数珠の安田念珠店オフィシャルサイト TOP > 十代目社長のコラム > 第13回 京都寺町通界隈
その昔、白河法皇が嘆いた天下三不如意という逸話があります。
つまり時の最高権力者である自分でも意のままにならないものが三つある。
それは、鴨川の水(水害)、双六の賽の目、山法師(比叡山延暦寺の僧兵)だというのです。
この中のひとつ鴨川の氾濫は、当時の京都の人々を大いに悩ませたことでしょう。
天下を統一した秀吉が京都改造でまずしたことは、鴨川の治水でした。
秀吉は京都の市街地の周囲を「
鴨川のその広い河川敷には土塁(堤防)で囲まれ新たな市街地が生まれることになりました。(鴨川の治水は、江戸時代の寛文年間 <西暦1661年~1672年> に現在の形に完成します)そしてその御土居のすぐ内側に京都の市街地に散らばっていたお寺を集め寺町を作りました。(この時、本能寺 誓願寺など多くの寺院が現在地に移ってきました)
そしてまた、その御土居堀で囲まれた市街地にも「天正の地割」と呼ばれる新たな街割りを実行しました。京都の街並はよく「碁盤の目」に
御土居は時代とともに姿を消しますが、街並は現在も残っています。寺町通を歩くと秀吉がどの様な意図でこの改造を行ったかが分かります。
たとえば、寺町通を六角通からアーケードの下を三条通に向かって南から北へ歩いて行きますと、三条通に近づくとその先が見えません。
つまり、寺町通は三条通で東に十メートルほどずれて北へ続くのですが、北に向かう者には寺町通が三条通で行き止まりと見えるのです。これを 「あてまわり」 といいます。直角に交差する十字路をずらすことにより大軍が一挙に通りにくくするものです。
また、東西の通りである六角通は、東の河原町通の方から来ると寺町通で行き止まり数十メートル南に下って西に続きます。これも 「遠見遮断」 と呼ばれ、一本道をクランク状に折り曲げ遠くを見通せなくする軍略上の街割り工夫の一つです。
寺町通には、
例えば、京都の街を東から攻めようとします。まず、現在よりもずっと川幅の広い鴨川が横たわっています。これを渡りますと、高さ5mの
今度京都へ来られたら、寺町通界隈を、以上の様なことを頭に入れて散策されては如何でしょうか。何か、新たな発見があるかも知れません。
(※安田念珠店本店は、寺町通と六角通の交差する
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