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第4回 命についての考え方
人生も半ばを過ぎると自分の命、死について考えることがよくあります。「『死』とは、果たして、物質的に朽ちて、塵、芥になってしまうことなのだろうか」と。団塊の世代である私達以降の世代は唯物論的教育、つまり今、生きているこの「命」を持つ肉体が、「死」を境に塵や芥となって霧散する、という教えを受けて育ちましたから、「死」をどうしても物質的に捉えてしまいます。しかし、私はその考え方にはどこか腑に落ちないものを感じるのです。

仏教と関わりの深い職業にある私は、お寺でよく次のような話を聞きます。

「私達は父と母から生まれて今生きています。その父と母はそれぞれの父母(私達にとっての祖父母)から生まれてきた。この様に祖先を辿っていくと私達には数え切れない程の祖先がいるということになります。」

この話を数字に当てはめてみましょう。私達の父母は二人ですから2です。祖父母は父方、母方二人ずついますから2×2=4です。つまり私の祖先の数は2の代数乗で表されるのです。例えば私の10代前(一代30年として約300年前)の祖先は2の10乗、すなわち2,048人いることになります。20代前(約600年前)は2,097,152人、30代前(約900年前)は2,147,483,648人、そして40代前(約1200年前)は私の電卓では計算できません。この様にして祖先を辿れば、より膨大な数の人数になってきます。人類の歴史を遡れば遡る程人口は少なくなりますから、この計算とは矛盾することになりますが、重複を考えれば成り立ちます。

以上のことから、「私」という存在は過去に生きた全人類を祖先に持つことがわかります。そして、人類は地球から生まれ、地球は銀河から生まれ、銀河は宇宙から生まれ、宇宙はビッグバンから生まれたことを考えると、「私」の存在の源は宇宙のビッグバンの時に生まれたとも考えられるのです。私は夜空の星を見ていると、地球から遠く離れた星にも、もしかしたら私の遠い親戚がいるのではないか、とさえ思ってしまいます。こう考えると自分の生きるこの世界(宇宙)の中での自らの存在が非常に大きく見えてきます。決して死んだら塵、芥として霧散する存在ではないように思えてくるのです。

私は仏教経典の中の多くに、以上のような、自分と宇宙を一体として捉える考え方を見出します。自己中心的な独り善がりの考え方が蔓延する現代社会において、そのような考え方の必要性を痛感せざるを得ない今日この頃です。

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