「念珠のはなし」第1話 ‐ 天和3年(1683年)創業の安田念珠店

安田念珠店 オフィシャルサイト

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第1話 寺町通六角
私共の店、安田念珠店は江戸時代の初期 天和(てんな)三年〔西暦1683年〕に現在の住所〔京都市中京区寺町通六角角(なかぎょうくてらまちろっかくかど)〕で、初代 藤屋宗次郎が創業致しました。※1 江戸時代初期の京都の名所案内の書物、「京雀(きょうすずめ)」 「京羽二重(きょうはぶたえ)」には、『寺町通誓願寺(せいがんじ)に数珠屋がある』と記されています(江戸時代の初期、現在の六角通は、誓願寺通と呼ばれていました)。※2

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当時、誓願寺は京都でも有数のお参りの多いお寺で、多くの参詣客で溢れていたのでしょう(現在、誓願寺は、浄土宗 西山深草派(じょうどしゅう せいざんふかくさは)の総本山として、京都一の繁華街 新京極の真ん中に位置します)。その参詣客を相手に念珠(数珠)を商い始めたのが、私共の店の起源であろうと思われます。以来三百三十余年、同じ場所で、同じ商品を、十代にわたって作り、商って参りました。明治以降も日本の仏教の首都であった京都だからこそ、この歴史と伝統を保ってこられたのだと思います。

※1
寛永4年(1627年)以降約50年にわたって、三条寺町誓願寺前の安田十兵衛なる人物が版元になり、「曽我物語」や「往生要集」などの20以上の書物を刊行しています。私共の店のルーツに関係がある人物かも知れません。

※2
豊臣秀吉は天下統一の後、京都の大改造に着手しました。その中の一つが寺町通の造営です。鴨川を改修し、その河川敷を広大な市街地に替え、そこに市街地に散らばる寺院を集め寺院街を作ったのです。その中の一つが西陣から移って来た誓願寺です(「本能寺の変」で有名な本能寺もこの時、四条堀川から移って来ました)。

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