「念珠のはなし」第11話 ‐ 天和3年(1683年)創業の安田念珠店

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第11話 最終話
現在、私共の店で念珠を買われるお客様の半数以上が、お葬式の道具として念珠(数珠)を買い求められます。それはそれで意味のあることだとは思いますが、私は本来はそうではないのではという思いが強くあります。

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ある方が 「宗教は "溺れる者は藁をも掴む" の藁である。」 と云われました。 溺れる者の様に何かに縋りたいと手を差し出す手に触れる藁こそ宗教だというのです。

もし、この方が云われる様に人間の宗教(仏教)に対する基本的なパフォーマンスが、溺れる者の様に藁に縋りたいと手を差し出すということであるなら、現実的にそのパフォーマンスに応え手のひらが握り締めるものは念珠であり、そして握り締めた手のひらに何かしらの温もりが感じられる、念珠はそんな存在であって欲しいと、私は思います。

そして、そんな念珠を作り、皆様に販売することが出来れば、こんな幸せはないと思うのです。

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