春は花 | 念珠のこと、仏教のこと、京都のこと | Page 9

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春は花

千日詣りと洛陽霊場御寳印軸

盂蘭盆会が終わりました。ご先祖様方も大文字の送り火に照らされてあの世へお戻りになったことでしょう。
お盆の時期に私は清水寺にお参りしました。「千日詣り」の季節だったからです。
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この時期にお参りすると、一日で千日分の功徳があるとのことです。今年は西国巡礼と洛陽巡礼で訪れていましたが、また趣の違った清水寺に逢うことができました。
【仁王門】
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【風鈴と泰産寺三重塔】
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千手千眼観音さまと御縁を結んでいただき、弊社と有縁の方々の平安をお祈りしてきました。そして、先立って清水寺様に開眼供養をお願いしていました洛陽観音霊場御寳印軸を受け取りに伺いました。
【出来上がった御寳印軸】
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【開眼して頂いた箱書】
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御軸の一文字の部分は、弊社が誓願寺様の門前にあることに因んで西山紋でお願いいたしました。
お盆の時期に、更には千日詣りの季節に観音様を我が家にお迎え出来、仮巻を遺して泉下の客となった弊社先代も直に見てくれていたと思います。ご先祖様もきっと喜んでくれていることでしょう。
私自身、本年4月以降はとても多くの依頼や仕事が入るようになりました。観音様にお参りし、功徳を重ねていることがもしかすると関係しているのかもしれません。盂蘭盆会の時期に観音様を我が家にお迎えし、観音様と共にご先祖様をお見送りできたことは大変良かったなぁ、としみじみと感じた1週間でした。

無動寺明王堂参拝

盂蘭盆会の季節になりました。ご先祖様が皆様のお宅に帰って来られる季節です。


私は一人でいろいろな社寺をお参りすることは多くあります。お賽銭をお供えして、鐘をついて、お経と真言をお唱えする程度の最低限のことをするだけに過ぎません。一人でお参りしますから、それで良しとしてはいますが、「できればきちんと『お勤め』をしたいなぁ。」と常々思っています。
先立って私は比叡山の無動寺谷の明王堂へお参りする機会を得ました。ロープウェイか自家用車で比叡山の山頂までは行けますが、そこから無動寺谷へは徒歩でしか行くことはできません。その日も酷暑、大汗をかきながら、何とか明王堂に到着しました。
【明王堂】
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【明王堂前から琵琶湖を望む】
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明王堂はその名の通り、不動明王様をご本尊様とするお堂です。そして、生身(しょうじん)の不動明王様であらせられる大阿闍梨様がおいでになられます。
私がお参りさせていただいた際、大阿闍梨様によるお護摩に参じることができました。明王堂の中で、護摩の灯に照らされる御前立の孔雀明王様と大阿闍梨様の真っ白な浄衣の後ろ姿を拝して、不動真言をお唱えし続けました。最後に大阿闍梨様からお加持を頂戴いたしました。
【大阿闍梨様が登場されている動画】

いのり 比叡山延暦寺

お護摩を終えて、本当にありがたい気持ちになりました。そして何より、大阿闍梨様が常にお念珠を携えて下さるお姿を拝して、「何とありがたいことだろうか。」と深く感じ入りました。


これまで本ブログでもいろいろと語ってきましたし、頭では分かっていましたが、「お念珠とは実にありがたいものなのだなぁ。」と強く感じました。お念珠には値段の高低がありますが、そうした現実的な市場価値を超えて、実にありがたい、言葉では表現できない価値を有するもの、それがお念珠なのだと強く思った参拝でした。
盂蘭盆会でご先祖様を拝される際には、是非とも皆様の傍らにお念珠があることを願っております。

西国霊場巡り(その6・丹後国)

8月に入って、なお一層暑くなったように感じます。皆様、体調にはお気を付け下さい。


西国三十三所の霊場巡り、残すところ二箇寺となりました。今回は第28番札所の成相寺にお参りした際の様子をご紹介します。
先月の豪雨の影響で参道が通行止めになっていました。通行できるようになったので、お参りに赴きました。
【本堂】
本堂(成相寺)
【撞かずの鐘】
撞かずの鐘(成相寺)
成相寺の見どころとしてはやはり「撞かずの鐘」でしょう。お話としては次の通りです。
400年ほど前に成相寺で鐘を鋳造することになり寄付を集めたところ、ある長者の妻は寄付を断り、「お金の代わりに自分の子供を寄進する」と心にもないことを言ったそうです。鋳造の日に見物に集まった人の中に子供を抱えてその長者の妻は居ました。その長者の妻は誤って坩堝(るつぼ)の中に子供を落としてしまいました。出来上がった鐘は美しい音色を響かせていまし た。 しかし耳を澄ますと子供の泣き声のように聞こえたそうです。 人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞くことをやめ、 それ以来「撞かずの鐘」と呼ばれるようになりました。(成相寺HPの説明から。)
このお話を読んで皆さんはどう感じられましたでしょうか?私は、人にとって「施し」というのは大切なことなのだと思いました。金銭ではなくても良いのです。「貧者の一灯」という言葉がある通り、無理のない範囲で人様や神仏への「施し」を忘れてはいけないのだなぁ、と思いました。そうした自分の「施し」がめぐりめぐって自らに対する「施し」に繋がるのではないだろうか、とも感じました。
【展望台から見た天橋立】
天橋立(成相寺)
成相山の山頂展望台から天橋立を眺めました。こうした自然の景色を眺めることで、昔の人々はそこに神や仏といった人間を超越した存在を感じたのだと、風を感じながら思いました。


残すはいよいよ第三十三番札所の華厳寺のみです。時間を見つけてお参りしたいと思っています。

西国霊場巡り(その5・大和国から紀伊国へ)

暑さが変わらず、まさに「酷暑」です。建物の外と中では温度差があり過ぎて、外出した際に体が付いていかないような感覚を覚えています。


西国霊場巡り、満願が見えてきました。今回は2カ寺のお参りの様子をご紹介します。
前回ご紹介した長谷寺から南へ行くと、南法華寺があります。通称「壷阪寺」と呼ばれます。歌舞伎や浄瑠璃では『壺阪霊験記』という演目がありますので、そちらをご存知の方も多いと思います。
【山門】
山門(壺阪寺)
【本堂】
本堂(壺阪寺)
『壺阪霊験記』は、盲目の沢市とその妻のお里の物語です。あらすじは次の通りです。沢市が目が見えるようになりますようにと、お里が毎朝、壷阪寺の観音様にお祈りに行っていました。毎朝、お里が出かけるので、沢市はお里の浮気を疑い、お里を問い詰めると3年の間、壺阪観音さまに沢市の目を治すようお祈りに行っていたと打ち明けられます。沢市はそれからお里と共に壺阪観音さまへお参りに行くようになりますが、自分が足手まといだと考えてしまい、満願の日に滝壺へ身を投げるのです。お里も後を追い身を投げます。沢市とお里の夫婦の愛を感じた観音様の霊験によって、二人は助かり、沢市の目も見えるようになった、というお話です。
このお話からも分かる通り、壺阪観音さまは「眼病治癒」の観音様として信仰を集めています。そして壷阪寺では、養護盲老人ホームが境内に設置されています。
『壺阪霊験記』の中の沢市の心情の変化、つまり、最初の嫉妬心から変化して自己嫌悪に陥り自殺するという心情の変化は人間の弱さを非常に的確に現していると感じます。
目というのは人間にとって本当に大切な器官です。目から受ける情報は膨大な量です。目の大切さだけでなく、目が見えることのありがたさなどは普段忘れてしまっているように思います。不平不満はあれども、再度、自分自身の恵まれた環境に感謝することが何より大切なことなのだと感じたお参りでした。


続いて、JRに乗って、和歌山の紀三井寺にお参りしました。。
【山門】
山門(紀三井寺)
【結縁坂】
結縁坂(紀三井寺)
【本堂】
本堂1(紀三井寺)
写真の通り、紀三井寺の本堂に至るまでの石段は231段ある急な坂で、結縁坂(けちえんざか)と呼ばれています。この石段が「結縁坂」と呼ばれるようになったのは、次のような逸話からです。紀伊國屋文左衛門がまだ若く貧しい頃に母を負ぶって紀三井寺に参拝していたところ、草鞋の鼻緒が切れました。それを挿げ替えてくれたのが後に妻となるおかよさんだったというお話です。その後、紀伊國屋文左衛門が当代随一の豪商になったのは教科書にも出てくる有名なお話です。
結縁坂の解説を読んで、一人でスタスタ西国霊場巡りをしている私は、両親を連れてお参りするのが功徳なのかもしれないなぁ、と思いました。


霊場寺院にはそれぞれに様々な逸話があり、それを知るだけでも何か心に感じるものがあります。霊場巡りだけではなく、日々お寺や神社に参詣されれば、心を洗う良い機会になると感じました。

西国霊場巡り(その4・大和国長谷寺へ)

うだるような暑さです。お加減はいかがでしょうか?


観音様を巡る旅も、西国霊場の根源地の長谷寺(はせでら)に到達しました。
まずは、長谷寺の山門をくぐります。
【山門】
山門(長谷寺)
そして登場するのが本堂まで連なる回廊です。
【回廊】
回廊(長谷寺)
そして到達した本堂「大悲閣」です。長谷寺の観音様は高さが10メートルほどある巨大な観音様です。特徴としては右手に錫杖(しゃくじょう)をお持ちであることです。錫杖はお地蔵さまが地獄に堕ちた人々を救うために導く際にお持ちになる杖です。その杖をお持ちの観音様ですから、長谷寺の観音様は今この世界に住む私たちを浄土へ導いて下さる観音様なのです。
【本堂】
本堂(長谷寺)
【本堂裏から】
本堂裏から(長谷寺)
写真や映像ではなく、ご自身の目で見て頂くと、その大きさに圧倒されます。長谷寺の観音様は錫杖と併せてお念珠をお持ちです。(詳しくはこちらをご覧ください。)長谷寺の観音さまはお地蔵様の変化(へんげ)した観音さまとも考えられるように思います。
この巨大な観音様を彫られたのは、西国霊場の草創者と言われる徳道上人(とくどうしょうにん)さまです。長谷寺の山門を出て数分歩くと、その徳道上人をご本尊とする法起院があります。
【山門】
正門(法起院)
【本堂】
本堂(法起院)
小さなお寺ではありますが、徳道上人にまつわる様々な物を見ることができました。
徳道上人さまは閻魔大王から授けられたご宝印を中山寺の石棺に収めたという話で、それを約300年後に花山法皇が掘りだしたことが西国霊場の本格化の契機となったと言われています。1300年前に中山寺から長谷寺までの道のりを歩かれたのかぁ。伝説の域を出ないお話ではありますが、今やろうと思っても大変なことですから、食料事情も治安も良くなかった時代に本当に凄まじいことをなさったのだなぁ、と思うと同時に、これほどに立派な観音様を彫られた徳道上人さまには誠に尊敬の念しかありません。1300年前から悩み苦しみを持った人々の傍らにはお念珠があったのだと、長谷寺観音さまを拝して感じた一時でした。

宗教と行動規範

先週は雨がひどく、大きな被害が出た地域もあります。まずもって、皆さまの御平安をお祈り申し上げます。
先週の大雨の中、大きなニュースがありました。オウム真理教関連の7人の死刑囚の刑が執行されたニュースです。今回はすこしこの問題に付いて考えてみたいと思います。
死刑制度の問題はいろいろな方面から議論されています。今回考えるのは、「宗教のありかた」についてです。仏教でもキリスト教でも、日本において言えば新宗派を形成する際など、その教団が「新興勢力」である場合には規制や迫害されてきた歴史があります。時には暴力を用いたこともありました。ネロ皇帝のキリスト教迫害や日蓮上人の佐渡流刑などはその例として考えられます。人が生きていれば必ず悩みがあり、その悩みを少しでも解決したいと思って宗教が存在するのだと私は考えています。
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皆の容姿が異なるように、皆の考え方は異なります。それで良いのです。ですから宗教にもいろいろな考え方があって良いと思います。ただ、自分が信奉する宗教が、冷静に考えるとおかしなことをしようとしている場面に遭遇した時に「それはおかしい」と言える在り方をもつことがどれだけ大切で、またどれだけ大変なことなのかを一連の事件を振り返ると感じます。
弊社は皆様の信じる心に寄り添ったお念珠という商品を扱っております。皆様の信じる心が無ければ、弊社は存在しません。宗教は必要なものだと考えますし、どんな世界になっても無くなってはならないものだと思います。しかし、その「信心」の発露の方向が我々の生活する社会を脅かすものであってはいけません。
宗教というよりも、日本人が古来から培ってきた「親孝行をしましょう」とか「礼儀を大切にしましょう」といった考え方を根本にもった上で行動することが大切なのだと思います。
「忠孝」の精神を持って、そして「忠ならんと欲すれば孝ならず 孝ならんと欲すれば忠ならず」という相克の中で思い悩むのが生きている証拠であり、行動の規範となるものではないのか、と私は考えています。
雑駁な感想ですが、今週は「宗教」についての所見の呈出を致しました。

西国霊場巡り(その3・河内国から大和国へ)

関西地方ではこの数日雨が続いています。いろいろな影響が出ているかと予想致します。まずは皆様ご自身の身の安全を確保してください。
こういう雨のときこそ、観音様に雨止みをお願いするのが良いのかもしれません。


「気長に」と言っていた私ですが、テクテクと西国霊場巡りをしております。
京都からのアクセスを考えて、まずは葛井寺(ふじいでら)へお参りしました。藤井寺市に在るので「藤井寺」という字に慣れてしまっていますが、正確には「葛井寺」です。葛井寺は、近辺の「葛餅(くずもち)」と境内の「藤の花」が有名で、その二つを掛け合わせたような寺名ですね。
【本堂】
本堂(葛井寺)
葛井寺にお参りして、本堂前の香炉に線香を寝かしてお供えすることに気が付きました。浄土真宗ではお線香を寝かす所作がありますが、葛井寺は真言宗ですので、少し不思議に思いました。
【香炉】
香炉(葛井寺)
お寺の方のお話によると、お線香が最後まで燃え尽きて、観音様に献香された方々のお願いが最後まで届くように、との意味合いからとのことです。「深いお考えだなぁ」と感じました。ご本尊の十一面千手千眼観世音菩薩さま(坐像)は坐っておられます。例えば、京都の清水寺のご本尊の千手観音さま(立像)は立っておられます。立っておられる観音様は衆生救済のための立っておられますので、直近のことをお救い下さるそうです。一方の坐っておられる観音様は説法や瞑想している御姿ですから、悩みごとなど長期的な事案をお願いすると救って下さるそうです。私は自分の人生に関する願いをお祈りしてきました。


次に向かったのは岡寺です。
【山門】
正門2(岡寺)
こちらのご本尊は塑像(そぞう)といって土で造られた観音様です。厄除けの観音様として特に厄年の方のお参りが多いお寺です。弘法大師様のころに造られたといわれる観音様です。西国三十三所巡礼の開創に、弘法大師・空海様は直接的には関わっていませんが、それでもいろいろな札所に弘法大師様のお名前が登場します。車や電車の無かった時代によくこれだけ広範囲に法を弘められたなぁ、といつも思います。
【本堂】
本堂正面(岡寺)
山の中腹に本堂がありますので、山登りをして本堂を上から撮影しました。
【本堂を上から】
本堂上から(岡寺)
明日香の風景も綺麗でした。
明日香の風景(岡寺)
仏像やそのお寺の歴史など、いろいろなことに関心を払うと、お参りするだけでいろいろなことが分かった気になります。霊場巡りも大変なようで、結構楽しみもあります。
大和国の札所について、また次回にご紹介します。

写経のススメ

6月はもう終わりです。雨が降ったり、暑かったりと、体の調子を整えるのに苦労されておられる方も多いかもしれません。


私は御歳を召した多くの方々とお話する機会をいただくことが多いのです。そういう方々は言葉通り「矍鑠(かくしゃく)」とされておられ、私の方が年齢が若いのに、私の方が元気が無いようにさえ思えてしまいます。
そういった方々に共通していることは、朝は決まった時間に起きて、仏様のお世話をなさったり、お写経をしたりなさっているということでした。1人や2人ではなく、私の出会うほぼすべての御歳を召した方がそういったことを為さっておられました。そこで、私も「騙されたと思って」写経をしてみることにしました。
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一般的には「般若心経」を写経されることが多いですが、観音霊場を折角巡っているのだからと考えて観音経を写経することにしました。分かってはいましたが、観音経は長いお経なので、時間は1時間強ほどかかります。
最初はヤル気があるのです。ただ、徐々に「しんどいなぁ。」とか「やめてしまおうかなぁ。」とか思ってしまうのが正直なところです。それが、1度目すべて書写を終えると達成感があります。何度かやっていると、途中で「しんどいなぁ。」とか「やめてしまおうかなぁ。」と思わなくなってきます。それよりも、「目の前の一文字をきれいに書こう。」という気持ちが強くなってきます。傍から見ると1度目も5度目もやっていることは同じですが、実際にしている本人の気持ちは全く違うのです。
お写経に限らず、何事も続けている間に行動に内実が伴ってくるように感じます。「三日坊主」にならないように何事も続けて行くことが大切なことだと、お写経をしてみて感じました。そして、仏様から少しでも元気を頂けるようになりたいと思います。

西国霊場巡り(その2・若狭国から播磨国へ)

私は先週、色々な所へ行きました。一転今週はあまり出かけていません。意図したわけではないのですが、何だか不思議な気がします。


先週土曜日、舞鶴へ行く予定があった私は、待ち合わせの時間より早くに東舞鶴駅に到着し、松尾寺に参拝いたしました。
【松尾寺 本堂】
松尾寺本堂
本堂は青葉山の中腹にあります。できることなら青葉山を登山して山頂付近にある松尾寺の奥之院まで行きたかったのですが、時間の都合で諦めて、本堂と大師堂にお参り致しました。
本年は西国霊場草創1300年を記念してご本尊の馬頭観音様の御扉が開扉されておられ、お目に掛かることができました。一般的に観音様は優しい表情をされておられますが、馬頭観音様は忿怒の御姿をなさっておいでです。いろいろな御姿に変化(へんげ)なさる観音様ならではだと思いました。
【サルノコシカケ】
サルノコシカケ
駐車場には大きなサルノコシカケがありました。参拝者の間では有名なもののようで、他の参拝者の方に教えて頂きました。とても立派です。


翌17日には姫路の書寫山圓教寺へお参りしました。当日は西国霊場草創1300年記念の月参り巡礼法要が本堂である摩尼殿で行われました。私もその法要に参列致しました。
【摩尼殿】
摩尼殿
【ご本尊の如意輪観音様】
圓教寺ご本尊
写真撮影可であった為、ご本尊の如意輪観音様を拝写致しました。目の前で拝すと壮大でした。何か包み込まれるような感覚を覚えました。信仰というのは、こうした気持ちから生まれてくるのかもしれないと、思いを馳せました。


短期間ですが、公共交通機関などを用いてお参りに行ける札所はお参りできました。
【現在の納経軸の状況】
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お参りできていない札所もまだまだ多くありますが、気長にお参りしていきます。


「南無観世音菩薩」

西国霊場巡り(その1・摂津国)

大阪府北部を中心に昨日、大きな地震がありました。皆様、ご無事でしょうか?被害に遭われた方、電車に閉じ込められた方、大変だったと予想致します。何よりも皆様の御平安をお祈り申し上げます。
昨日は18日。観音様の縁日でした。お釈迦様の説法のご様子を「獅子吼(ししく)」と言います。獅子が吼えるように、大衆を恐れることなく説法する様子からこうした形容詞が生まれたそうです。大雨が降ったり、雷が落ちたり、それから地震が起きたりすると、昔から天地が仏さまに代わって何か訴えていると考えられてきました。昨日は、何を訴えておられたのでしょうか?


私は6月に入ってから、西国三十三観音霊場を巡っています。廻り始めると、ドンドンと廻らなければ気が済まない性分なので、色々な用事に併せて、早目に自宅を出立して各札所をお参りするようにしています。今週はその模様を2回に分けてご紹介します。
先週訪れたのは、中山寺です。阪急電鉄の中山観音駅から歩いてすぐの場所にあります。
【寺碑】
堂碑(中山寺)
【山門から本堂を臨む】
山門より(中山寺)
【本堂】
本堂(中山寺)
【五重塔】
五重塔(中山寺)
【本堂&五重塔】
本堂&五重塔(中山寺)
【大願塔】
大願塔(中山寺)
駅から歩いてすぐの場所にあり、エスカレーターやエレベーターが各所に付いていますので、どんな方でもお参りができる寺院だと感じました。というのも、中山寺のご本尊である十一面観音様は「安産・子授けの観音様」として有名ですので、妊婦さんや乳母車を押した方が多く参拝されるからなのです。豊臣秀吉が中山寺の観音様に祈願をして、豊臣秀頼が生まれたとの言い伝えがあります。
次にお参りしたのが勝尾寺です。こちらは阪急の北千里駅からバスで移動しました。
【前景】
前景(勝尾寺)
【本堂】
本堂(勝尾寺)
【多宝塔】
多宝塔(勝尾寺)
勝尾寺は名前の通り、「勝ち運のお寺」ですので、スポーツ選手など勝負事に携わる方のお参りが多くあります。
まさに山の中のお寺ですので、自然が豊かな場所でした。
このお寺の奥の「二階堂」というお堂で、浄土宗の開祖の法然上人は浄土宗の開宗の戒を得たと言われています。駅からバスでお参りするだけで「大変だ」と思ってしまった私は、ここまで(恐らく)歩いて来られた法然上人を思い、自分の恵まれた境遇と法然上人のご苦労を予想しました。歴史に名を残す方は、我慢強く精進されるのだと思って、自分自身も頑張らねばと思いました。


お参りすると、お寺に応じた参拝者の特色をみることができます。安産・子授けの観音様はお参りに行きやすく、勝ち運の観音様は山の中へ苦労してお参りに行かねばなりません。得たいご利益に応じてお寺も立地しているように感じました。
次回は若狭国から播磨国へのお参りをご紹介致します。

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