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節分のお詣り(その2)

前回の雪化粧した愛宕神社の写真に「神々こうごう しい」とのご感想を述べて下さった方が居られました。ありがとうございます。雪に反射した陽の光が御社おやしろ を照らし、確かに神々しさがありますね。こうした自然の風景から古人は神を感じたのかもしれません。


さて、前回の続きのお話をしましょう。
愛宕山を下山した私は、京都御所を目指しました。次なる目的地は京都御所の東に位置する清荒神きよしこうじん 護浄院ごじょういん です。京都市バスには「荒神口こうじんぐち 」というバス停があり、そのバス停から程近くにこのお寺はあります。
「清荒神」と聞くと、特に関西の方は宝塚市にある「清荒神清澄寺」を思い浮かべる方が多いと思います。阪急宝塚線にも「清荒神」との駅名があり、清澄寺様への参拝の方に多く利用されています。
私がお詣りしたのは清荒神護浄院様です。こちらは、天台宗のお寺なのですが、境内に鳥居があります。これはまさに江戸時代までの神仏習合の名残を目にできる好例です。
清荒神護浄院の北側には「清浄華院しょうじょうけいん 」という浄土宗のお寺があります。この2つのお寺は共に名前に「清」「浄」が入っています。これは、平安京の鬼門を護る比叡山の回峰行者が行を満行し、御所に参内する際に身を清める(きよ める)ためのお寺だから、との理由です。


私は、護浄院様で神棚の御扉にお祀りする御神札を頂きました。三宝荒神は「かまど の神様」で、火事から御守り下さるご利益りやく があるそうです。
お店に戻り、神棚に愛宕神社と清荒神護浄院の御神札をお祀りしました。
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向かって左が愛宕大神さま、右が三宝荒神さまです。

こうして、これから来年の節分までの1年間、火事から御守り頂けると信じております。
2回に渡り節分のお詣りをご紹介して疑問を持たれた方が多いのではないでしょうか!?というのは、念珠を製造販売する弊社がなぜ火除ひよ けに殊更熱心なのか?という点についてです。


これについては、また次回にお話することに致しましょう。

節分のお詣り(その1)

この数週間は少し難しい話題が多かったように思います。今週は、一旦小休止です(笑)。


私は、前回の記事を更新してから、山登りに出かけました。どこの山か!?京都市の北西に位置する愛宕山(あたごやま/あたごさん)です。落語がお好きな方は「愛宕山(あたごさん)」という演目で良くご存知かもしれません。

桂米朝「愛宕山」

その日は2月3日。そう、節分の日でした。
愛宕山の山頂には愛宕神社という神社があります。「愛宕神社」という名前の神社はWikipediaによると全国にかなりの数があります。それらの神社の総本社が京都の愛宕神社なのです。
2月3日当日は、京都市の最高気温が12℃、最低気温4℃と2月としては暖かい日でした。清滝口きよたきぐち から登り始めた私は、一歩一歩足下を確認しながら登って行きました。しばらく登ると、足下がぬかるんできました。もうしばらく登ると、そこは一面に雪で覆われていました。中腹で一面の雪でしたので、そこからは山頂に向かうほど雪が深くなりました。
清滝口から1時間25分、愛宕神社の本殿下の階段に到達。そこはもう銀世界でした。
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本殿でお参りをして、御神札を頂きました。
御扉みとびら の神棚にお祀りする御神札と下の画像の火伏札を頂きました。(神棚については次回、ご紹介致しますので、お楽しみに。)
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愛宕神社は火伏せの神様として広く知られ、信仰を集めています。本来は7月31日に「千日詣り」をするのが良いのですが、私は節分にあわせてお詣り致しました。
いにしえ こよみ では立春から一年が始まる、という考え方をしていました。節分は立春の前日ですので、節分にそれまで1年の間で頂いた御札をお返しし、新たな御札を頂くことで新たな年を迎えることができる、と考えられてきたのだと(私が勝手に)理解しています。そして、愛宕神社の御神札を頂くことで、今年1年は火事などに遭わないようお守り下さる、と願っております。
雪道を下山することに骨が折れましたが、何とか下山し、もう1件のお詣りに向かいました。。。が、それは次回ご紹介することと致します。

阪神淡路大震災の日に

本日は阪神淡路大震災から22年の日です。
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昨年2016年の熊本地震、2011年の東日本大震災、2004年の新潟県中越地震、、、20年以内に限っても大地震は数多く発生しています。
地震を予知できるようになれば被害も小さくできるかもしれません。ただ、先日の大雪も降ることが事前に分かっていましたけれど、多少の混乱がありました。ですから同じように、地震を予知できたとしてもやはり被害をゼロにすることは難しいのかもしれません。(もちろん、気象や地震による被害を減らそうと日夜研究されて居られる方々がおいでになり、そうした方々のご尽力で少しでも天災の被害を小さくできればと私は願っております。)
こう考えると、やはり「祈る」しかないのでしょうか?「祈り」は効果が見えにくいものです。祈ったからといって、即座に願いが叶うとは限りません。では、どうすれば良いのでしょうか?
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この問いに対する答えは分かりません。それでも私は、普段から祈ることが大切だと考えています。祈りを始めるきっかけは人それぞれですが、毎日手を合わせる習慣を作ることが、大変な状況の時に生きている私達を支えてくれるのではないでしょうか?
阪神淡路大震災で亡くなられた大勢の御霊に手を合わしつつ、生きている私達にとっては手を合わせる習慣が大切なのではないか、私はそう思うのです。

新年に向けて

クリスマスが終わり、間もなく新年を迎えます。クリスマスツリーから門松へと街の装いが急激に変化するこの1週間は「日本らしさ」を象徴する1週間ではないでしょうか?

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カレーライスにナポリタンそれにラーメン、洋食や中華として一般的なこうした食べ物は実は日本で生み出されたものです。インド・カレーやパスタなどといった基礎となる料理は当然海外から日本に入ってきたものですが、それを日本人の舌に合わせて作り出したのがこうした食べ物なのです。
仏教もキリスト教も、日本で生まれた宗教ではありません。それぞれ、海や陸の道を通って伝わってきました。
仏教やキリスト教が入ってきた当初はそれぞれ排斥されました。仏教を巡っては聖徳太子が皇子の時代に起きた蘇我氏物部氏争い、キリスト教を巡っては江戸幕府によって行われた踏み絵にそれぞれ象徴されます。その後、時間を掛けて仏教やキリスト教は日本文化に適した形に変容し、受容されたのです。それは決して熱心な信仰を強制するものではなく、カレーライスやナポリタンを食べるように、時折接するという姿勢です。まさにクリスマスがその好例です。
日本はこうした「フィッティング能力(社会に適した形に変容させ受容する)」に長けていると言えます。その基礎となっているのが、「八百万神」の思想なのだと私は考えています。どこにでもあらゆるところに神が宿る、この考え方が様々な宗教を受容した理由なのではないでしょうか?
新年を迎えて初詣に向かわれる方も多いと思います。神社で柏手を打つ時、その心は仏様を拝む心と同じであると気付いて頂ければ幸いです。
皆様、良いお年をお迎え下さい。

個性?

本ブログのサブタイトルに「西洋よりも東洋を好む……」と書いておりますが、今日は西洋のお話しです。
新年を迎えると日本でも様々な行事があります。世界的に有名な新年行事の1つとしてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートがあります。詳しくはWikipediaの説明をご覧ください。このコンサートでは、ヨハン・シュトラウス2世の作曲した楽曲を毎年演奏します。曲目に限りがありますから、もちろん重複する楽曲があります。このコンサートの見どころは毎年、著名な指揮者がタクトを振るうところです。日本人では2002年に小澤征爾さんがタクトを振るっています。

Carlos Kleiber – “Die Fledermaus” – J. Strauss – New Year’s Concert 1989

シュトラウスⅡ世 歌劇「こうもり」序曲 小澤征爾 ウィーン・フィル

上に掲載した2つの動画は、上がカルロス・クライバーの指揮のもの、下が小澤征爾さんの指揮のものです。同じ『こうもり 序曲(Die Fledermaus)』なのに、微妙に違っています。楽譜も場所も同じですが、指揮者と演奏者が違うと微妙な差が生まれます。テンポやそれぞれの楽器の音の強弱など、指揮者の楽曲への解釈の違いによって差が生じます。
この2つの演奏の違いから何が見えてくるでしょうか?私は、これこそ「個性」だと考えています。同じ楽譜の曲目を演奏しても全く同じものとならない。これは自明のことのようで、案外気付いておられる方は少ないように思います。
仏教も神道もキリスト教もイスラム教も、教えは違えど信じる人その中身は同じです。各宗教の「個性」を知ること、これも仏教への理解を深めるために必要なことだと思うのです。
今日はクラッシック音楽を手掛かりに考えてみました。

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音楽の聴き方――聴く型と趣味を語る言葉

著者:岡田暁生 
出版社:中央公論新社
発売日: 2009/06/25
メディア: 新書
参考URL:http://www.chuko.co.jp/shinsho/2009/06/102009.html
(中央公論新社)

八百万神

「八百万神」――皆さんはこれを何と読みますか?
私は小学生の頃に授業で「はっぴゃくまんしん」と読んで、恥ずかしい思いをしたことがあります。
これは「やおよろずのかみ」と読みます。「八百屋」の「八百やお 」と「萬屋錦之助よろずやきんのすけ 」の「よろず 」(「萬」は「万」の旧字です。)と理解すれば、納得です。
「八百万神」とは簡単に云えば「日本古来の沢山の神様」という意味です。
伊勢神宮や出雲大社などは神話に出てくる神様がご祭神の神社です。一方で、明治神宮は明治天皇と昭憲しょうけん 皇太后こうたいごう (明治天皇の皇后)をご祭神としてお祀りしており、このように実在の天皇陛下・皇后陛下がご祭神の神社もあります。他にも、八幡神(はちまんしん/やはたのかみ)、稲荷神(いなりのかみ)など、様々な神様が全国各地で祀られています。
学問の神様として有名な「天神さま」(天満宮)のご祭神は菅原道真公です。天満宮は神話に登場する神様や天皇陛下・皇后陛下を祀った神社ではありません。映画『陰陽師おんみょうじ 』で有名になった安倍晴明あべのせいめい を祀っている晴明神社もこうした神社の1つです。神様と言っても趣の違う神様が沢山おられます。
「八百万神」は「自然のあらゆるものに神が宿る」という考え方を基礎にしています。ですから、沢山の神様が居られても不思議ではありません。
手を合わせる時、皆様は誰かを思い浮かべることが多いと思います。日本における「八百万神」は私達の「誰かを思い浮かべで手を合わせる」という意識と近いように感じます。
日本で神道と仏教が融合したのは、こうした意識を仏教が受容できたからかもしれません。

神様?仏様?

椎名林檎さんの歌に『神様、仏様』という楽曲があります。
(詳細は「椎名林檎チャンネル」:https://www.youtube.com/watch?v=42W8bxW14sU

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椎名林檎 – 神様、仏様

歌詞の意味を考えると、とても難しいです。「繰り返される諸行無常」や「南無阿弥陀仏!」といった仏教的な言葉もあり、「幽霊の正体見たり」などの神道的な言葉もあります。

難しいですね。。。。。

ただ、この歌詞から日本における仏教と神道の関わりが見えてくるように思います。楽曲のタイトルにある通り「神様、仏様」は並び列せられる存在なのです。「並び列せられる」と書きましたが、つまり日本では「神様」と「仏様」は共存しているんですね。これは「神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう)」という言葉で説明される、江戸時代までの仏教と神道との関わりの名残りなのです。

そういえば、ことわざにも「困った時の神頼み」というものもあれば、「仏の顔も三度まで」というものもあります。日本人は神様にも仏様にも親しんできたのですね。

神様にも仏様にも共通しているのは「祈り」という行為です。私たちの取り扱う「念珠」という商品は祈りと共にある商品です。

日本人と祈り。この関わりを考えつつ、私たちは皆様に素敵なぬくもりをお届けすることを目指しております。

椎名林檎さんの『神様、仏様』。今回は、この楽曲を手掛かりに「祈り」について考えてみました。

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