)
「薫風自南来」は「くんぷうじなんらい」とそのまま音読みする場合と、「くんぷうみなみよりきたる」と読み下す場合があります。この言葉には「殿閣微涼を生ず」という続きの語があります。
意味としては、「心地よい風(ほのかな香りのする風)が南から吹いてきて気持ちが良いなぁ。暑さの中、宮殿も心地よい涼しさに包まれた。」と字面からは読み取れます。
この言葉は昔の中国の皇帝〔唐の文宗(ぶんそう)〕が詠んだ詩が出典です。皇帝の住んでいた宮殿は南向きに建てられていましたから、南からの風を感じたのですね。実は、半年ほど前にご紹介した「南無」についてもこうした経緯から、南基点になったのではないか!?と私は考えております。
暑い日々、頭がボーっとしてしまう季節となりますが、そんな時に涼しい風を感じると本当に心地いいものです。物事に関しても、色々考えていると「煮詰まって」しまい、良い案が浮かばない時があります。そんな時、「ちょっと一息」を入れることも大切なのです。日本では昔から「三時のおやつ〔御八つ(=昔の時刻を表す言葉で、現在の午後2時~午後4時のことを指します。)〕」という習慣があります。これは「薫風自南来」に通じる習慣だと私は考えております。
宋の時代の詩人・蘇東坡(そとうば)が批判したことでこの言葉は有名になったそうです。(禅語としては、大慧禅師の大悟の語として知られています。)
実は蘇東坡という詩人は前回の「無一物中無尽蔵」にも関わりのある人物です。揮毫して下さった老師様も前回と同じく栢樹庵老師様です。弊社は京都で商いをしておりますが、鎌倉を陰ながら支える役目を仰せつかっております。(参考までにこちらをご覧ください。)
今回は季節の言葉をこれまでの記事と関連してご紹介致しました。

一生懸命生きて見えるものとは?

皆様方も近親者を亡くされたご経験をお持ちのことと思います。先年に私の祖母も鬼籍に入りました。
祖母の葬儀が終わった後、火葬場に行きました。祖母と本当に最後のお別れをした後、40分くらいで「再会」しました。
「再会」した際、私は何とも言えないあっけなさを感じました。人間はこんなにも儚いものなのか、と。
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本ブログでは「皆様の中の『佛』」や「無相の自己(formless self)」などとお話をして参りました。物理的な人間というものは非常にあっけないものなのだと思います。それは体の大きな人も体の小さな人も同じです。「人」を科学的に説明すれば、たんぱく質が……、水分が……、、、、、などと説明できるとは思います。でも、それでは「人」を説明できたとは言えないように思います。
「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」という言葉があります。似た言葉に「本来無一物」という言葉があります。これは、人とは「本来無一物」である、つまり、人とはもともと何もないものだ、という意味です。ただ、「何もない」のであれば、「塵も埃も積もらないではないではないか!」という批判もあります。一方で、「何もない」という境地を目指して一生懸命生きていくことは、これもまた大事なことなのです。(難しいです。。。)
「無一物中無尽蔵」とは、「何もないこと」の境地に達すればそこには大いなる世界が広がっている、というように私は解釈しています。「自らが気付いていない自分」を今を一生懸命に生きる事で見付け出せば、その先には大いなる世界が広がっているのではないか、私はそう思っています。
人間とは儚いものなのですが、今を一生懸命生きていけば大いなる世界に接することができる可能性を秘めているんですね。今を一生懸命生きる折々に、念珠がその傍らにあることが弊社の一番の喜びです。
本日は、祖母の命日が近付いていることもあり、個人的なお話をさせて頂きました。
(上と右の画像の書は、鎌倉・巨福山建長寺管長・栢樹庵 吉田正道老師様の揮毫された書です。)

安田念珠店

〒604-8076 京都市中京区御幸町通三条下ル海老屋町323

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受付時間:平日(月~金曜日)AM9:00~17:30まで