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己巳の日〜銭洗弁財天詣り〜

六月になりました。暑い日が続きますね。
本日六月一日は己巳(つちのとみ)の日です。60日に一度の弁財天様の御縁日です。それも五月節(立夏から芒種まで)は巳の月です。巳の月の己巳の日は弁財天様との一番御縁が深い日であるそうです。
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私は本日東京で用事があり、前泊して早朝に鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社にお詣りに行きました。
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早朝なので、私以外に参詣者はわずかでした。
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洞窟の中でお金を洗うのが一般的なのですが、湧き水の基をたどって階段を上ります。
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境内の御宮様を全てお参りしてからお金を洗いました。金額としては小額ですが、洗ったお金はいろいろな人に差し上げようと思います。貰ったお金はたくさんの人と食事をする際の支払いに使うと増えて戻ってきて良いそうです。
清らかな水が流れる所には、このように神様、また不動明王様が居られます。昔の人々が、朝の清々しい空気の中に神仏の存在を感じたことはよくわかる気がします。こうした水のきれいな場所で茶を喫することができると尚良いな、と思った朝の散歩でした。

赤山禅院参拝~都七福神めぐり~

新たな御代を迎えました。皆様は10連休はどのようにお過ごしだったでしょうか?私はほぼ家におりました。テレビで上皇陛下並びに天皇陛下のお姿を拝しておりました。お言葉や儀式に臨まれる姿勢を拝見していると、お二人の陛下の誠実さが画面から溢れ出ているように感じました。先年発せられた「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠い」との上皇陛下のお言葉は未だ印象に深く残っています。私にとっては「天皇」という存在を改めて真剣に考え直す数日でした。
さて、御代替わりにおいてお祝いムードに包まれています。「祝」や「福壽」という文字があちらこちらに踊り、気分が華やぎます。本日は福徳をお授け下さる神様についてご紹介いたします。
平安京の東北には鬼門除けとして比叡山がある、という話は中学校の歴史の授業で聞かれたことがあるかと思います。その比叡山の境内という位置づけになっているのが比叡山の京都側の麓にある赤山禅院(せきざんぜんいん)というお寺です。お寺とは言っても最初に鳥居をくぐります。神仏習合の色濃く出たお寺です。
【鳥居】
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御本尊様は泰山府君(たいざんふくん)さまです。人が三途の川を渡った後に閻魔大王の前に進み出るわけですが、閻魔大王の横で帳面と筆をもっているのが泰山府君さまです。
【拝殿】
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【本殿】
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そしてこの赤山禅院は都七福神の福禄寿を祀るお寺でもあります。
【福禄寿殿】
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京都に住んでいながら今年になって都七福神巡りで初めて訪れたのですが、面白いですよね。閻魔大王さまをお祀りするのではなく、その隣の帳面をもった泰山府君さまをお祀りしているのですから。これは想像ですが、生きている間に泰山府君さまに一生懸命にお願いすると生きている間の罪状を閻魔大王さまに手心を加えて伝えてくれたりするのでしょうか?極楽行きか地獄行きか微妙なラインの場合は生きているうちの泰山府君さまへの願いがものを言いそうだなぁ、と勝手に思ってしましました。
赤山禅院は、「五十日」と書いて「ごとうび」もしくは「ごとび」と呼ぶ、支払日の商慣習の発祥の地でもあります。「五」や「十」が付く日や月末に支払いをすると集金が上手くいく、ということから始まった習慣とのことです。25日や月末もしくは10日が支払い期日となっている会社や銀行が今でも多いのはここが起源とのことです。
【都七福神・朱印色紙】
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七福神を巡ってみて、京都のお寺は結構面白いなぁ、と思いました。商慣習など今の生活では宗教的だと考えていないことにまで寺社は関わっていたのだなぁ、と感心してしまいました。
弊社にも新しき御代と共に皆様との御縁など福壽が舞い込んできてくれると嬉しいと思いました。

鎌倉散策

梅が見ごろの洛陽です。
先週末、私は鎌倉散策を致しました。主たる目的は金運アップの「銭洗弁財天」をお詣りすることでした。
JR鎌倉駅で電車を降りて、銭洗弁財天宇賀福神社を目指しました。
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坂の途中に一の鳥居があり、洞窟を抜けて本殿に到達するという構造になっている神社です。
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本殿でお参りした後に、すぐ奥にある洞窟の中の奥宮前でお金を洗います。今回は手持ちが少なく、多額を洗うことができませんでした。洗ったお金は使わないといけないと言われているので、有縁の方に差し上げました。訪れてみて、自然に出来上がった洞窟の凄さを思い知りました。奥宮のある洞窟は水が湧き出してすごく神聖な感を受けます。
そのままJR鎌倉駅に戻っても良かったのですが、そのまま山の頂上まで登り、葛原岡神社をお詣りしました。こちらは縁結びの神様です。
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山の上から麓を望んでみました。雨なので霞んでいますね。
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そのまま山を下り、JR北鎌倉駅を目指しました。JR鎌倉駅から銭洗弁財天を経由してJR北鎌倉駅まで行くと私の足で約1時間かかりました。
電車の時間を確認して、JR北鎌倉駅のすぐ目の前の円覚寺にお参りしました。
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円覚寺の山号は「瑞鹿山」と言いますが、その由来となった白鹿洞を初めて見ました。円覚寺開山の無学祖元禅師が説法をした時に白鹿が集まってきたとの逸話に由来しています。鎌倉という土地は海が近いので、山が自然に削られてこうした構造が出来上がるのだと感心してしまいました。
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円覚寺山内の一番奥にある黄梅院という塔頭まで歩いて行きました。ここに居られる聖観音様に一度会ってみたかったのです。
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お優しい表情をされていて、何だか癒される感じがしました。
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時間としてはそれほど余裕を持って滞在したわけではないのですが、鎌倉という街は歴史のある、そして神仏の沢山鎮座される街なのだと感じた1日でした。

神仏と人を繋ぐ葵

5月もあっという間に終わりに近づきました。
5月というと、京都では葵祭が催されます。京都の風物詩ですね。
葵祭
なぜ「”葵”祭」というかといえば、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の2つの神社の総称である「賀茂神社」の神紋が葵であるからとの理由です。
神話によると、遥か神代の昔に上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は、ご降臨を希った母神の玉依比売命(たまよりびめのみこと)の夢枕に立たれて、「葵を飾り、馬を走らせ、祭を行いなさい。」とのご神託を下されたそうです。そのお告げに従って神をお迎えする祭を行ったところ、賀茂別雷命がご降臨されたと伝わっています。それゆえ、「葵(あふひ)」は古くから神と人を繋ぐ草としてお祀りされているのです。
葵の御紋と言えば、徳川将軍家の「三ツ葉葵」が有名ですが、実は葵の寺紋を用いておられる寺院があるのです。それは信州の善光寺です。
【善光寺 山門】
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【善光寺 本堂】
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本堂の画像には門幕に立葵の寺紋が見て取れると思います。善光寺がこの立葵の寺紋を用いるのは、創建した本多氏(本田氏とも)が賀茂神社の社家一族だったからだと言われています。徳川家の祖である松平家も賀茂神社の社家一族だったため、葵紋を用いると言われています。
善光寺の御本尊は西暦642年に現在の地に遷座されたと伝わっています。神仏をお祀りする役目を担った社家の人々が神仏と人間とを「葵」でつなごうと考えられたのだろうと、私は想像しています。
葵祭は華やかな衣装に目が行きがちですが、神代から続く神と人とのつながりを現す儀式なのだと、葵祭の行列を垣間見て感じました。

愛宕神社参拝

梅の花が咲いていました。暖かくなって、春の訪れを感じる日々です。
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さて、節分は過ぎてしまいましたが、先日私は愛宕神社に参拝いたしました。
私は毎年、2月と8月に参拝しています。今年の節分の頃は最強寒波が日本列島に襲来していたので、少し暖かくなった時期を見計らって参拝しました。参拝した当日の京都市内の気温は5℃でした。それでもやはり山頂は吹雪いていました。
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【本殿へ続く石段】
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【鳥居】
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【本殿の入り口】
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【本殿】
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昨年はおかげさまで大きな火の厄に遭うことはありませんでした。昨年のご加護を感謝し、本年の新しいお札を頂戴いたしました。
(昨年の参拝の様子は「節分のお詣り(その1)」をご覧ください。)
今年も1年、火の厄がないことを願っております。

橿原神宮参拝

8月が終わりました。長かった残暑も終わりに近づいたようです。


さて、私は先日、奈良の橿原神宮を参拝しました。京都からですと近鉄に乗って約1時間ほどで到着します。
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橿原神宮は神武天皇を御祭神としてお祀りしている神社です。神武天皇は男性ですので、神殿の屋根が下の写真のようになっています。
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神武天皇とは初代の天皇です。神話である『古事記』〔中巻〕に登場します。
話の要点としては次の通りです。神武天皇は現在の宮崎県高千穂町から瀬戸内海を通って一度大阪へと到着されました。大阪で戦いに敗れ、和歌山沖を沿って熊野に到着、そこから西に向けて再度大阪方面を目指し、現在の橿原神宮の鎮座する場所に都を造られた、というお話しです。
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ここで、「大阪で一旦敗退、熊野から西へ向かって進撃」という部分、実はこのお話の中でかなり大事な部分です。というのも、九州から大阪へという「西→東」の方角は「日の昇る東に向かって」行く方角です。神武天皇は天照大御神あまてらすおおみかみ (太陽の神様)の子孫なので、太陽を背にして戦う、つまり後光が差すように敵と戦うことが大事なのです。このため、神武天皇は一旦熊野へ回り、「東→西」の方角へ進撃をしたのです。
この神話を踏まえて、いろいろな神社を巡ってみると、多くの神社、特に「神宮」と付く神社はそのほとんどが東向きか南向き(太陽の方角)であることが分かります。
「日本」という国の名前も、諸説ありますが、聖徳太子が隋(当時の中国の王朝)の煬帝ようだい への手紙で「日出処の天子、書を没する処の天子に致す。」と書いたことが起源と言われています。昔の人々にとって太陽というのがとても大切なものであったのだということがこうした諸事情から推察できます。
方角に注目して神社やお寺を参拝してみると、また別の発見があるかもしれません。今日は神社と方角についてのお話でした。

「東洋」と「西洋」

ここ数か月、季節の行事などに沿った話題でお話を進めてきました。話題に何の脈絡もないように感じておられた方も多いのではないでしょうか?
実は、「自然崇拝」について洋の東西による違いを考えてみようという意図で進めていました。




私の興味関心は、「『東洋』と『西洋』の違い」です。世界は「東洋」と「西洋」だけではなく、イスラーム圏などもあります。ただ、現在の国際秩序形成の中心であった「西洋」と日本が属する「東洋」の違いを理解することは肝心なことだと考えています。
これまでお話してきた通り、日本では自然崇拝を基礎とした神道と大陸から渡ってきた仏教とが習合し、文化の形成基盤となってきました。一方の「西洋」は、キリスト教を基礎として文化が形成されてきました。「西洋」では人間や自然も含めた万物を神が創造したと考えられてきました。ですから、自然に神は宿らず、人間の文化形成に自然崇拝の要素が少ないと言えます。
文化形成の面で「東洋」と「西洋」にとても大きな差が生まれたのは、こうした「自然への接し方」に違いがあったからだと私は考えています。
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「西洋」の文化形成の基盤はヘレニズムヘブライズムです。では、日本に限らず「東洋」の基礎となっているものは何でしょうか?私は、自然崇拝と仏教なのではないか、と考えています。
「手を合わせる」という祈りの所作は洋の東西によって違いがありません。「東洋」と「西洋」の文化形成基盤の差が、もしかすると念珠の発展過程に何か関係があるやもしれない。私はそうした関心を持ち続けています。
今日は少し難しいお話でしたが、私の興味関心についてお話を致しました。


(「東洋」、「西洋」と確固付きで表記しているのは、①中東などのイスラーム圏を「西洋」に含めていないこと〔イスラームもヘブライズムの流れを汲むので〕、②一般的な東洋にも東南アジアにイスラーム圏があること、の2点を考慮してのことです。)

祇園祭

暑い夏です。ただ、凄まじい雨も降り、九州北部では豪雨被害に遭われた方々が居られます。先ずは一刻も早い復興、復旧をお祈り致します。


7月も半ばになり、本格的な夏になりました。京の夏の風物詩といえば祇園祭です。
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山鉾が建ち、京都の街は賑わいます。宵山などでは観光や様々な目的で大勢の方々が集われます。
祇園祭は疫病が流行した平安時代に、平癒を願って町衆達が祇園社、現在の八坂神社に奉納したのがはじまりと言われています。祇園祭も「祈り」が起源なのです。それぞれの鉾や山に様々なご利益があるのもそのためです。
町衆文化ですから、西陣織などの京都の職人技が山鉾のあちこちに見られます。祭を通じて京都の伝統技術を体感できるのも祇園祭の魅力の1つです。
先週お話をしました七夕もそうですが、日本の神様には「期間限定の神様」が沢山居られるように感じます。火之神や水之神のような「分野別の神様」、そして「期間限定の神様」とありとあらゆる場所・時間に神様が宿っておられるのだと感じます。まさに「八百万神」です。
日本の神様は賑やかな所がお好きです。天岩戸のお話はその最たる例だと思います。祇園祭にもお出掛けになると、賑やかな所へお越しの神様にお出逢いが叶うかもしれません。

七夕の日に

先週は更新が滞り、申し訳ありませんでした。先週は京都を離れておりました。その内容は次回以降にご紹介することとします。


さて、本日は「七夕」です。織姫と彦星が一年に一度会うことが許された日です。
正確には旧暦の七月七日なので、現在の暦で考えれば八月のお盆の前の季節になります。「七夕」と同じ発音をする「棚幡」が旧暦の七月七日に京都でも飾られます。この「棚幡」は精霊をお迎えするために亡くなった人の戒名を書いた幡を吊るしたものです。飾るのが旧暦七月七日の夕刻だったので「七夕」と表記されるようになったそうです。
「七夕」は仏教起源のお話ではありません。日本における自然への信仰が、その後に伝来した仏教と融合して今のような形になったと言われています。
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話は戻って、織姫と彦星の物語についてです。ご存知だとは思いますが、一応話の概略だけを記します。
織姫は神様の娘で機織りの名人、彦星は勤勉な牛使いの青年でした。神様は身なりに構わず働き続ける娘を不憫に思い、勤勉な青年の彦星を娘の結婚相手とします。彦星が娘・織姫を幸せにしてくれるだろうと思って。
織姫と彦星は結婚後、それまでの勤勉さが嘘のように怠惰になります。織姫が織るべき天の衣が不足し、牛たちもやせ細っていきました。神様は2人に働くように言いましたが、2人は働こうとしなかったため、神様は怒って2人の間を「天の川」で引き離しました。引き離したものの、2人とも悲しみに暮れて一向に働かなかったため、一年に一度、七月七日だけ会うことを許しました。その結果、織姫と彦星は真面目に働くようになりました。
というお話です。

私は幼稚園の頃にこの話を聞いて「何て勝手な神様なんだ!」と思いました。神様は自分の都合で織姫と彦星の夫婦を無理やり引き離しています。今思うと、日本の神様はどこか人間臭い感じがして親近感が湧くのですが、まだ幼かったころは織姫と彦星が可哀想だなと思ったものでした。

最近、色々な方とお話しをしていると、失敗をしたり間違いを犯すことを極度に恐れているように感じることが多々あります。「失敗は成功の基」などの格言があるように、失敗や間違いは生きていく上で重要なことなのだと思います。日本の神話やギリシア神話を読んでいると、「神様でも失敗をしたり間違いを犯したりするのだなぁ」という感想を抱きます。
失敗を恐れずにチャレンジすることが大事なことなのだ、だって神様でも失敗しているんだから、と思うようにしています。
「七夕」から派生して、私の最近の感想をお話ししました。

明治神宮参拝

桜の季節が過ぎ去る前に、桜の写真を何枚か載せたいと思います。
【吉田山の桜】
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【待兼山の桜】
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【六甲台の桜】
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京阪神の三都を巡ってみました。
少し時期は遅いですが、私は「名残」が好きで、時期が遅れて咲く桜に趣を感じます。
では、今の都である東京の桜をご紹介します。
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先週、私は明治神宮に参拝致しました。最近刊行が続いています『昭和天皇実録』には明治神宮が鎮座された日(正確には鎮座は11月1日。)に次のような記述があります。
大正九年十一月二日火曜日
午前八時三十分御出門、御参内になる。九時、公式鹵簿にて宮城を御出門、明治神宮鎮座祭に天皇御名代として御参拝のため、官幣大社明治神宮に行啓される。明治神宮造営局副総裁床次竹二郎の先導にて神前に進まれ、本殿階下において御拝礼になり、宮司公爵一条実輝の奉仕により、玉串を供えられる。十時神宮を御発、再び御参内になり、天皇に復命される。ついで御内儀において皇后と御談話になり、十一時ニ十分宮城御出門、御帰還になる。
『昭和天皇実録 第二』(東京書籍、2015年)640ページ
ここでは、当時の皇太子 裕仁親王殿下(後の昭和天皇)が明治神宮鎮座祭に御参拝された様子が記述されています。ちなみに、明治天皇と昭憲皇太后の御陵(お墓)は京都・伏見の桃山御陵です。
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1920年に鎮座されましたので、2020年、東京オリンピックの年が鎮座100年なんですね。今は鎮座100年に向けて本殿の改修工事がなされていました。
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明治天皇は和歌を沢山詠まれており、明治神宮ではおみくじではなく明治天皇の御製歌(大御心〔おおみごころ〕と呼ばれています。)が引けます。大正天皇は漢詩を、昭和天皇は和歌を沢山詠まれておられます。
私は和歌が好きで一首詠みました。
尋ね入る 代々木の杜に 櫻花舞ひ
大御心を 拝し祀らん
春は花――本ブログのタイトルも道元禅師の和歌から拝借しております。上の歌も道元禅師の有名な歌から一部拝借しております。和歌はなかなか良いものだと感じます。
今日は桜の写真をお届けしました。

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