春は花 | 念珠のこと、仏教のこと、京都のこと | Page 8

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

鎌倉を巡る

秋が深まってきました。
今週、私は関東方面へ出向きました。半日かけて三浦半島に所在する坂東三十三観音霊場の札所を巡りました。
まず訪れたのは第一番札所の杉本寺です。
【杉本寺 本堂へ繋がる階段】
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【杉本寺 本堂】
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杉本寺は本堂内陣に昇殿することができ、たくさんの仏様を間近に拝むことができるお寺でした。鎌倉時代より以前から存するお寺ですので、由緒正しきお寺にもかかわらず、仏様をとても近くに感じることができるお寺でした。
次は鎌倉市から逗子市まで足を延ばして第二番札所の岩殿寺にお参りしました。
【岩殿寺 観音堂】
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【岩殿寺観音堂から逗子の海を望む】
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岩殿寺は山肌に建っているお寺です。観音様が逗子の海を眺めるために建てられたお寺のように感じました。
そして次に訪れたのは長谷寺です。
【鎌倉長谷寺山門】
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【鎌倉長谷寺観音堂】
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こちらは大和長谷寺と同じく巨大な十一面観音立像が観音堂に居られます。こちらの観音様も徳道上人が彫られた観音様という言い伝えがあります。(大和長谷寺についてはこちらをご覧ください。)
【鎌倉長谷寺観音堂前から相模湾を望む】
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三浦半島に在する札所は、山と海に囲まれた土地に観音様が鎮座しておられることもあり、「観音様が山に腰かけて海を眺める」という構図になっていることが多いように感じました。海は時に荒れて人々に災いをもたらすことがあります。海の平安を願い、昔この地に住んだ人々が観音様に救いを求めたのだと感じました。
建長寺へお参りし、開山の蘭渓道隆禅師の塔所である昭堂をお参りしました。正面からだけでなく、西来庵からもお参りしました。昭堂の屋根は間近で見ると素晴らしいです。
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鎌倉、逗子という場所にはまだまだ多くのお寺があります。京都から政治の中心が移った場所だけあって、800年近く前のいろいろな由緒や建造物などに触れることができました。

革堂~鹿で繋がる神と仏~

弊社の北側の通り、六角通は西国18番札所の六角堂頂法寺から来ています。東側の寺町通を北上すると西国19番札所の革堂行願寺があります。札所を順番に廻っておられる方々は六角通を東へ進み、誓願寺様を拝して寺町通を北上される方が多いです。こう考えると弊社の存する「寺町六角」は西国18.5番というところでしょうか!?
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本日は革堂のご紹介です。
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私自身は西国巡礼を意識する遥か前、未だ中学生だった頃にこの革堂に立ち寄りました。自転車通学をしていた私は通学路の途中に在るお寺や神社によることがよくありました。街中に在るそれほど大きくないお寺ですが、街中の喧騒とは時空が違うように感じたのを覚えています。
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「革堂観音」と呼ばれる通り、観音様をご本尊とするお寺です。開山の行円上人が出家前に身ごもった鹿を射止めたところその傷口から仔鹿が産まれたのを見て発心し、仏門に入られたとの伝説があります。行円上人は自身が射止めたその母鹿の革を身に付けておられたため、「革堂」と呼ばれるようになったとのことです。
さて、革堂には七福神の寿老人(「寿老神」とも)が祀られています。寿老人は長寿の神様で、いつも牡鹿を連れておられます。鹿つながりで観音様と寿老人とが結び付くようでとても興味深く感じます。
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この寿老人像は桃山時代のもので、豊臣秀吉が安置したと伝わっています。その縁起を山田恵諦座主が記されたものがお堂の扁額に掲げてあります。
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京都の中心部は神様や仏様が多く居られる土地ですが、驚くほど身近にこうした立派な仏様や神様が佇んでおられることを再認識しました。
【革堂の御詠歌】
「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」
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存在することに感謝

十月になってかなり涼しくなりました。
更新が滞っており申し訳ございません。今回が本ブログの100回目ということなのですが、相変わらずの内容だとご容赦ください。
般若心経というお経、皆様もよくご存知のことと思います。私も結構な回数お唱えしてきましたが、「結局何を言っているのだろうか?」ということは未だに分からないままでいます。
本年は十二支が戌年、十干が戊の年ですから、組み合わせは戊戌の歳です。1200年前の同じ戊戌の歳に当時の嵯峨天皇が般若心経を写経なさいました。そして、弘法大師・空海様が般若心経の功徳を解説されたのが『般若心経秘鍵』という書物です。この時の弘法大師様を特別に「秘鍵大師」とお呼び致します。
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書店で般若心経の様々な注釈書を購入し、読み漁ってみました。簡単には言い表すことはできませんが、般若心経は「人が存在する真の意味」を説いたお経なのだと感じます。
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何もないところから、父と母が出会い、そして私が生まれた。生まれた時は何もできなかった私も、周りの様々な人の助けによって自分のことは大体自分出来るようになった。。。。こうして偉そうに物言いをしているのも、自分自身一人の力ではないということを肝に銘じなければならない。
本ブログを続けて行く中で色々と勉強したり、教えて頂いたりしていますが、そうしたことは般若心経に解かれる「人の存在の意義を考えることにもつながるのだとつくづくと感じます。
楽しみながら続けて行きますので、今後もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

六角堂~「よろしき面影」~

毎週のように台風が到来します。今年は地震や大雨など多くの天災があります。
弊社から少し遠くの寺院を紹介してきましたが、弊社の近くの寺院をご紹介することを怠っていました。
弊店は「寺町六角」に在ります。東西の通りの名前「六角通」は通称「六角堂」から来ています。六角堂は正確には紫雲山頂法寺と言い、本堂が六角形であることから六角堂と呼ばれています。もちろん、六角形であることは仏の教えである六道から来ています。(詳しくはこちらをご覧ください。)
【山門】
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【本堂】
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私は幼いころによく六角堂の境内で遊んでいた記憶があります。鳩が沢山いて、鳩を追いかけていました。今でも沢山の鳩が境内に居ます。
そんな身近な六角堂は、聖徳太子の創建という古い歴史があります。
【太子堂】
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六角堂は華道の発祥の地でもあります。「花は野に咲くように」”活ける”ことが生み出された場でもあります。池坊専応の「よろしき面影をもととする」という教えが今も息づいています。この「よろしき面影」とは「目には見えない草花の真の姿」と考えられており、まさに「花が野に咲くように」”活ける”という営為を的確に表現した言葉です。
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華道は、諸説ありますが、仏さまへお供えするお花が起源とされています。すなわち、六角堂の如意輪観音さまにお供えするお花を工夫して産み出されたのが華道と言えます。花を活けるのは、上手下手ではなく、仏様への誠心誠意な心を表す営為なのだと感じます。
「目には見えない草花の真の姿」を自分自身に投影し、観音さまと対話する。そんなひと時を感じるのが京都の中心地に在る六角堂の存在なのだろうと感じます。
【六角堂の御詠歌】
「わが思う 心のうちはむつの角 ただまろかれと 祈るなりけり」
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秩父観音霊場参拝

秋の涼しさを感じる季節になりました。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言いますが、彼岸を過ぎると一気に秋めいてきた感じがします。
西国観音霊場を一巡した私は、西国観音霊場を巡礼中に「日本百観音」という枠組みがあることを知りました。西国三十三所坂東三十三箇所秩父三十四箇所で合計百の観音さまをお参りするというものです。「京都に住んでいると坂東や秩父といった関東方面に出向くのは大変だなぁ。」と思っていましたが、旅行社のツアーというものがあることを知りました。秩父観音霊場は2泊3日で全三十四所をお参りできるとのことで、思い切って参加してみることにしました。
先達さんという霊場のことをよくご存知の方が先導してくださり、お勤めやお寺にまつわることなどいろいろと教えてくださりながら巡礼しました。西国観音霊場は我流で巡礼していましたので、
「開経偈」→「懺悔文」→「般若心経 一巻」→「延命十句観音経 三遍」→「本尊ご真言」→「回向文」
という段取りでお参りしていましたが、「三帰」、「三竟」、「十善戒」、「発菩提心」、「三昧耶戒真言」というお経も読経しなければならないことが分かりました。やはり人様に教えていただくことが大事なのだと身にしみて感じました。
三十四所すべてをご紹介するのは難しいので、いくつかピックアップしてご紹介いたします。
【第八番札所 西善寺のコミデカエデ】
西善寺カエデ
第八番札所の西善寺は樹齢600年のコミデカエデが出迎えてくれるお寺でした。雨に濡れて苔の映える雰囲気でした。西善寺のホームページではまた違った表情が見れます。
【第二十番札所 岩之上堂】
岩之上堂
第二十番札所の岩之上堂は荒川河畔の崖の上に在るお堂です。小さなお堂ですが、厳かに佇んでいる荘厳なお寺です。
【第三十一番札所 観音院】
観音院
第三十一番札所の観音院は本堂の横に「聖浄の滝」があります。普段の滝の水はあまり多くないそうですが、雨が降ったこともあり、大量の水が流れていました。
【第三十一番札所 観音院 聖浄の滝】
聖浄の滝
滝の傍には必ずと言っていいほど不動明王さまが居られます。例えば、京都の清水寺の「音羽の滝」の前にも不動明王さまが居られます。滝のあるような山の奥深くの清浄な場所で滝に打たれて修行をすれば、身も心も洗われて不動明王さまを体得できるという教えからなのだと思います。不動明王さまのご真言をお唱えして辞去しました。
【第三十四番札所 水潜寺】
水潜寺
結願札所である水潜寺では、秩父観音霊場結願の御礼を致しました。
秩父の札所を巡っていると、どこの札所にも下の扁額が奉納されていることに気が付きました。
念ずれば
坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」です。奉納されたのは秩父の三峰(みつみね)の岸哲市さんという方だそうです。
先達さんのお話を聞いて気が付いたのですが、この「花」という字、右側が男性、左側が女性でお祈りしている姿に見えないでしょうか?夫婦で観音様をお祈りしている姿に見えるということを聞いて、坂村先生の「念ずれば花ひらく」はまだまだ奥深い思いが込められているのだと感じ入りました。
【百観音の御軸】
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一人でお参りするのとは違い、色々な方と一緒にお参りしましたので、学ぶことが沢山ありました。
百観音を満願するには数年単位での時間が必要となりそうですが、適宜このブログでもご報告していきたいと思います。

京都・日蓮宗系本山めぐり(その2)

本日も先週から始めた御首題巡りです。
弊社の前から寺町通を北上していくと多くのお寺があります。京都御所の東側まで行くと、南から廬山寺(ろさんじ)、清浄華院(しょうじょうけいん)と続き、本禅寺があります。
【廬山寺】(紫式部が『源氏物語』を執筆した処)
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【清浄華院】(浄土宗の大本山)
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【本禅寺・山門】
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本禅寺は法華宗陣門流という宗派です。「南無妙法蓮華経」と唱えることを第一として、お釈迦様を中心とした三宝尊を本尊とする宗派です。本能寺の法華宗本門流とは少し考え方が異なります。
【本堂】
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【立像堂(釈迦堂)】
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【本禅寺の御首題】
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御首題の「南無妙法蓮華経」の両脇には「受持法華名者、福不可量(法華の御名を受持せん者は福量るべからず)」と書いてあります。「法華経を持つだけでも福があるのだから、その教えを実践する人は尚のこと福が多い」と説かれています。観音経と言われるお経も法華経の中に収録されているお経です。こういった教えに接すると、法華経の一部でもお唱えしている私にも少しは福が来るのかなぁ、と感じます。

京都・日蓮宗系本山めぐり(その1)

この数か月、西国三十三所巡りをしてきました。御朱印をいただいてきましたが、日蓮宗や法華宗といった「南無妙法蓮華経」とお題目を唱える宗派では「御朱印」の他に「御首題(ごしゅだい)」という納経の証があります。
今回からは京都に在る日蓮宗系のお寺を巡りながら、日蓮宗系のお念珠のお話をして参ろうと思います。
初回の今回は、弊社の前の道である「寺町通」を北上したところに在る「本能寺」です。皆さんご存知の「本能寺の変」で有名な本能寺です。本能寺は法華宗本門流の大本山です。
【山門と日蓮上人像】
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【本堂】
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【信長公御廟】
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京都には日蓮宗系の本山が16カ寺あります。それぞれが日蓮上人の教えを引き継いでいますが、法華経の解釈について様々な相違から宗旨が分かれて現在に至っています。御首題は日蓮宗系の根本である御題目を中心に、そのお寺の考えが詰まっています。
【本能寺の御首題】
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本能寺の場合は「本門八品正意」といって、法華経の中の8つのお経を特に大事と考える解釈を採っています。それ故、上の御首題にも「本門八品 上行所傳」との言が見て取れます。
これから京都市内にある日蓮宗系の本山のご首題を頂戴して、その違いをご紹介できればと考えています。そしてその違いを探求していこうと思っています。

念珠の功徳

近畿地方に台風が襲来したと思えば、今度は北海道で地震です。皆様、ご無事でしょうか?


念珠はお祈りの道具ですが、そこにどういう意味があるのか、疑問に思うことは多いのです。インターネットで「数珠の功徳」などと調べるとお念珠を取り扱う多くのお店が同じ説明をしておられます。いろいろなページを読んではいましたが、出典が不明で、時間がある時にちょこちょこと調べていました。今回は仏様が説かれたお念珠の功徳についてお話しようと思います。
弊社も「念珠の話」と題して、ポケットサイズのリーフレットをお配りしています。その中でも一部を紹介していますが、「佛説木槵子経(ぶっせつもくげんじきょう)」というお経が『大蔵経(だいぞうきょう)』という大きな経典の中に収録されています。以下にその原文と私の現代語訳を載せます。原文は国立国会図書館デジタルコレクション掲載のこちらを出典としています。
【原文】
佛説木槵子経
時難國王名波流離來到佛所白佛言世尊我國邊小頻歳寇賊五穀勇貴疾病流行人民困苦我恒不得安臥乃至唯願世尊特垂慈愍賜我要法使我日夜易得修行未來世中遠離衆苦
佛告王言若欲滅煩悩障報障者當貫木槵子一百八以常自隨若行若坐若臥恒當至心無分散意稱佛陀遠摩僧伽名乃過一木槵子如是漸次度木槵子若十若二十若百若千乃至百千萬若態滿二十萬遍身心不亂無諸詔曲者捨命得生第三燄天衣食自然常安楽行若復能滿一百萬遍者常得斷除百八結業始名背生死流趣向泥洹永斷煩悩根獲無上果


【現代語訳】
時に難陀国の国王は波流離[毘瑠璃王]という名で、お釈迦様の所へ来てこのように言いました。「お釈迦様、私の国は辺鄙な場所にあり、小さな国です。外敵の侵入や盗賊が頻発します。そのため五穀は実らず、疾病も流行し人民が困苦しています。私はいつも安心して眠ることができません。私の願いはただ、お釈迦様からの特に慈しみと憐れみをお願いし、私に必要な仏の教えを授けて頂くことです。私は日々修行を行い、未来の世界において民衆が苦しみから遠く離れるように願っております。」
お釈迦様は毘瑠璃王にこう告げました。「もし、煩悩やこの世の障害を無くそうとしたいのであれば、木槵子を百八珠繋いで、いつもそれを当然に身に付けているべきです。歩いている時も、坐っている時も、横になっている時も、常に仏を心の底から信頼し、帰依し尊重する心を無くすことなく、仏法僧の三宝を称賛するごとに、木槵子の珠一つを繰るべきなのです。この通り、だんだんと木槵子を用いて仏の名を呼ぶ[念仏を唱える]と、それが十回、もしくは二十回、もしくは百回、もしくは千回、もしくは百千万回、もしくは二十万回充分に唱えれば、心と体が乱れることなく、諸々の迷いや苦しみはなくなります。命を落として、炎天地獄に行った場合でも、このように現世で念仏を唱えていれば、衣食や環境に困ることはありません。もし、百万回念仏を一生懸命に唱えることができたなら、百八ある悪行の報いを除き、断ち切ることができます。こうすれば、はじめは生死の流れ([訳注]仏の教え)に背き、泥水([訳注]地獄)へ向かう様子であった人も煩悩の根源を永遠に断ち切って、この上ない果実を得ることができるのです。」
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このお経は、「念珠の功徳」というよりは「念仏の功徳」を説いているように感じます。ただ、常に念珠を持って、それによって念仏を唱える気持ちを持つことが大事なのだ、ということが分かります。ここで言う念仏とは「仏の名を念じること」であって、それが「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも「南無観世音菩薩」でも「南無薬師瑠璃光如来」でも構わないのです。
ここに登場する毘瑠璃王という国王は、お釈迦様の生まれた釈迦国を滅ぼした国王です。そうした事情を知ると、複雑な気もしますが、どんな人であっても仏を名を念じることが大事で、それを百万遍、二百万遍と行えば生きていく上でのこの上ない果実を得られるのだと教えてくださっています。
百八珠のお念珠でなくとも、皆さんが今お持ちのお念珠をいつも携えて、「仏の名を念じる」気持ちを持っていただけることが念珠を扱っている弊社としては無上の喜びです。
今回は、念珠の功徳についてお話しました。

戸津説法拝聴

9月に入りました。まだまだ暑いですね。
8月には様々な行事がありました。お盆がその代表です。天台宗では毎年8月21日から25日に掛けて琵琶湖畔の東南寺(とうなんじ)というお寺で戸津説法(とづせっぽう)という法華経を高僧が説く会が開かれています。(今年の様子はこちらをご覧ください。)
私も1日だけですが、説法を拝聴しに参りました。毎年同じ法華経を解説するわけですから、毎年同じ内容になりそうなものですが、実際にはそうではありません。説法師が毎年異なりますので、説法師を務められる高僧の方の体験に基づいた法華経の解説がなされます。
私は2014年から毎年、最低1日は説法を拝聴しにお参りしています。法華経の同じ部分の解説を聞くこともよくありますが、説法師によって捉え方や語り方がそれぞれ異なりますので、いつも新たな発見があります。
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今年の説法師は延暦寺学園の学園長でもあられる佐々木光澄大僧正様が務められました。今回私が拝聴したお話は「観普賢経」についてでした。法華経は「懺悔の経」とも呼ばれますが、その中でも「観普賢経」は「懺悔」について詳しく説かれたお経です。
「観普賢経」は、お釈迦様が「後三か月で入滅する」というところから始まります。そして「懺悔」に話は移ります。お釈迦様は一般の信者のための5つの懺悔をお話しくださいます。
一.正しく三宝(仏、法、僧)を帰依し、供養礼拝する。
二.父母、師長を孝養する。
三.社会の平安を乱さない。
四.殺生を自分がしない。そして他人にさせない。
五.因果応報を信じ、仏の道を信じ、仏は滅ぶことがないことを知る。
この5つ、守ろうと思うと大変難しいです。私はお肉やお魚を食べていますから、まず「四」は守れていません。「二」も、仮に親孝行をしていたとしても、年長者や目上の人にきちんと礼節を以て接しているだろうか、と自分自身を疑うこともあります。
こう考えると、「守れない戒めは意味がないのではないか!?」と思うのです。しかし、今回の説法を拝聴すると、佐々木大僧正様も正直にご自身も守れていない旨を吐露され、それでも「あぁ、また守れていない。いけないなぁ。」と反省(懺悔)する”その気持ち”が大切なのだ、と説かれていました。「反省の気持ちを持つことが大切」というお話を聞いて、私は仏教でよく出てくる「戒め」のお話に対して納得することができました。「絶対に守らなければならない」と思ってしまうと窮屈になってしまうので、倫理的にしてはならない行為でなければ、「また守れていない。いけないなぁ。」と反省する気持ちを毎度持って、少しでも自らの行為を改善していくことが大切なのだと解釈しました。
戒めを知り、自分自身の行動を少しでも改善する行為が人の「成長」であり、それを「観普賢経」の中で「懺悔」を通して説かれているのだと、今回の戸津説法を拝聴して、発見できました。
法華経は大部であり、自分自身でもいろいろな文献を読むことで少しずつ学んでいますが、やはり高僧のお話を聞くと、分からなかったことが晴れるような感覚を覚えて、とても良いものだと感じました。

西国霊場巡り(その7・美濃国/満願)

近畿地方は台風が過ぎ去りました。皆様、ご無事だったでしょうか?それにしても今年は地震や大雨、台風と天災が続きます。


6月から続けていました西国三十三所観音霊場巡り、先立って満願致しました。西国三十三番札所の谷汲山華厳寺にお参りした様子をご紹介します。
【仁王門】
山門(華厳寺)
【参道】
参道(華厳寺)
【本堂への階段】
本堂への階段(華厳寺)
【本堂】
本堂(華厳寺)
華厳寺は、西国三十三所の中で唯一近畿地方ではなく、岐阜県に所在します。公共交通機関で赴こうとするとなかなか大変なので、お盆休みの期間中に車に乗ってお参りしました。
本堂で御本尊さまに満願の御礼をお祈りし、御軸に御朱印を頂戴いたしました。今回は、華厳寺で西国三十三所巡礼が満願出来たこともあり、本堂の奥にある満願堂の十一面観世音菩薩さまにもお参り致しました。
【満願堂】
満願堂(華厳寺)
本年4月にふとしたきっかけで納経軸の仮巻を発見し、西国巡礼を始めた私ですが、西国巡礼をしてみると、寺院にもそれぞれ立地する土地に応じたご利益や由縁があることに気が付きました。多くの方々が1300年もの間、巡礼を続けてこられた霊場を廻ってみて、やはり多くの方々の「念」が込められたお寺や仏様は、私に素晴らしい「お力」を与えて下さるのだと感じました。この「お力」とは、科学的に何かを説明することは難しいですが、「気分がスッキリする」とか「何とも清々しいなぁ」という感覚を感じる、というものです。
【満願した納経軸】
満願軸
霊場巡りは時間や体力に余裕がないとできないことではあります。ただ、ご自身がお住まいの近くの神社仏閣を毎日お参りすることはできます。私にとってはそれが誓願寺様です。お寺の大きい小さいに関わらず、毎日お参りすれば何か目に見えない「お力」を賜れるのではないだろうか、と西国巡礼をして感じました。

安田念珠店

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