掛物 | 春は花

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観音様を念じながら

ツツジが綺麗な季節ですね。
数年前から弊社のエレベーターホールに観音様の絵を飾っております。これは嘗てご紹介したことをきっかけに私が掛けております。千真工藝謹製のカレンダーに掲載されていたものですので、勿論印刷されたものです。
この観音様の画賛は個人的に気に入っていて、床の間に掛けても良いなぁと思っていました。いろいろ考えた結果、以前に青松軒老大師様より色紙を頂戴致しておりましたので、お写経と「観音様を念じましょう」とのお言葉を併せて1幅の掛軸に表装いたしました。
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私は、東日本大震災の折の津波で本堂が流されてしまったお寺にこちらの色紙が届けられた逸話などを見聞きするたびに、苦しむ人を救って欲しいという気持ちをこの観音様に向けます。(気仙沼のお寺円覚寺からも情報発信されています。)
弊社は今後も日々観音様を念じながら、皆様の為に尽くしていきたいと考えております。

風の名は

暑さが増してきました。季節は廻ります。
春から夏に季節が巡るこの季節、風を一番気持ち良く感じる日々です。風は目には見えないのですが、日本人は風にいろいろな名称をつけてきました。
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上の掛軸は団扇に「松風」「薫風」と書いてくださったものを表装したものです。こういうものを愛でると、何だか涼しいような気がします。
今日吹いた風はどういった名前だろうか、と風に思いを馳せるのも実は結構楽しいことです。風に故人の思いを感じたり、恋人の想いを感じたりなどなど、風というのは身近なもので同じ風でも人によって名称が異なります。風の名で人の感性が分かるような気もします。
心地よい季節、風の名を考えてみるのも良いかもしれません。

生活の中の観音様

本ブログは個人的な趣味趣向で続けております。私の現在考えていることや体験したことを踏まえて記事を書いておりますが、こちらで発信したことを受け止めて、反応してくださる方が居られます。
昨年から私は観音霊場巡りを続け、本ブログでも何度もご紹介してきました。その記事や他の多くの方のお話を聞いて西国霊場を巡られたご婦人が居られます。ご令妹様が西国霊場巡りを発願されたそうですが、昨年の節分に幽明境を異にすることとなってしまったそうです。ご令妹様の御遺志を継いで、そのご婦人が満願されたとのことです。そして、先日のご令妹様の一周忌に合わせて額装した観音様をお迎えされたそうです。
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この額は仏間の近くの壁に掛けておられるとのことです。落ち着いて眺めると、御二人が力を合わせて満願された観音様を日々拝することができるのは実に素晴らしいことだなぁ、と感じます。私は額装というと、欄間に掛ける横額しか頭になかったのですが、小さなサイズの納経軸をこのように額装し、毎日拝するのが本来的には良いことなのかもしれません。生活の中に観音様を感じるのは、今日出会った見知らぬ人が観音様や故人の変身した姿かもしれないと思える良いことなのだと、改めて感じました。
弊社の扱う念珠という商品は人の心に寄り添う御品です。「お金が儲かりますように」や「試験に合格しますように」というこの世の自己への御願い事も勿論尊ぶべきものだと私は考えますし、私もよくお願いします。ただ、「故人が極楽へ往生できますように」と願う先祖供養の念や、「家族の皆が健康でありますように」と他人の平安を願う念こそが「祈る」という行為の始まりであり、そういった気持ちを是非とも大切にして参らねばならないなぁ、と感じました。そういう意味で、今回ご紹介したご婦人の行脚は弊社が大切にせねばならない念を教えて下さった真に尊ぶべき行為と思いました。

十三の仏様

弊社には毎日の朝礼の際に、当番の者が1分間のスピーチをする習慣があります。ここ数年で始まったものですが、2か月程度で全員が一巡するので、それぞれの興味、関心を知る上でも非常に参考になる営為だと思っています。
数日前の朝の1分間スピーチで、親戚が亡くなったために、初七日や四十九日の法要を経験し、四十九日の意味についての報告がありました。宗派によって考え方の若干違う点もありますが、主として故人が生前の裁きを受ける期間だと言われています。
この裁判官の役目を果たす仏様が 十三仏として信仰されています。私は昨年、 京都十三仏霊場を巡って掛軸にしました。
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最下部には、我が家の菩提寺とその総本山である誓願寺様の御朱印を頂き、合計で15カ寺を巡りました。本年に回忌が巡って来るご先祖さんが居られることもあり霊場巡りを発願したのですが、それぞれの仏様が回忌に併せて死者の霊に裁きを下すというのは、聞く限りその裁判の場にいつか出ることを考えると結構ドキドキするものです。故人が少しでも裁きが軽くなるように、生きている者がお祈りするというのが考え方としてあるそうです。
色々な話を聞いていると、仏様の世界というのは救いの手がいろいろと差し伸べられているのだなぁ、と感心することが多くあります。
今週は弊社の日常の一時から想起したお話をさせていただきました。

観音様~出逢いに感謝~

カレンダーを新しくする時期です。いよいよ年の瀬となりました。
本年は私自身が歩いてもしくは車や電車に乗って、いろいろな所へ行った年でした。きっかけは本年4月末に観音霊場の納経軸を発見したことでした。
まずは京都に住んでいるのだからと、洛陽三十三所観音霊場を巡りました。そして、西国観音霊場を巡り終えた私は百観音を目指して現在巡礼を続けています。
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8月にご紹介した納経軸は仏様となって先日、我が家にお迎えしました。
観音様は三十三の御姿に変化(へんげ)して私たちの身近に御出で下さると言われていますが、本年は観音様を通じて沢山の方々との出逢いがありました。恐らく私の人生の中で最も多くの方々と出逢い、お話しできた一年だったのではないかと思います。人と出逢い、話をすることで自分自身を見つめ直し、智慧を得ることができるのだと感じました。
本年も気の赴くままに綴ってきましたが、お付き合いいただいた皆様方に感謝しつつ、本年は筆を擱くことといたします。
よいお年をお迎えください。

「苦しみ」こそ光り輝いている

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毎年のことですが、どうも私は年末になると気が重くなります。何であっても「終わり」に近づくと寂しい気がするのです。
私は同世代の人々に比べると失敗が多かったと思います。人生の進路に関しても、あっちに行ったりこっちに行ったりすることが多くありました。生来の楽天家なので「何とかなるさ。」と思っているのですが、そういった性格でも落ち込むことは数多くありました。


今から4年前、2014年(平成26年)11月でした。初めて一人で老大師さまに相見することになりました。お話が終わってから「頑張りなさい。」と添えて下さり、お言葉を賜りました。
「古人曰 刻苦光明必盛大也」(こじんいわく こっくこうみょうかならずせいだいなり)
禅語集など解説本を読んで、出典や字義などを調べました。その時は「頑張れば花開く日が来るんだな。」程度に思っていました。
それから4年、私自身にはいろいろなことがありました。呑気に過ごしているようですが、それなりに「苦しい」と思うこともありました。
先日、その言葉の意味が何となく分かったような気がしました。「苦しみは将来の幸せのための準備だ」と思っていましたが、「苦しみを感じることこそ生きている幸せを感じることなのだ」なのだと。
「生老病死」という四つの苦しみがありますが、いやいや「生きていることは幸せ」なのだと思いました。苦しみを感じる、それこそ生きている証拠、生きていることは何て幸せなんだろうか。そういったことがこの言葉には込められているのではないだろうか、と思った次第です。
雑駁ですが、4年ほど経過して何となく意味を理解できるようになりました。いろいろな方々にいろいろなことを教えて頂くことは、生きていく上で大切なことだなと感じた1週間でした。

「三十三」の姿

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言葉の学習をするときは、黙読することも必要ですが、音読することも大事だと言われます。母国語以外の言葉の場合は特に音読は必須であるように思います。お経を唱えたり、聞いたりすることもその一種なのかもしれません。
京都市内に在る僧堂の修行僧(雲水)の方々に弊店のお仏壇に回向をして頂く際、私も雲水さんの後ろに座って経本を持ち誦経を致します。以前は文字を追って声を出し、誦経のスピードに付いていくことに必死でしたが、最近ではお経の内容を考えながら唱えることができるようになりました。
禅宗では『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』、通称『観音経』と呼ばれるお経を読みます。このお経の中で以下のような節があります。
無尽意菩薩。白仏言。世尊。観世音菩薩。云何遊此娑婆世界。云何而為衆生説法。方便之力。其事云何。仏告無尽意菩薩。善男子。若有国土衆生。応以仏身。得度者。観世音菩薩。即現(1)仏身。而為説法。応以辟支仏身。得度者。即現(2)辟支仏身。而為説法。応以声聞身。得度者。即現(3)声聞身。而為説法。応以梵王身。得度者。即現(4)梵王身。而為説法。応以帝釈身。得度者。即現(5)帝釈身。而為説法。応以自在天身。得度者。即現(6)自在天身。而為説法。応以大自在天身。得度者。即現(7)大自在天身。而為説法。応以天大将軍身。得度者。即現(8)天大将軍身。而為説法。応以毘沙門身。得度者。即現(9)毘沙門身。而為説法。応以小王身。得度者。即現(10)小王身。而為説法。応以長者身。得度者。即現(11)長者身。而為説法。応以居士身。得度者。即現(12)居士身。而為説法。応以宰官身。得度者。即現(13)宰官身。而為説法。応以婆羅門身。得度者。即現(14)婆羅門身。而為説法。応以比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷身。得度者。即現(15)比丘(16)比丘尼(17)優婆塞(18)優婆夷身。而為説法。応以(19)長者(婦女身)(20)居士(婦女身)(21)宰官(婦女身)(22)婆羅門婦女身。得度者。即現婦女身。而為説法。応以童男童女身。得度者。即現(23)童男(24)童女身。而為説法。応以(25)天(26)龍(27)夜叉(28)乾闥婆(29)阿脩羅(30)迦楼羅(31)緊那羅(32)摩睺羅伽。人非人等身。得度者。即皆現之。而為説法。応以執金剛神。得度者。即現(33)執金剛神。而為説法。無尽意。是観世音菩薩。成就如是功徳。以種種形。遊諸国土。度脱衆生。是故汝等。応当一心。供養観世音菩薩。是観世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中。能施無畏。是故此娑婆世界。皆号之為。施無畏者。
上の節では観音様が三十三の姿に変化して人々を救う、ということが説かれています。下線を引いたところが三十三の姿です。そういったことから、三十三間堂や西国の札所が三十三か所であったと、「三十三」という数字をよく耳にするのです。
今年は西国三十三所の霊場が草創されたとされる年からちょうど1300年の節目の年です。いろいろな姿に身を転じて私たちを救って下さる観音様は、実は自分自身のすぐ傍に居る人や物なのかもしれないと思いを馳せ、周りの人や物に親切・丁寧に接していくことが大事なのだと思います。


「西国三十三所 草創1300年――いまこそ慈悲の心を――」
公式ホームページ: http://www.saikoku33-1300years.jp/

教えを繋ぐ

人間は多くの人に「出逢い」、教えを受けることで成長するのだと思います。人との「出逢い」は面会するだけではなく、時代を超えて、場所を超えて、手紙や書物を通してでも「出逢う」ことができます。


弊社は多くのお寺様とのお付き合いをさせて頂いております。そしてお寺様にはそれぞれに機関紙があります。いろいろなお寺様のいろいろな機関紙を日々拝読し、現在の仏教の教えや高僧の方のお話などを私は知り得ています。
そんな中で、昨年9月に妙法院門跡(三十三間堂本坊)様の発行される機関紙『蓮華』93号に接しました。『蓮華』93号には昨年9月に御門主を退任された菅原信海大僧正様揮毫の色紙「無」が読者プレゼントとして掲載されていました。私はその読者プレゼントに応募し、運良く当選したのです。
「無」という字は、仏教的にみると「人間の根源」を表すものと捉えられることが多いです。ただ、漢字に馴染みのない国の方の中にはこの「無」という字のくずし字を十字架に捉える方も居られるのです。
「無」を十字架に捉えるという話を聞いてから、私はこの書を大切にしなければと思い、掛軸に表具をする依頼をしました。
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先日、その表具が出来上がってきました。(上の画像をご覧ください。)
揮毫して下さった菅原信海大僧正様とは今年の2月に幽明境を異にすることとなってしまい、直接ご覧いただくことは叶いませんでした。
ですが、この「無」という字、仏教者の書であってもキリスト教を信仰する人にも理解して頂ける書であると感じています。
心のお広い大僧正様のお人柄を感じさせる、宗教の別を超えた立派なものとなったと私は個人的に喜んでおります。
人と人との「出逢い」はこのようにして後世の人々に教えを伝えていくのだなぁ、と感じた1週間でした。

書の力

ブログの更新、滞って居りまして申し訳ございません。遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。


年末年始のお休みの際、京都には多くの外国人観光客の方がお越しでした。弊店にお越しの外国人のお客様も多く居られることに、いろいろな意味で驚きを持って見ておりました。
本ブログでもWikipediaにリンクを貼ることを度々行っておりましたが、日本語版以外のWikipediaを見ることは私はそれほど多くありませんでした。ところが先日、ふとしたことからヨーロッパや米国で日本の禅への関心が異常に高いことを知りました。
弊社の寺町本店にお越しいただくと、正面に「安田念珠店」と書かれた大きな書が目に入ります。
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この書は山田無文老師(1900年~1988年)が揮毫して下さったものです。山田無文老師は今年で遷化されて30年の節目の年となりますが、未だに多くの信奉者が居られる偉大な禅僧でした。
私自身は山田無文老師に直接お目に掛かったことはなく、それこそWikipediaの情報やご高著を通してしか存じ上げておりませんでした。
そんな中、英語版のWikipediaの情報を見て、検索した結果山田無文老師の在りし日のお姿が動画で観れることが分かりました。

Zen of Yamada Mumon Roshi

この動画は、「参禅」の様子まで映し出されるというかなり貴重な動画です。
本ブログでよく高僧の方の書をご紹介することがあります。書には揮毫される方の「風格」が現れると言います。この「風格」、簡単に言うと「人柄や性格」といったところでしょうか。
山田無文老師の書は力強い中にも柔らかみがあり、独特な感じを受けます。
欧米ではこうした書が芸術として評価されていることが分かりました。文字を書くことは、その言葉が持つ意味を伝えるだけでなく、何とも言えない力を観る人に与えるのだと感じます。
外国の方々に日本がなぜ仏教と神道を大切にして歴史を歩んできたのかをきちんと説明できるようになることが、念珠を商う弊社の役割なのかもしれない、と思った次第です。
ご興味を持たれた方が居られましたら、山田無文老師の書をご覧にお気軽に弊社の寺町本店にお越しください。お待ち申し上げております。

時の流れ

いよいよ一年が終わりを迎えます。私は個人的に、来年1月に「締め切り」を迎えるものがあり、それに全ての時間を費やしているのが現状です。思い通りに進まない一方で時間が刻々と過ぎて行き、「時間が止まればいいのになぁ。」と思う日々です。
「時間」――これも不思議なものです。人間が作り出したものではありますが、人間がこれに最も拘束されています。
「山中無暦日」という言葉があります。「山中さんちゅう暦日れきじつ無し」と読み下されます。この言葉、「山の中の生活にはカレンダーはないので、月日が経つのを忘れている。」という意味に解釈されるのが一般的です。
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(上の画像の書は京都・正法山妙心寺管長・江松軒こうしょうけん 嶺興嶽老大師様が揮毫なさったものです。)
山の中に住んで、たった一人で自給自足の生活をすれば、確かにカレンダーも要らないのかもしれません。でも現実にはそんなことは難しいですよね。この言葉の大意は「時間に囚われてはいけない」ということを言っているのです。〔ちなみに、この言葉に接すると「何だか特殊相対性理論に通じる話だなぁ」と思ってしまいます。〕
現代社会は気忙しく、皆様方も時間に追われる生活をなさっておられると思います。そんな中で落ち着いて自分を見つめ直すのが大事だとこの言葉は教えてくれているのです。
そうは言っても、人間は時間に囚われてしまう生き物です。時間の流れには逆らえませんが、年末年始の落ち着いた瞬間に自分本来のあり方を見つめ直す機会を持たれても良いかもしれません


2017年は第14回から今回の第63回まで計50回の記事を更新して参りました。私の思うままに書いてきましたので、訳の分からない記事もあったかと思います。毎回色々なご感想を届けて下さって感謝しております。今後共、ご愛顧いただければと存じます。
皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

安田念珠店

〒604-8076 京都市中京区御幸町通三条下ル海老屋町323

TEL:075-221-3735 FAX:075-221-3730

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