「知らない」という親切 | 春は花

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

「知らない」という親切

私は幼い頃、疑問に思ったことは直ぐに父か母に尋ねていました。1つの質問で終われば良いのですが、返答に対してまた質問をして、最後には「知らない!」と言われたことが度々ありました。
正直に言って、私は「不親切」だと思っていました。結局、疑問が解消されなかったのですから。そこで母は、あまりに私がしつこく尋ねるので『こども大百科』(小学館・刊)を買ってくれました。先ずはこれを調べなさい、ということだったのでしょうか(笑)


ところが、大人になってから、質問に対して「知らない」と答えることは決して「不親切」ではないことが分かりました。
有名な問答があるので、ご紹介したいと思います。
「達磨さん」として有名な達磨大師は老齢になってから、インドより中国へ行きました。
当時の中国にはりょう という王朝の武帝ぶてい という皇帝が居ました。武帝は仏教を篤く信仰しており、「仏心天子ぶっしんてんし 」と呼ばれていました。
そんな武帝が高名な達磨大師が中国にやって来たと知り、2人は対面を果たします。
まず、武帝が「私はこれまで寺を建て、経を写し、僧尼を供養してきたが、どんな功徳があるか?」と尋ねると、達磨大師は「無功徳(何の功徳もありません)」と答えます。
これに続く問答が『従容録しょうようろく 』の第二則(本則)にあります。(『碧巌録へきがんろく 』第一則(本則)にも同様の記述があります。)
【書き下し文】
梁の武帝、達磨大師に問う、「如何いか なるか是れ聖諦しょうたい 第一義」
磨云く、「廓然無聖かくねんむしょう
帝云く、「朕に対する者は誰ぞ」
磨云く、「不識ふしき 」。
かな はず。遂に江を渡って少林に至って、面壁九年。
【現代語訳】(かなり意訳しています)
梁の武帝は達磨大師に尋ねました。「仏法の最上の教えとはどのようなものか?」
達磨大師は「仏の教えは、他のものと関係させること、比べて考えるようなことはしない。どれが尊くてどれが尊くないなどというものはない。」と答えた。
そこで武帝は「尊い道理も何もないのであれば、それを伝えるために私の前に居るあなたは一体何者なのか?」と尋ねました。
達磨大師は「そんなことは知らない。」と答えました。
武帝は達磨大師の言っていることを理解することができませんでした。達磨大師は遂に揚子江を渡り、少林寺に入って、九年間、壁に向かって坐禅をしました。
【春見文勝『提唱碧巌録集 全 自筆』(私家版、1982年)の函に描かれている達磨大師の画です。】
00043
ここで達磨大師が言った「不識(そんなことは知らない)」という言葉は、「I don’t know.」ではありません。頭で考えたことや書物で学んだ知識などという「人知」でははかることはできない、という意味です。


最初に紹介しました私の例では、「知らない!」と言ってはいるものの、『こども大百科』を買ってくる行動は、私の成長を促す母の心遣いであったのだと現在では理解しています。
「不知最も親切なり」という言葉もあり、「知らない」と返答することも決して「不親切」ではないということを、達磨大師と武帝の問答から学びました。

安田念珠店

〒604-8076 京都市中京区御幸町通三条下ル海老屋町323

TEL:075-221-3735 FAX:075-221-3730

E-mail:yasuda@yasuda-nenju.com

受付時間:平日(月~金曜日)AM9:00~17:30まで