霊場巡り | 春は花

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赤山禅院参拝~都七福神めぐり~

新たな御代を迎えました。皆様は10連休はどのようにお過ごしだったでしょうか?私はほぼ家におりました。テレビで上皇陛下並びに天皇陛下のお姿を拝しておりました。お言葉や儀式に臨まれる姿勢を拝見していると、お二人の陛下の誠実さが画面から溢れ出ているように感じました。先年発せられた「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠い」との上皇陛下のお言葉は未だ印象に深く残っています。私にとっては「天皇」という存在を改めて真剣に考え直す数日でした。
さて、御代替わりにおいてお祝いムードに包まれています。「祝」や「福壽」という文字があちらこちらに踊り、気分が華やぎます。本日は福徳をお授け下さる神様についてご紹介いたします。
平安京の東北には鬼門除けとして比叡山がある、という話は中学校の歴史の授業で聞かれたことがあるかと思います。その比叡山の境内という位置づけになっているのが比叡山の京都側の麓にある赤山禅院(せきざんぜんいん)というお寺です。お寺とは言っても最初に鳥居をくぐります。神仏習合の色濃く出たお寺です。
【鳥居】
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御本尊様は泰山府君(たいざんふくん)さまです。人が三途の川を渡った後に閻魔大王の前に進み出るわけですが、閻魔大王の横で帳面と筆をもっているのが泰山府君さまです。
【拝殿】
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【本殿】
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そしてこの赤山禅院は都七福神の福禄寿を祀るお寺でもあります。
【福禄寿殿】
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京都に住んでいながら今年になって都七福神巡りで初めて訪れたのですが、面白いですよね。閻魔大王さまをお祀りするのではなく、その隣の帳面をもった泰山府君さまをお祀りしているのですから。これは想像ですが、生きている間に泰山府君さまに一生懸命にお願いすると生きている間の罪状を閻魔大王さまに手心を加えて伝えてくれたりするのでしょうか?極楽行きか地獄行きか微妙なラインの場合は生きているうちの泰山府君さまへの願いがものを言いそうだなぁ、と勝手に思ってしましました。
赤山禅院は、「五十日」と書いて「ごとうび」もしくは「ごとび」と呼ぶ、支払日の商慣習の発祥の地でもあります。「五」や「十」が付く日や月末に支払いをすると集金が上手くいく、ということから始まった習慣とのことです。25日や月末もしくは10日が支払い期日となっている会社や銀行が今でも多いのはここが起源とのことです。
【都七福神・朱印色紙】
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七福神を巡ってみて、京都のお寺は結構面白いなぁ、と思いました。商慣習など今の生活では宗教的だと考えていないことにまで寺社は関わっていたのだなぁ、と感心してしまいました。
弊社にも新しき御代と共に皆様との御縁など福壽が舞い込んできてくれると嬉しいと思いました。

将軍塚へ

新元号が決まりましたね。英訳すると「beautiful and harmony」とのこと。新たな御世に期待が持てる元号と思いました。
平安京が造営される際に、桓武天皇が平安京鎮護のために土の将軍の人形を都の方に向けて埋めた塚があります。「将軍塚」との名称で京都・東山連峰の中でもひときわ高い場所に位置します。
【将軍塚】
将軍塚
この将軍塚は青蓮院門跡の飛び地境内となっており、現在そこには青龍殿というお堂と共に国宝の「青不動明王二童子像」(掛軸)がお祀りされています。
【将軍塚正門】
将軍塚正門
【青龍殿】
将軍塚青龍殿
目にすることができるのはレプリカのものですが、教科書にも載っている、御不動様と言えば日本人が想像する代表的な仏様を拝しました。
将軍塚を訪れたのは初めてでしたが、高い位置から京都市内を一望できました
【京都市北部を臨む】
将軍塚から京都市北部
【京都市南部を臨む】
将軍塚から京都市南部
最近、私は個人的に御不動様をお参りすることが多いです。御不動様は「降魔(ごうま)」の仏様と私は思っているので、何だかいろいろな困難なことが上手いこと降りかからずに事が進んでいるように感じます。京都を一望できる位置に、御不動様が居られ、京都の平安をお護り下さっているのだなぁ、と感じ、青不動様に感謝してお参りすることができました。

目黒不動参拝

物の見え方というのは感情に左右されてしまうと感じています。昨年、西国巡礼の最中で舞鶴の松尾寺を参拝した際に、馬頭観音様を初めて拝して、凄まじい衝撃を受けました。観音様と言えば大変に優しい表情をされているイメージが強く、「慈母観音」に代表されるように微笑んでいる表情が多く見られます。それに対し、馬頭観音様は忿怒の表情で、「観音様にもいろんな表情があるなぁ。」と感じたのを覚えています。
馬頭観音様を拝してから、不動明王様に対する見方が変わりました。不動明王様に対して、私はどちらかと言えば怖い印象を持っていましたが、忿怒の表情というのは「魔を退散させ、煩悩や悪縁を断ち切る」ためなのだと知って、「怖い」という感情から「ありがたい」と思うようになりました。


さてさて、先立って東京に赴いた際に、少し時間があったので目黒不動にお参りしました。
目黒不動
正式には「泰叡山瀧泉寺(たいえいさんりゅうせんじ)」と言います。地名になっていることからもお分かりの通り、巨大な堂宇を誇る大寺院です。
最近の私の関心は、目黒不動を含めた五色不動(目白・目黒・目赤・目青・目黄)の配置、そして寛永寺と輪王寺、江戸城を含めた配置がどういった思想に基づいていたのか、というものです。恐らく易学や陰陽五行思想に関連しているとは予想できますが、江戸から「魔を退散させる」という徳川家康の思いが込められているように感じています。
不動明王様は、何か願い事を叶えてくれるというよりも「無魔に(難無く)過ごせる」ように護って下さる仏様なのだと目黒不動をお参りして感じました。雑感ですが、今週はこんなところです。

観音様~出逢いに感謝~

カレンダーを新しくする時期です。いよいよ年の瀬となりました。
本年は私自身が歩いてもしくは車や電車に乗って、いろいろな所へ行った年でした。きっかけは本年4月末に観音霊場の納経軸を発見したことでした。
まずは京都に住んでいるのだからと、洛陽三十三所観音霊場を巡りました。そして、西国観音霊場を巡り終えた私は百観音を目指して現在巡礼を続けています。
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8月にご紹介した納経軸は仏様となって先日、我が家にお迎えしました。
観音様は三十三の御姿に変化(へんげ)して私たちの身近に御出で下さると言われていますが、本年は観音様を通じて沢山の方々との出逢いがありました。恐らく私の人生の中で最も多くの方々と出逢い、お話しできた一年だったのではないかと思います。人と出逢い、話をすることで自分自身を見つめ直し、智慧を得ることができるのだと感じました。
本年も気の赴くままに綴ってきましたが、お付き合いいただいた皆様方に感謝しつつ、本年は筆を擱くことといたします。
よいお年をお迎えください。

総持寺~包丁の道~

12月も半ばです。今週は一気に寒くなりました。
1週お休みしていましたが、今週から再開いたします。
石塔(総持寺)
私は阪急電車を頻繁に利用します。その沿線に「総持寺駅」という駅があります。幼い頃からお寺があることは認識していましたが、それ以上の認識はしていませんでした。西国巡礼を始めて、この「総持寺駅」が西国霊場の総持寺の最寄り駅だと分かりました。
【山門】
山門(総持寺)
【山門から本堂を】
山門から本堂を(総持寺)
さて、総持寺の起源は、藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)という公家が助けた亀によって命を救われるという逸話で良く知られています。山蔭の父が亀を助けた日、山蔭が継母に川へ突き落されてしまいますが、その亀に乗って山蔭は帰って来る、というお話です。その日が18日、観音様の縁日だったので総持寺が建立されたと言われています。
【本堂全景】
本堂全景(総持寺)
藤原山蔭は大人になってから宮中で料理法の策定に関わったそうです。その中で包丁道を確立しました。魚(大抵の場合は鯛)を決まった所作に従って捌いていく儀式です。
【包丁塚】
包丁塚(総持寺)
包丁”道”というくらいですから、「礼に始まり礼に終わる」ものです。こうしていろいろなお寺をお参りし、色々な文化に触れると、日本の文化の意味づけが少しずつ分かってくるように思います。
華道は六角堂の如意輪観音さまへのお供えから始まったもの、茶道も神仏への献茶の為に確立されてきたもの、そして包丁道は天皇陛下への献上の為に確立されたものと考えることができます。
日本には「道」と付くものが沢山あります。ただ単に花を活ける、お茶を点てる、魚を捌くという行為だけではなく、そこに気持ち、心を込めなければならない、ということが「道」の根底にはあるのだと感じます。
【総持寺の御詠歌】
「おしなべて 老いも若きも 総持寺の 仏の誓ひ 頼まぬはなし」
御詠歌(総持寺)

善峯寺~要のお釈迦様~

早12月です。今年は秋が無く、夏からすぐに冬になった気がします。
寒さが厳しくなると、冷えて腰が痛くなる方も居られます。冷えは万病の基、お気を付けください。
昔からこうした腰痛や神経痛に悩まされた人が多くいました。そうした人々を癒したのも仏様でした。京都の西山の善峯寺が今回ご紹介するお寺です。
【山門】
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【本堂(観音堂)】
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山に建つ善峯寺は京都市内を一望できるポイントが各所にあります。
【鐘楼堂付近からの眺望】
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善峯寺は多くの親王が住職となった格式の高いお寺です。その寺域が広い、伽藍が立派であるなど、目を見張るところがありますが、西山からは京都と比叡山をまとめて見ることができます。どこかで変化が起きた場合や緊急時に天皇などが避難できるように整備されたのだろうと考えられます。昔から、京都の人々は何かが起きてもイエが存続するように離散しておいて、緊急時に備えていました。
【遊龍の松】
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善峯寺の見どころは「遊龍の松」でしょう。背丈は1mほどですが、とても大きく広がった松です。国の天然記念物に指定されています。恐らく人工的に作り上げられた形状なのでしょう。簡単に言うと「盆栽の大作」と言えると思います。
今回のお参りでは、観音堂よりも釈迦堂でのお勤めの方が何だか気持ちが良い気がしました。本堂は参拝者でにぎわっていましたが、少し登ったところにある釈迦堂は内陣でお参りができるにもかかわらず参拝者も少なく、仏様と近くでお参りすることができました。
【釈迦堂と西山】
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釈迦堂の裏では夏季(5月~10月)の第二日曜日に薬湯場が解放されます。昔から多くの参拝者が薬湯に浸かって腰痛や神経痛を癒していました。
【善峯寺の御詠歌】
「野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立」
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仏様に近いお参りをすると、薬湯に浸かったような何とも言えない気持ち良さを感じます。御詠歌にもあるように、雨が上がって観音様が良い方向にお導き下さるような気がします。普段の喧騒を少し離れて、心を洗う所業も大切だと思うお参りでした。

穴太寺~矢傷のある観音様~

秋が深まりを見せています。
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京都市から北西に亀岡市があります。亀岡市に在るのが穴太寺(あなおじ)です。
【山門】
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穴太寺の本尊様は逸話があります。宇治宮成(うじのみやなり)というお侍さんがいました。宇治宮成の奥さんはとても信心が厚く、京の都から仏師・眼清(がんせい)を招いて聖観音像を彫ってもらいました。宇治宮成の妻は眼清へ御礼の印として白馬を与えたそうです。宇治宮成はその白馬が惜しくなり、先回りして白馬に乗った眼清を矢で射てしまいました。戻ってきた宇治宮成は眼清が彫った聖観音像に矢が刺さり、血が流れているのを目にします。観音様は眼清の身代わりになったのです。宇治宮成はその一件で改心して仏門に入ったそうです。
【本堂】
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【多宝塔】
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そして、穴太寺には「安寿と厨子王」で有名な厨子王がかくまわれたお寺です。
【穴太寺の御詠歌】
「かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声 」
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長閑な田園地域に佇む穴太寺は御詠歌の通り、こんな苦しみの多い世の中に生まれたことを憂えずに、観音様に思いを聞いてもらって、私たちの苦しみ悩みを矢傷の如く観音様に受けて頂きたいと感じるお寺でした。

今熊野観音寺~頭痛封じ~

紅葉が色づいてきました。
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さて、本日は今熊野観音寺のお参りの様子のご紹介です。
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今熊野観音寺は正式名称を「新那智山 観音寺」と言います。その名の通り、西国第一番札所の那智山青岸渡寺のある熊野三山の権現さまを京都に招来してできたお寺であります。
【本堂】
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今熊野観音寺の御本尊は弘法大師が熊野権現から天照大御神の彫った観音様を授けて、洛東に観音堂を建立するように言ったという言い伝えがあります。そして、後白河天皇が頭痛に悩んだ際に頭痛を治した観音様としても知られます。
【大師堂】
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境内にボケ封じの観音様があるのもこうした経緯からです。
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【医聖堂】
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この医聖堂は医術と宗教の双方を大切にすることを願って建てられたものです。頭痛封じのお寺としての特徴を表していると思います。
【本堂と医聖堂】
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後白河法皇は頭痛が本当にひどかったようです。今熊野観音寺をお参りして、頭痛封じの観音様とのご利益を目にしましたが、こうした後白河法皇の頭痛を封じるために平清盛の寄進によって三十三間堂が建立されています。そして三十三間堂は「頭痛山平癒寺」と呼ばれるようにもなったそうです。三十三間堂の御本尊様並びに1001躯の観音様は後白河法皇の頭痛平癒の為の観音様なのだと分かりました。
嘗ての天皇の信仰を垣間見ると、どのように観音様にお詣りなさっていたのだろうか、と思いを馳せてしまいました。
【今熊野観音寺の御詠歌】
「昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり 」
御詠歌(今熊野観音寺)

南都の観音様~南円堂と二月堂~

秋も深まってきました。
京都(平安京)に対して南にある奈良の旧都・平城京をかつて「南都」と呼びました。現在の奈良市を中心とした地域です。かつては政治経済の中心地でしたので、もちろん仏様がおいでになります。
近鉄奈良駅から徒歩5分ほどで到着するのが西国第九番札所の興福寺南円堂です。
【興福寺南円堂】
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南円堂の御本尊は不空羂索観音さまです。西国の札所で不空羂索観音さまが御本尊なのはこちらだけです。南円堂は藤原氏の元祖春日明神を祀った春日大社の傍らに、藤原冬嗣が子孫繫栄の為に建てたことが始まりと言われています。こうした経緯から、南円堂は興福寺の中にありながらも、明治の廃仏毀釈に遭うことがありませんでした。現在の南円堂は江戸時代の寛保元年(1741年)に建てられたものです。興福寺は明治期の廃仏毀釈で大きな打撃を受けたお寺です。時代の流れの中で歴史的な建造物が沢山壊され、仏像なども多くが海外へ流出しました。
【興福寺中金堂】
興福寺中金堂
興福寺の本堂である中金堂は2018年10月、300年ぶりに再建されました。創建1300年の興福寺は本堂を焼失したまま300年もの間を過ごしていたのです。これは歴史的なことであると思います。
【興福寺五重塔】
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歴史を知りつつお参りをすると、現在こうして仏様にお目に掛かれるのは先人たちの努力の賜物なのだとつくづく感じます。
【興福寺南円堂の御詠歌】
「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲」
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南円堂を遠くから見ると御詠歌を詠われた花山法皇の気持ちがしみじみと分かります。もちろん今は「秋の日は」なのですが。
【興福寺南円堂を望む】
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さて、南円堂から徒歩10分程度で東大寺の二月堂に到達します。道中には東大寺大仏殿を見ることができます。
【東大寺大仏殿】
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東大寺二月堂は十一面観音様をご本尊とするお堂です。
【東大寺二月堂】
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修二会の映像を観たことがある方も多いと思います。
【修二会の様子(朝日新聞社)】
こちらは内陣に上がってお参りすることができます。
【東大寺二月堂からの眺め】
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奈良の景色を一望できる二月堂から、観音様は皆の安寧を願っておられるのだと感じます。
【東大寺二月堂の御詠歌】
「ありがたや ふしぎは一か二月堂 若狭の水を むかへたもふぞ 」
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南都では実に心地よい風を感じ、歴史を垣間見るお参りでした。

六波羅蜜寺~あの世とこの世の境界~

11月となると「涼しい」ではなく「寒い」という肌感覚になりました。季節は移り変わります。
あの世には行ったことがありませんので分かりませんが、誰もが死んだ後に行くことになるので実は身近な世界なのだと思っています。もしかすると、明日交通事故で死んでしまうかもしれない。こんな儚い世界に私たちは住んでいるのですから。
【本堂の扁額】
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昔の京都の人々はあの世とこの世の境目を御所から見て巽[辰巳]の方角(南東の方角)に定めていました。実際、御所から見て南東方角には西国観音霊場の第10番から第17番までの寺院がかたまっています。その中で第17番札所の六波羅蜜寺が今回お参りしたお寺です。17は33の丁度真ん中で、六波羅蜜寺は西国観音霊場の中央札所と言えます。
【本堂】
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六波羅蜜寺は浄土教の先駆者である空也上人が開基したと伝わるお寺です。空也上人は観音像を引きながら「南無阿弥陀仏」と唱えて京都中を廻られたそうです。平安時代、仏様は民衆にとってどれほど近い距離だったのでしょうか?想像するに民衆と仏様の距離は今より遠かったと思います。仏様はどちらかと言えば天皇や貴族など身分の高い人々の帰依によって日本に広まっていたからです。
空也上人は貴賤を問わず念仏を弘められました。平安時代、平安京造営がある程度落ち着いた時代にやっと民衆に仏様が近くなってきたのだと想像できます。そして空也上人があの世とこの世の境目である、都の巽に六波羅蜜寺を開基されたのも多くの民衆を救うためだったと想像できます。六波羅蜜寺は当初名前が「西光寺」と言いました。西方浄土から阿弥陀様がお越しになるということが寺院名にも如実に表れています。
【山門前の観音像(ご本尊様の写し)】
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本堂で観音様にお参りをした後、本堂横に在る地蔵堂へ行きました。こちらには銭洗弁財天様が居られます。
【地蔵堂】
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鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社の銭洗弁財天様が有名ですが、西国には六波羅蜜寺の銭洗弁財天様が居られます。
鎌倉の弁財天様はお金を洗って、そのお金を使わねばなりませんが、六波羅蜜寺の弁財天様では洗ったお金を動かさずに自宅の賢所で保管しなければなりません。弁天様は川の神様ですので、川の流れのイメージに起因して龍や蛇と結びつきました。その為、干支の辰や巳と結びついているのです。弁財天様には巳の日にお参りするとご利益がある(お金が増える)と言われているのもそうした理由からです。都の巽[辰巳]に六波羅蜜寺があり、弁財天様が居られるのも実はこうした意味があるのだという事が分かります。
滝などの水が激しく流れるところに不動明王さまが居られるように、都からの方角に応じて神仏が居られるのは恐らく易学が深く影響していたのだと思いを馳せながら、今回は六波羅蜜寺をお参りしました。
【六波羅蜜寺の御詠歌】
「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば」
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