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第10回 ロビンソン・クルーソーの冒険(神との対話)1
絶海の孤島に漂着したロビンソン・クルーソーの冒険物語は、少年少女文学としても有名で小学生でも知らない人はいないでしょう。この漂流記はイギリスの作家デフォーの著作「ロビンソン・クルーソー生涯と冒険」の前半部分を指すというのはよく知られています。邦訳には岩波文庫に「ロビンソン・クルーソー」 (上、 下、 デフォー 作 平井正穂 訳 岩波書店 1967年) があります。

主人公が日記を綴るように語る独特の文体が、想像を絶する境遇の中を生きる一人の人間の心理や生き様を生き生きと伝えてくれます。訳者 平井正穂は 巻頭の はしがき の中で、「このロビンソンという人間が、デフォーの、そして当時の読者の、つまりわれわれを含めてであるが近代的人間の性格である経済人の、見事な人間像を示しているところにこの物語の迫力があろう。そしてまた、ロビンソンが示すあの孤独感、周辺から疎外されて神との対話においつめられてゆくあの姿も、近代的人間の原型ということができる。」(デフォー 平井 前掲書 上 6頁)と述べ、ロビンソンの生き様に、産業革命勃興時のイギリス人の典型を見出しています。私は、この物語の主人公と神との対話の部分に、「人は何故 神 (仏)を信じるのか。」という信仰の根本部分を垣間見る思いがするのです。

ロビンソン・クルーソーは孤島に漂着して、自分ひとりが生き残った難破船から苦労して残された物資を島に運び出し、住処を作り始めます。そんな時、彼は自分が以前荷物の中から見つけた小さな袋の中のごみを捨てた場所に、大麦の緑色の茎が生えているのを発見するのです。

「そのときの私の心に起こった驚嘆と混乱は今でもなんといって表現してよいかわからないほどであった。私はそれまで宗教的な信念にもとづいて行動したなどということはなかった。宗教がどういうものであるかを少しも弁(わきま)えない人間であった。自分の身に起こったどんなことも、たんなる偶然としか、あるいはわれわれがよく気がるにいう神の思召しとしか感じたことのない人間であった。そしてまた、そういう事がらに示される神の摂理の意味だとか世界のさまざまな事件を支配する神の秩序だとかいうことを詮索(せんさく)するなど思いもよらぬことときめていた人間であった。ところが、穀物が明らかに育ちそうにない風土に、しかもどういう経路でそうなったかもわからないままに、大麦が生えたのをみたときには、まったく異常な感銘をうけざるをえなかった。神は、種もまかないのに奇蹟的に穀物を生ぜしめたのだ、それもただこのような絶海の孤島で自分を生かしてやろうという思召しからなのだ、と思った。
こう考えると、私の心は少なからず感動をおぼえ、涙が自然に溢れでてきた。・・・・・・・・・・・」

(デフォー 平井 前掲書 上 108頁 109頁)

この物語はフィクションですから、この箇所は作者が物語を面白くするために作り上げた部分であって、実際にはこの様な奇跡的なことは起こらないだろうといえばいえます。しかしもし、私が主人公としてこの場面に遭遇すれば、きっと神にこの奇跡を感謝したでしょう。「神風」ではなくとも、人間誰しも自分の力を超えたところで奇跡が起こったとき、ましてやそれが自分の生存に係わるものであるとき、神の存在を意識するのでしょうか。

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