春は花 | 念珠のこと、仏教のこと、京都のこと | Page 2

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

橿原神宮参拝

8月が終わりました。長かった残暑も終わりに近づいたようです。


さて、私は先日、奈良の橿原神宮を参拝しました。京都からですと近鉄に乗って約1時間ほどで到着します。
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橿原神宮は神武天皇を御祭神としてお祀りしている神社です。神武天皇は男性ですので、神殿の屋根が下の写真のようになっています。
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神武天皇とは初代の天皇です。神話である『古事記』〔中巻〕に登場します。
話の要点としては次の通りです。神武天皇は現在の宮崎県高千穂町から瀬戸内海を通って一度大阪へと到着されました。大阪で戦いに敗れ、和歌山沖を沿って熊野に到着、そこから西に向けて再度大阪方面を目指し、現在の橿原神宮の鎮座する場所に都を造られた、というお話しです。
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ここで、「大阪で一旦敗退、熊野から西へ向かって進撃」という部分、実はこのお話の中でかなり大事な部分です。というのも、九州から大阪へという「西→東」の方角は「日の昇る東に向かって」行く方角です。神武天皇は天照大御神あまてらすおおみかみ (太陽の神様)の子孫なので、太陽を背にして戦う、つまり後光が差すように敵と戦うことが大事なのです。このため、神武天皇は一旦熊野へ回り、「東→西」の方角へ進撃をしたのです。
この神話を踏まえて、いろいろな神社を巡ってみると、多くの神社、特に「神宮」と付く神社はそのほとんどが東向きか南向き(太陽の方角)であることが分かります。
「日本」という国の名前も、諸説ありますが、聖徳太子が隋(当時の中国の王朝)の煬帝ようだい への手紙で「日出処の天子、書を没する処の天子に致す。」と書いたことが起源と言われています。昔の人々にとって太陽というのがとても大切なものであったのだということがこうした諸事情から推察できます。
方角に注目して神社やお寺を参拝してみると、また別の発見があるかもしれません。今日は神社と方角についてのお話でした。

幸せになれますように。

8月後半になりました。まだまだ暑い日が続きますが、皆様体調はいかがでしょうか?夏バテしておられませんか?


前回はお経の話をしました。お経と言うと「ありがたいものなのだろうなぁ。」とは思いつつ、「具体的に何を言っているのだろうか?」と思われる方も多いと思います。お経にはたくさんの種類がありますし、宗派によっても読み方が異なったりします。
私もお経を暗誦することは得意ではありません。
そんな私でも覚えられるとても短いお経があります。『四弘誓願(しぐせいがん)』というお経です。
【原文】
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
【現代語訳】
この世に生きる全ての人が幸せになれますように。
際限のない煩悩を無くせますように。
お釈迦様の壮大な教えをすべて学べますように。
最上の悟りを得る事ができますように。
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四弘誓願は佛教を信じる者が行う基本的な4つの誓いです。4つくらいなら、結構簡単にできそうですが、内容を見るとどれも壮大な話でとても実現できそうにありません。
ただ、最初の「衆生無辺誓願度」、つまり「この世に生きる全ての人が幸せになれますように。」というのは、少しであればできそうな気がします。
日本に生きる私たちは、様々な不平不満はあれども、世界の中で見ればかなり恵まれた環境に居ます。こうした環境に感謝して、遠く離れた人々に思いを馳せる。これが私たち誰にでもできる佛様の教えの実践なのだと考えています。勿論、募金をするなどの支援も大切です。しかし、行動に移す人はわずかでも、皆が幸せになれるように願うことは誰にでもできる事だと私は考えています。
本日は、『四弘誓願』について私なりの解釈をお話ししました。

お経を誦む

お盆が過ぎました。皆様はお盆をどのように過ごされたでしょうか?地元に帰省された方、各地へ旅行された方、様々だと思います。

私は、お盆の時期に棚経にお越し下さる僧侶の方々の後ろで、一緒に誦経をしました。
弊社は以前ご紹介した通り、浄土宗西山深草派の総本山である誓願寺様の門前に店を構えております。ですから、浄土宗西山深草派のお寺様に普段から回向をお願いしております。そしてお盆の時期には、弊社に有縁の浄土宗(鎮西派)のお寺様、そして京都市内の臨済宗の僧堂の雲水(修行僧)の方々がお越しくださいます。
【私が回向の時に用いる経本】
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私は幼い頃、月詣りやお盆の棚経で弊社にお越しになるお寺様の後ろで、ずっと正座をして座っているだけでした。祖母が隣に座っており、正座を崩して良い雰囲気ではありませんでした。足が痺れ、「早くお経が終わらないかなぁ~。」と心の中で思っていました。
そんな私が大学生の頃、ある本山様の大きな法要に参列しました。そこでは在家の方々が大きな声で一心不乱にお経を唱えておられました。その光景を目にしてから、私は「お経を声に出して読むことが大切」だと考えるようになりました。
お寺様と一緒にお経を唱えていると、それまでは単なる「音」でしかなかったお経にいろいろと種類があり、それぞれに意味があることが分かってきました。何より、お寺様がどういったお経を誦んで下さっているのかを知ることができ、お仏壇への回向を行う意味が私の中で理解できるようになりました。
「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがありますが、このことわざを誦経する時にいつも頭に思い浮かべてしまいます。


お念珠を片手に経本を持って誦経をする。皆さんも機会があれば実践されるとお経が単なる「音」ではなくなり、案外気持ちが良いものだと感じられるかもしれません。

「東洋」と「西洋」

ここ数か月、季節の行事などに沿った話題でお話を進めてきました。話題に何の脈絡もないように感じておられた方も多いのではないでしょうか?
実は、「自然崇拝」について洋の東西による違いを考えてみようという意図で進めていました。




私の興味関心は、「『東洋』と『西洋』の違い」です。世界は「東洋」と「西洋」だけではなく、イスラーム圏などもあります。ただ、現在の国際秩序形成の中心であった「西洋」と日本が属する「東洋」の違いを理解することは肝心なことだと考えています。
これまでお話してきた通り、日本では自然崇拝を基礎とした神道と大陸から渡ってきた仏教とが習合し、文化の形成基盤となってきました。一方の「西洋」は、キリスト教を基礎として文化が形成されてきました。「西洋」では人間や自然も含めた万物を神が創造したと考えられてきました。ですから、自然に神は宿らず、人間の文化形成に自然崇拝の要素が少ないと言えます。
文化形成の面で「東洋」と「西洋」にとても大きな差が生まれたのは、こうした「自然への接し方」に違いがあったからだと私は考えています。
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「西洋」の文化形成の基盤はヘレニズムヘブライズムです。では、日本に限らず「東洋」の基礎となっているものは何でしょうか?私は、自然崇拝と仏教なのではないか、と考えています。
「手を合わせる」という祈りの所作は洋の東西によって違いがありません。「東洋」と「西洋」の文化形成基盤の差が、もしかすると念珠の発展過程に何か関係があるやもしれない。私はそうした関心を持ち続けています。
今日は少し難しいお話でしたが、私の興味関心についてお話を致しました。


(「東洋」、「西洋」と確固付きで表記しているのは、①中東などのイスラーム圏を「西洋」に含めていないこと〔イスラームもヘブライズムの流れを汲むので〕、②一般的な東洋にも東南アジアにイスラーム圏があること、の2点を考慮してのことです。)

ロシアの宗教

「日本の隣国」というと、皆さんはどの国を思い浮かべるでしょうか?中国や韓国を挙げる方が大半なのではないかと予想します。
実は中国と韓国以外に隣国は沢山あります。その中の1つがロシア連邦です。
ロシアというとどのようなイメージでしょうか?ウォッカ、クレムリン、ピロシキ、マトリョーシカなど思い浮かべるものはいろいろあります。今日はそんなロシアの宗教のお話です。


ロシアは国土が広く、モスクワなどのヨーロッパ地域とシベリアなどのアジア地域はかなり離れています。ロシアの国土の東西は約1万Kⅿ離れているそうです。
そんなロシアも10世紀にはキエフ(現在のウクライナの首都)を中心とする小さな国でした。そして、988年にウラジーミル1世によってキリスト教が導入されました。ウラジーミル1世がキリスト教の洗礼を受けたのはクリミア半島のケルソンでのことです。ロシアにおけるキリスト教は、ロシア正教といわれる正教会の一宗派です。
八端十字架】(ロシア正教会で用いられる十字架です。)

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日本におけるキリスト教はカトリックやプロテスタントがほとんどで、ロシア正教やギリシア正教などと言っても何が違うのか、あまりよく分かりません。
実は、ロシアにおけるキリスト教は、EUに加盟している国々に代表される所謂「ヨーロッパ」のキリスト教とは若干趣が異なります。
キリスト教導入前のキエフ大公国では自然崇拝が為されていました。具体的には、大自然との深いかかわりの中で、母なる大地のすばらしさ、親子のぬくもり、祖先の霊を崇める、といったものでした。どこか日本の「八百万神」と似通った部分があります。
10世紀当時の政治状況や「文明国」としてキエフ大公国が認められるためにキリスト教の導入が必要であった、という経緯があります。ただ、結果として導入されたキリスト教がロシアの中でそれまでの土着の神々と共存するために変容し、変容させていったのは事実です。その過程が私個人としては非常に興味深く感じました。
前述した土着の神々は、キリスト教における「唯一の神」と「人間」とをつなぐ媒介(仲介者)として変容していきます。例えば、雷神ペルーンは『旧約聖書』に登場する預言者エリアに変わったかのように投影されることがあるそうです。
ロシアの土着宗教(自然崇拝)とキリスト教の関係は、キリスト教を「主」として、そこに自然崇拝の神々の中から当てはまる神だけを当て嵌める形式です。日本の神道と仏教が融合した習合的ではありません。
2014年に生じたロシアによるクリミア併合という問題があります。ロシアにとってクリミア半島はウラジーミル1世の洗礼地ということあり、国民にとっては非常に重要な土地であることが分かりました。また、ソ連という時代を経験したロシアにおいて宗教が無くならなかった理由も少しながら分かりました。


日本に居ると、欧米目線で世界を捉えてしまいがちですが、「隣国」であるロシアのことも学んでみると面白い部分があると感じました。

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ロシア精神の源――よみがえる「聖なるロシア」

著者:高橋保行 
出版社:中央公論新社
発売日: 1989/12/10
メディア: 新書

 

「知らない」という親切

私は幼い頃、疑問に思ったことは直ぐに父か母に尋ねていました。1つの質問で終われば良いのですが、返答に対してまた質問をして、最後には「知らない!」と言われたことが度々ありました。
正直に言って、私は「不親切」だと思っていました。結局、疑問が解消されなかったのですから。そこで母は、あまりに私がしつこく尋ねるので『こども大百科』(小学館・刊)を買ってくれました。先ずはこれを調べなさい、ということだったのでしょうか(笑)


ところが、大人になってから、質問に対して「知らない」と答えることは決して「不親切」ではないことが分かりました。
有名な問答があるので、ご紹介したいと思います。
「達磨さん」として有名な達磨大師は老齢になってから、インドより中国へ行きました。
当時の中国にはりょう という王朝の武帝ぶてい という皇帝が居ました。武帝は仏教を篤く信仰しており、「仏心天子ぶっしんてんし 」と呼ばれていました。
そんな武帝が高名な達磨大師が中国にやって来たと知り、2人は対面を果たします。
まず、武帝が「私はこれまで寺を建て、経を写し、僧尼を供養してきたが、どんな功徳があるか?」と尋ねると、達磨大師は「無功徳(何の功徳もありません)」と答えます。
これに続く問答が『従容録しょうようろく 』の第二則(本則)にあります。(『碧巌録へきがんろく 』第一則(本則)にも同様の記述があります。)
【書き下し文】
梁の武帝、達磨大師に問う、「如何いか なるか是れ聖諦しょうたい 第一義」
磨云く、「廓然無聖かくねんむしょう
帝云く、「朕に対する者は誰ぞ」
磨云く、「不識ふしき 」。
かな はず。遂に江を渡って少林に至って、面壁九年。
【現代語訳】(かなり意訳しています)
梁の武帝は達磨大師に尋ねました。「仏法の最上の教えとはどのようなものか?」
達磨大師は「仏の教えは、他のものと関係させること、比べて考えるようなことはしない。どれが尊くてどれが尊くないなどというものはない。」と答えた。
そこで武帝は「尊い道理も何もないのであれば、それを伝えるために私の前に居るあなたは一体何者なのか?」と尋ねました。
達磨大師は「そんなことは知らない。」と答えました。
武帝は達磨大師の言っていることを理解することができませんでした。達磨大師は遂に揚子江を渡り、少林寺に入って、九年間、壁に向かって坐禅をしました。
【春見文勝『提唱碧巌録集 全 自筆』(私家版、1982年)の函に描かれている達磨大師の画です。】
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ここで達磨大師が言った「不識(そんなことは知らない)」という言葉は、「I don’t know.」ではありません。頭で考えたことや書物で学んだ知識などという「人知」でははかることはできない、という意味です。


最初に紹介しました私の例では、「知らない!」と言ってはいるものの、『こども大百科』を買ってくる行動は、私の成長を促す母の心遣いであったのだと現在では理解しています。
「不知最も親切なり」という言葉もあり、「知らない」と返答することも決して「不親切」ではないということを、達磨大師と武帝の問答から学びました。

念珠の素材は何が良いのか?

念珠は一般的に「数珠」と言われます。というのは、マントラといわれる呪文をどれだけ唱えたかを把握するのが念珠の起源だから、だと考えられています。「呪文」というと魔法使いをイメージしてしまいます(笑)が、一番分かりやすい「呪文」が念仏です。
弊社は誓願寺というお寺の門前に位置しております。誓願寺は浄土宗西山深草派の総本山です。
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浄土宗は以下の4派に大きく分かれています。
○鎮西派(一般的に「浄土宗」と呼ばれます。)
→総本山:知恩院
○西山派
・浄土宗西山禅林派
→総本山:永観堂 禅林寺
・西山浄土宗
→総本山:粟生光明寺
・浄土宗西山深草派
→総本山:誓願寺
現在は4派に分かれていますが、そのすべては法然上人の教えから始まった宗派です。
法然上人には沢山の著作がありますが、私が一番読みやすかったのは『一百四十五箇条問答』という著作です。これは一問一答形式で法然上人が質問にお答えくださっているものです。
145の問答の中で「数珠」に関する問答が3つあります。そのうちの1つをご紹介します。
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【原文】
一つ、数珠には桜、栗忌むと申し候はいかに。
答ふ、さる事候はず。
【現代語訳】
「数珠に桜や栗を使うのは縁起が良くないということはどうでしょうか?」
「お答えします。そのようなことはございません。」
桜の木や栗の実が具体例として挙げられています。諸説ありますが、桜はパッと咲いてパッと散るので、栗はお寺の「庫裏」と発音が同じなので縁起が悪いと考えられたそうです。私はこの問答から次のことを解釈しました。すなわち、高貴なものを身につけることが大切なのではなく、身近なものでも良いから只管に念仏を唱えることが大切なのだ、ということです。
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弊社でも桜の木を素材とした念珠を扱っております。上の画像の念珠が桜の材を使った念珠です。使い続けると味が出る良い念珠です。

法然上人は阿弥陀経を漢音、呉音、訓読の3通りで毎日唱えられたそうです。凄まじいことですよね。
これだけ阿弥陀経を唱えられた法然上人が「只管に念仏を唱えなさい」と説かれるのですから、念仏には凄い力がありそうな気がします。
身近なものと共に念仏を唱える。念珠は特別なものではなく、身近なものなのだという感覚をお持ち下さると、弊社としては大変嬉しく思います。

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一百四十五箇条問答――法然が教えるはじめての仏教

著者:法然 
訳・解説:石上善應 
出版社:筑摩書房
発売日: 2017/07/10
メディア: 文庫本
参考URL:http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480098061/
(筑摩書房)

 

祇園祭

暑い夏です。ただ、凄まじい雨も降り、九州北部では豪雨被害に遭われた方々が居られます。先ずは一刻も早い復興、復旧をお祈り致します。


7月も半ばになり、本格的な夏になりました。京の夏の風物詩といえば祇園祭です。
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山鉾が建ち、京都の街は賑わいます。宵山などでは観光や様々な目的で大勢の方々が集われます。
祇園祭は疫病が流行した平安時代に、平癒を願って町衆達が祇園社、現在の八坂神社に奉納したのがはじまりと言われています。祇園祭も「祈り」が起源なのです。それぞれの鉾や山に様々なご利益があるのもそのためです。
町衆文化ですから、西陣織などの京都の職人技が山鉾のあちこちに見られます。祭を通じて京都の伝統技術を体感できるのも祇園祭の魅力の1つです。
先週お話をしました七夕もそうですが、日本の神様には「期間限定の神様」が沢山居られるように感じます。火之神や水之神のような「分野別の神様」、そして「期間限定の神様」とありとあらゆる場所・時間に神様が宿っておられるのだと感じます。まさに「八百万神」です。
日本の神様は賑やかな所がお好きです。天岩戸のお話はその最たる例だと思います。祇園祭にもお出掛けになると、賑やかな所へお越しの神様にお出逢いが叶うかもしれません。

七夕の日に

先週は更新が滞り、申し訳ありませんでした。先週は京都を離れておりました。その内容は次回以降にご紹介することとします。


さて、本日は「七夕」です。織姫と彦星が一年に一度会うことが許された日です。
正確には旧暦の七月七日なので、現在の暦で考えれば八月のお盆の前の季節になります。「七夕」と同じ発音をする「棚幡」が旧暦の七月七日に京都でも飾られます。この「棚幡」は精霊をお迎えするために亡くなった人の戒名を書いた幡を吊るしたものです。飾るのが旧暦七月七日の夕刻だったので「七夕」と表記されるようになったそうです。
「七夕」は仏教起源のお話ではありません。日本における自然への信仰が、その後に伝来した仏教と融合して今のような形になったと言われています。
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話は戻って、織姫と彦星の物語についてです。ご存知だとは思いますが、一応話の概略だけを記します。
織姫は神様の娘で機織りの名人、彦星は勤勉な牛使いの青年でした。神様は身なりに構わず働き続ける娘を不憫に思い、勤勉な青年の彦星を娘の結婚相手とします。彦星が娘・織姫を幸せにしてくれるだろうと思って。
織姫と彦星は結婚後、それまでの勤勉さが嘘のように怠惰になります。織姫が織るべき天の衣が不足し、牛たちもやせ細っていきました。神様は2人に働くように言いましたが、2人は働こうとしなかったため、神様は怒って2人の間を「天の川」で引き離しました。引き離したものの、2人とも悲しみに暮れて一向に働かなかったため、一年に一度、七月七日だけ会うことを許しました。その結果、織姫と彦星は真面目に働くようになりました。
というお話です。

私は幼稚園の頃にこの話を聞いて「何て勝手な神様なんだ!」と思いました。神様は自分の都合で織姫と彦星の夫婦を無理やり引き離しています。今思うと、日本の神様はどこか人間臭い感じがして親近感が湧くのですが、まだ幼かったころは織姫と彦星が可哀想だなと思ったものでした。

最近、色々な方とお話しをしていると、失敗をしたり間違いを犯すことを極度に恐れているように感じることが多々あります。「失敗は成功の基」などの格言があるように、失敗や間違いは生きていく上で重要なことなのだと思います。日本の神話やギリシア神話を読んでいると、「神様でも失敗をしたり間違いを犯したりするのだなぁ」という感想を抱きます。
失敗を恐れずにチャレンジすることが大事なことなのだ、だって神様でも失敗しているんだから、と思うようにしています。
「七夕」から派生して、私の最近の感想をお話ししました。

縁を紡ぐ

先日、自宅近くを歩いていたところ、お世話になっている先生に偶然お目にかかりました。大変お忙しい先生なのに、「こんなところで遭遇できるなんて!」と驚いてしまいました。
本当に”不思議”なことです。
「不思議」という言葉も実は仏教から来た言葉です。「摩訶不思議」といった方が仏教用語っぽく聞こえるかもしれません。「摩訶不思議」は「非常に不思議なこと」とも訳されますが、「人知〔=人の知恵〕を越えた(素晴らしい)こと」と私は理解しています。
先週「知恵」についてお話しました。「知恵」という言葉は「悪”知恵”」と使うこともあり、必ずしも良い意味だけで使われるわけではありません。『旧約聖書』の原罪の話も、人の知恵には限界があることを教えてくれています。
そこで重要なのが、「智慧」なのです。「智慧」とは、辞書によると「仏教の真理に即して、正しく物事を認識し判断する能力。」とか「事に当たって適切に判断し、処置する能力。」とあります。私は「先人たちの失敗から生まれた教訓」と理解しています。もしかすると、「智慧」は「失敗は成功の基」を難しくいったことと理解すれば良いのかもしれません。
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人と人の出逢いは偶然で不思議なものです。この「縁」は最初1本の糸ですが、何度も交流を重ねることで「縁の糸」が紡がれて行きます。人との縁を紡ぐのは、自分1人の限りある”知恵”を多くの縁によって”智慧”へと転換するためなのだと思います。
多くの人と交流を重ね「縁の糸」を紡いで行く――これが弊社の扱う念珠の象る形なのではないか!?
仏教の教えから生まれた商品の形について、こうした感想を私は抱いています。

※このブログは、多くの方々に念珠、仏教、京都に関心を持って頂くことを目的として、週に1回程度の頻度で更新して参ります。

安田念珠店

〒604-8076 京都市中京区御幸町通三条下ル海老屋町323

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