念珠 | 春は花

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「祈る」ということ

「あなたは熱心に仏様を拝んでいますが、何を求めているのですか?」と、ある人に尋ねられました。”熱心に”というのはお愛想だと思いますが、確かに「祈る」という行為をすることは多いです。
私は宗教に関しては結構冷めた考えを持っています。聖書や神話、お経などは好きですし、読む機会は多いです。ただ、所謂「物語」の一種として聖典を捉えています。科学的に神仏の存在を証明しなさいと言われてもなかなか難しいですし、恐らく誰にもできないでしょう。私は、神仏の存在を証明するより人それぞれの「祈り」という行為こそが大切だと思っています。
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神仏とは「列祖の祈りの総体」として出来上がったものだと捉えています。「家族が健康でありますように!」や「地震での被害からの苦しみを救って下さい!」など人々が経験してきた苦しみから生まれる「祈り」こそが大切なものなのだと考えています。立派な寺社や教会、仏像などもそうした「祈りの結晶」として私たちの目に見えているものだと思うのです。
弊社が「念珠」という呼び名にこだわるのも「祈り」という人々の「念」が詰まった商品が念珠だと捉えているからなのです。皆が笑顔で居られるように「祈り」を続けることこそ大切なことであると私は考えています。

念珠の功徳

近畿地方に台風が襲来したと思えば、今度は北海道で地震です。皆様、ご無事でしょうか?


念珠はお祈りの道具ですが、そこにどういう意味があるのか、疑問に思うことは多いのです。インターネットで「数珠の功徳」などと調べるとお念珠を取り扱う多くのお店が同じ説明をしておられます。いろいろなページを読んではいましたが、出典が不明で、時間がある時にちょこちょこと調べていました。今回は仏様が説かれたお念珠の功徳についてお話しようと思います。
弊社も「念珠の話」と題して、ポケットサイズのリーフレットをお配りしています。その中でも一部を紹介していますが、「佛説木槵子経(ぶっせつもくげんじきょう)」というお経が『大蔵経(だいぞうきょう)』という大きな経典の中に収録されています。以下にその原文と私の現代語訳を載せます。原文は国立国会図書館デジタルコレクション掲載のこちらを出典としています。
【原文】
佛説木槵子経
時難國王名波流離來到佛所白佛言世尊我國邊小頻歳寇賊五穀勇貴疾病流行人民困苦我恒不得安臥乃至唯願世尊特垂慈愍賜我要法使我日夜易得修行未來世中遠離衆苦
佛告王言若欲滅煩悩障報障者當貫木槵子一百八以常自隨若行若坐若臥恒當至心無分散意稱佛陀遠摩僧伽名乃過一木槵子如是漸次度木槵子若十若二十若百若千乃至百千萬若態滿二十萬遍身心不亂無諸詔曲者捨命得生第三燄天衣食自然常安楽行若復能滿一百萬遍者常得斷除百八結業始名背生死流趣向泥洹永斷煩悩根獲無上果


【現代語訳】
時に難陀国の国王は波流離[毘瑠璃王]という名で、お釈迦様の所へ来てこのように言いました。「お釈迦様、私の国は辺鄙な場所にあり、小さな国です。外敵の侵入や盗賊が頻発します。そのため五穀は実らず、疾病も流行し人民が困苦しています。私はいつも安心して眠ることができません。私の願いはただ、お釈迦様からの特に慈しみと憐れみをお願いし、私に必要な仏の教えを授けて頂くことです。私は日々修行を行い、未来の世界において民衆が苦しみから遠く離れるように願っております。」
お釈迦様は毘瑠璃王にこう告げました。「もし、煩悩やこの世の障害を無くそうとしたいのであれば、木槵子を百八珠繋いで、いつもそれを当然に身に付けているべきです。歩いている時も、坐っている時も、横になっている時も、常に仏を心の底から信頼し、帰依し尊重する心を無くすことなく、仏法僧の三宝を称賛するごとに、木槵子の珠一つを繰るべきなのです。この通り、だんだんと木槵子を用いて仏の名を呼ぶ[念仏を唱える]と、それが十回、もしくは二十回、もしくは百回、もしくは千回、もしくは百千万回、もしくは二十万回充分に唱えれば、心と体が乱れることなく、諸々の迷いや苦しみはなくなります。命を落として、炎天地獄に行った場合でも、このように現世で念仏を唱えていれば、衣食や環境に困ることはありません。もし、百万回念仏を一生懸命に唱えることができたなら、百八ある悪行の報いを除き、断ち切ることができます。こうすれば、はじめは生死の流れ([訳注]仏の教え)に背き、泥水([訳注]地獄)へ向かう様子であった人も煩悩の根源を永遠に断ち切って、この上ない果実を得ることができるのです。」
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このお経は、「念珠の功徳」というよりは「念仏の功徳」を説いているように感じます。ただ、常に念珠を持って、それによって念仏を唱える気持ちを持つことが大事なのだ、ということが分かります。ここで言う念仏とは「仏の名を念じること」であって、それが「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも「南無観世音菩薩」でも「南無薬師瑠璃光如来」でも構わないのです。
ここに登場する毘瑠璃王という国王は、お釈迦様の生まれた釈迦国を滅ぼした国王です。そうした事情を知ると、複雑な気もしますが、どんな人であっても仏を名を念じることが大事で、それを百万遍、二百万遍と行えば生きていく上でのこの上ない果実を得られるのだと教えてくださっています。
百八珠のお念珠でなくとも、皆さんが今お持ちのお念珠をいつも携えて、「仏の名を念じる」気持ちを持っていただけることが念珠を扱っている弊社としては無上の喜びです。
今回は、念珠の功徳についてお話しました。

お念珠のメンテナンス

寒い日があったり、暖かい日があったりと、正に三寒四温の季節です。
昨日はお彼岸の入りでした。お墓参りに行かれた方も多く居られるのではないでしょうか?もしかすると、引き出しに仕舞っておられたお念珠を久しぶりに出して、お墓参りに行かれる方も居られるかもしれません。
私はほとんど常にお念珠を携帯しています。祖父が私に授けてくれたお念珠で、私は「お守り」だと思って、常に持っています。
お念珠は糸で珠を繋いでいます。ですので、勿論のことですが時間が経てば糸が緩んできます。
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上の画像の念珠は私の念珠です。糸を締め直してから約半年ほど(5ケ月)経過したもので、主珠(木の材の珠)1個分くらいの緩みが出ています。このくらいの緩みが出てきたらそろそろ糸の締め直しの時期だと考えて頂いて構いません。
締め直したものが、下の画像の念珠です。
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石の材の珠を使ったお念珠は、多くの場合石と糸が接する部分が時間と共に擦り減っていきます。そして、どうしても糸が切れてしまうのです。1枚目の画像のように、主珠1個分の緩みが出た段階で弊社へお持ちいただければ、突然糸が切れた際に生じる珠の紛失などがなく、皆様の大切なお念珠をいつまでも使い続けて頂けます。
どんなお念珠でも、皆様各自の「念」の入った大切なものですから、同じものを長く使い続けて頂きたい―――この私たちの願いは、定期的な糸の締め直しによって実現することです。
お彼岸やお盆など、お念珠を使われる機会に、ご自身のお念珠のメンテナンスを考えて頂けると幸いに思います。

お念珠とその袋

3月になりました。陽気が増してきましたね。


皆さんはいつも服を着ておられるかと思います。洋服が大半でしょうが、和服をお召しになる方も居られるでしょう。洋服であれ和服であれ、服はどんな人でも必ず着ている物です。
そういう前提で次のお話を読んでみたいと思います。
【原文】
僧、洞山に問う、如何なるか是れ佛、山云く、麻三斤まさんぎん
【現代語訳】
ある僧侶が洞山守初とうざんしゅしょ禅師に問いました。
「仏とは何ですか?」
洞山は答えました。
「麻が三斤」と。
(『碧巌録』第12則 本則より)
「仏とは何か」と問われて、なぜ“麻”なのか、なぜ“三”斤なのか。疑問に思う点は多いです。
いやいや、言葉の字面にとらわれてはいけません。麻は十斤でも百斤でも良いのです。または、「麻」とは麻糸のことではなく、胡麻のことです。――といった説明がされることがあります。
これに対して中国文学の専門家であった入矢義高先生は、言葉の本来の意味から考察し、「麻三斤」とは僧衣一着分を作ることのできる材料の単位であることを解き明かされました。そして、この問答は
問:仏とは何か。
答:衣一着分。
ということになると説明されています。
(入矢義高『増補 自己と超越』(岩波現代文庫、2012年)88〜94頁)
ここからどのように考えるかは各人次第です。(そこが一番難しいのですが。。。)
最も身近な物である服こそが仏である。身につけている服と、文字通り「一心同体」となれているのか!?—―このお話はこうしたことを言っているように私は考えています。
【お念珠とお念珠袋】
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以前このブログで、お念珠がお守りになる旨のお話を致しました。神社などで授与されるお守りは祈祷されたお札が布製の袋に入っているのが一般的です。大事なご神体を保護するためにそうした工夫が為されています。
お念珠も実は同じなのです。お念珠袋はお守りである皆様それぞれのお念珠を保護する役割があるのです。
そして、上記のお話から考えれば、お念珠とお念珠袋は「一心同体」であると思うのです。お念珠そのものを大事にして頂きたいのが弊社の何よりの願いです。お念珠を大切にして頂くためには皆様が服を着るのと同じように、お念珠を保護するものが大事なのだと感じます。
念珠と身近に接している者として、どんなお念珠であっても大切にして頂きたい。本日はこうした私の願いをお話しさせて頂きました。

念珠の形(時宗)

立春を過ぎたのに、とても寒い日が続きます。皆様は体調を崩されたりはしておられませんでしょうか?
弊社が店を構えるのは「“寺町”六角」と呼ばれます。「碁盤の目」として知られる、人工的に整備された京都特有の呼び方で、南北の通りの名前と東西の通りの名前を交差して位置を指し示します。つまり、「寺町通(南北の通り)」と「六角通(東西の通り)」の交差した位置にありますよ、ということを「寺町六角」と言えば通じるのです。京都の「洛中」と呼ばれる地域は、どんな細い道であっても通りに名前が付いています。「○○X丁目」という地名で呼称される地域は明治以降の都市計画で整備された場所で、こうした地名の呼び方でも都市整備の時期が分かるようで面白く感じます。
さて、この「寺町通」というのは、豊臣秀吉の京都整備に伴って成立した通りです。安土桃山時代には、この地域は「洛中」の東の端であり、また鴨川の河畔で地質としても良質の土地とは言えなかった場所でした。そこに豊臣秀吉は京都各地の大きな勢力を持った寺院を集めていきました。本能寺(法華宗)、誓願寺(浄土宗)といった大寺院がこの「寺町通」に移されました。
寺町通と、八坂神社の参道である四条通の交差するあたりに、かつては「四条道場」と呼ばれた金蓮寺という時宗の寺院がありました。現在はその塔頭の1つの「染殿院」が残されているだけですが、かつては巨大な寺域を誇る京都の念仏道場の中心でした。染殿院は、付近を歩いてみると商店街の中に奥まって佇んでおり、見落としてしまいそうな寺院ですが、とても歴史のある時宗の寺院です。
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時宗という宗派は、一遍上人によって開かれた宗派です。ひたすらに念仏を唱えること、そして「賦算」と呼ばれる念仏札をいろいろなところに貼ることが極楽往生のために必要なことと説かれました。一遍上人が1284年から約2年間京都での活動の拠点とされた場所が、この金蓮寺の起源です。(金蓮寺は現在、京都の北西部、鷹峯にあります。)
時宗と言うと「踊り念仏」が有名です。太鼓や鐘の音に合わせて「南無阿弥陀仏」と唱える光景は、一遍上人のお生まれになった伊予の阿波踊りを想起させます。踊り念仏を見ていると、「難しいことを云々言わぬとも、兎に角楽しく「南無阿弥陀仏」と唱えましょう!」と一遍上人が仰っているように感じます。
念仏を大事になさる時宗では多くの方が浄土宗と同じく日課念珠をお持ちになります。(日課念珠に関してはこちらをご覧ください。)念仏を多く唱えることに執心なさる一遍上人の御教えを体現しているように思います。時宗が京都でも、そして全国で広く広まったのは、何より一遍上人のお話が分かり易かったのが要因だと思います。仏教詩人の坂村真民先生が一遍上人を尊敬されて讃歌を出されているのも、そのためだと思います。
京都にはいろいろな宗派の寺院がありますが、なるほどこんなところに御教えが息づいているのか、と感じ入った一時でした。

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一遍上人語録 捨て果てて

著者:坂村真民 
出版社:大蔵出版
発売日: 1994/10/01
メディア: 単行本(ハードカバー)

 

書の力

ブログの更新、滞って居りまして申し訳ございません。遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。


年末年始のお休みの際、京都には多くの外国人観光客の方がお越しでした。弊店にお越しの外国人のお客様も多く居られることに、いろいろな意味で驚きを持って見ておりました。
本ブログでもWikipediaにリンクを貼ることを度々行っておりましたが、日本語版以外のWikipediaを見ることは私はそれほど多くありませんでした。ところが先日、ふとしたことからヨーロッパや米国で日本の禅への関心が異常に高いことを知りました。
弊社の寺町本店にお越しいただくと、正面に「安田念珠店」と書かれた大きな書が目に入ります。
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この書は山田無文老師(1900年~1988年)が揮毫して下さったものです。山田無文老師は今年で遷化されて30年の節目の年となりますが、未だに多くの信奉者が居られる偉大な禅僧でした。
私自身は山田無文老師に直接お目に掛かったことはなく、それこそWikipediaの情報やご高著を通してしか存じ上げておりませんでした。
そんな中、英語版のWikipediaの情報を見て、検索した結果山田無文老師の在りし日のお姿が動画で観れることが分かりました。

Zen of Yamada Mumon Roshi

この動画は、「参禅」の様子まで映し出されるというかなり貴重な動画です。
本ブログでよく高僧の方の書をご紹介することがあります。書には揮毫される方の「風格」が現れると言います。この「風格」、簡単に言うと「人柄や性格」といったところでしょうか。
山田無文老師の書は力強い中にも柔らかみがあり、独特な感じを受けます。
欧米ではこうした書が芸術として評価されていることが分かりました。文字を書くことは、その言葉が持つ意味を伝えるだけでなく、何とも言えない力を観る人に与えるのだと感じます。
外国の方々に日本がなぜ仏教と神道を大切にして歴史を歩んできたのかをきちんと説明できるようになることが、念珠を商う弊社の役割なのかもしれない、と思った次第です。
ご興味を持たれた方が居られましたら、山田無文老師の書をご覧にお気軽に弊社の寺町本店にお越しください。お待ち申し上げております。

念珠の形(浄土真宗・その2)

弊社のホームページにはいろいろなページがあります。このブログ「春は花」もその1つです。
不定期ではありますが、弊社社長がコラムを更新しております。一覧はこちらをご覧ください。その第7回に「地獄のそうべえ」というコラムを書いております。そのコラムの冒頭はこんな感じです。
ある小学生がいました。秋の学芸会で「地獄のそうべえ」という劇をクラスでやることになりました。その筋は、そうべえという曲芸師が綱渡りを失敗して地獄へ落ち、様々な試練の後、地獄から生還するというものです。小学生が演じるにふさわしいコミカルで微笑ましい劇です。
この劇をクラスでやるとなった時、担任の先生がクラスの生徒に「今度の劇は地獄を題材にしたものです。みんな来週までに地獄というものはどんな所か、お父さんお母さんそれから誰でもいいから知っている人に尋ねて調べて来なさい。」と言いました。 彼は家に帰って、誰に尋ねればいいだろうかと思案しました。そして、以前、キャンプでお世話になったお坊さんを思い出し、その人を尋ねました。数年ぶりの再会であったにもかかわらず、そのお坊さんは、彼のことをよく覚えていましたし、彼の地獄についての問いに実に親切に答えてくれました。
(中略)
帰り道、家へと向かう自分の足が速くなっているのに気が付きました。「地獄なんか実際にはないのだ」と思いながらも、「悪い事をしたら地獄で怖い目に遭うのか」と思わざるをえませんでした。家へ帰った彼は、お坊さんから聞いたままを興奮した面持ちで母親に話しました。「お母さん、地獄ってこんなに怖いところらしいよ」と。たった今、地獄を自分の目で見てきた様に話しました。
この話には続きがあります。この小学生は「何とか地獄に堕ちないようにしたい!」と強く思い、その方法を聞くためにその夜にお祖父さん(母方)に電話を掛けるのです。そして、「どうすれば地獄に堕ちないの?」と尋ねます。お祖父さんは「あなたのお家のお仏壇の前で『南無阿弥陀仏』と何度も唱えれば良いんですよ。」と答えてくれました。次の日、学校が終わってからお仏壇の前に行くと、お祖母さん(父方)が「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…………」と唱えていました。


この話、親鸞聖人の御教えを理解するために役に立ちます。親鸞聖人の御教えは要約すると「信じる心を持つ人は助かります」というものです。ここでいう「助かります」とは「極楽に行けます」と解釈しても差し支えないと思います。
【一般に多くの方が携えられる「略式念珠」】
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先週ご紹介した蓮如上人の『御文章』にもある通り、「信心(信じる心)」を持つ人は念珠を携えて念仏を唱えているのです。念珠には値段の高低はありますが、値段の高低に関わらず、いつも携えて頂くことが弊社の本望です
「ある小学生」の祖父母たち4人は今や泉下の客となってしまいました。皆、お念珠を携えて念仏を唱えていたので、今ごろ極楽へ行っていることでしょう。

念珠の形(浄土真宗・その1)

私は幼いころから母の実家に行くことが度々ありました。母方の祖父母は篤信者であり、いつも朝夕のお勤めをしておりました。そして孫である私が訪れると決まってお寺様(浄土真宗本願寺派)へお参りし、ご住職様にお経をあげてもらっていました。
ご住職様の読経を何となく聞いていた私ですが、漢文調のお経が続いた後にいつも決まって文語調のお経を誦んで下さっていました。「あれは何というお経だろうか?」と祖父に尋ねると、祖父は「蓮如上人が分かり易く御教えを説いてくれたありがたいお経ですよ。」と教えてくれました。当時小学校1年生だった私は「ふ~ん。」と言ってそれ以上調べることはありませんでした。
母方の祖父母がうつそみの人でなくなってしまった時、「そういえば、おじいちゃんが教えてくれたお経は何だったんだろうか?」と思い、調べてみました。それは「御文章(ごぶんしょう)」(もしくは「御文(おふみ)」)と呼ばれているものでした。
御文章は全体で5帖あり、1帖に約15通の蓮如上人のお手紙がまとめられています。私がいつも耳にしていたのは「第5帖の10 聖人一流の章」でした。読経の際に独特の節があって、印象に残る御経です。
その「御文章」の中に「第2帖の5 珠数の章」があります。少し長いですが全文引用してみます。
【原文】
そもそも、この三四年のあひだにおいて、当山の念仏者の風情をみおよぶに、まことにもつて他力の安心決定せしめたる分なし。そのゆゑは、珠数の一連をももつひとなし。さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり。聖人、まつたく「珠数をすてて仏を拝め」と仰せられたることなし。さりながら珠数をもたずとも、往生浄土のためにはただ他力の信心一つばかりなり。それにはさはりあるべからず。まづ大坊主分たる人は、袈裟をもかけ、珠数をもちても子細なし。
これによりて真実信心を獲得したる人は、かならず口にも出し、また色にもそのすがたはみゆるなり。しかれば当時はさらに真実信心をうつくしくえたる人いたりてまれなりとおぼゆるなり。それはいかんぞなれば、弥陀如来の本願のわれらがために相応したるたふとさのほども、身にはおぼえざるがゆゑに、いつも信心のひととほりをば、われこころえ顔のよしにて、なにごとを聴聞するにもそのこととばかりおもひて、耳へもしかしかともいらず、ただ人まねばかりの体たらくなりとみえたり。
この分にては自身の往生極楽もいまはいかがとあやふくおぼゆるなり。いはんや門徒・同朋を勧化の儀も、なかなかこれあるべからず。かくのごときの心中にては今度の報土往生も不可なり。あらあら笑止や。ただふかくこころをしづめて思案あるべし。
まことにもつて人間は出づる息は入るをまたぬならひなり。あひかまへて油断なく仏法をこころにいれて、信心決定すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
[文明六、二月十六日早朝ににはかに筆を染めをはりぬのみ。]


【意味】
そもそも、ここ3~4年の間において、本願寺の檀信徒の様子を見及ぶところでは、本当に阿弥陀如来の本願力を信じて疑いもない様子がありません。その理由は念珠の1連をも持っていない人が居ることであります。それ程に仏様を手掴みになさっているのです。(〔訳注〕仏様を軽く見ているのです。)親鸞聖人は、「念珠を捨てて仏様を拝みなさい」と仰られたことは決してありません。そうでありながらも、念珠を持たなくても、極楽浄土へ往生するためにはただただ阿弥陀如来の本願力を信じることのみであります。それについて妨げるものはありません。先ずはともあれ、優れた僧侶である人は袈裟を掛けて、念珠を持っても差し支えありません。
私(蓮如上人)が考えるところでは、真実の信心を確かに得た人は、必ずや口にも表れ、また振る舞いにもその姿が見えてくるものなのです。ですから、現在では真実の信心を見事に得た人は稀であると思うのです。どうしてそのようになるのかと言えば、阿弥陀如来の本願は私たちに相応したものであるが、その尊さの程度を各自が体得しないからなのです。信心について一通りのことを心得ているというような顔をして、何を聴いても、「あぁ、そのことか。(〔訳注〕それなら知っているさ。)」とばかり思って、耳にもしっかりと入っておらず、ただ人の真似事ばかりしている様子に見えます。
この様子ではご自身の極楽往生も現在ではどうも危ういだろうと思います。ましてや、檀信徒や同朋に仏の教えを説き、信心を勧めるなどということは到底できることではないでしょう。このような心持ちでは今の生涯を終えた時に極楽往生することはできないでしょう。あぁ、なんて残念なことでしょう。ただ深く心を穏やかにして考えてみて下さい。
本当に人間というものは、吐いた息を吸うことが待てない性分であるほど儚い存在なのです。必ず心構えをして油断せずに仏法を心に入れて、阿弥陀如来による救済の信仰を心に確立すべきなのです。 あなかしこ、あなかしこ。
文明6年(1474年) 2月16日、朝早くに一気に書きました。
浄土真宗では、念珠を念仏の数を数える道具として用いることはありません。念仏を唱えた数が大切なのではなく、その「信心」が大切だからなのです。ですから、実際上は念珠を持たなくとも念仏を唱えることができます。しかしながら、蓮如上人が御文章の中で説かれている通り、念珠を持っていると持っていないとでは振る舞いや阿弥陀様の救済の程度も変わってくるのです。
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蓮如上人は裏側の房が長いのを巻き上げて「蓮如結び」と呼ばれる結び方を考えられました。(上の画像をご覧ください。)
「蓮如結び」は蝶のように見える結び方です。これは私の想像ですが、この結び方は「阿弥陀様と私たちを繋いでくれる蝶」を模しているのではないか、と考えています。
蓮如上人が仰ったように、気持ちを整えて阿弥陀様と向き合うことが大切なのだと、御文章を読んで痛感しました。

念珠の形(浄土宗・その2)

富士山が雪を被っていました。もう12月なのですね。
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さて、本日も浄土宗のお念珠の形の続きです。
先週もお話した通り、浄土宗では念仏を多く唱えることが重要なことです。京都には、「百万遍」として親しまれ、地名にもなっている知恩寺(ちおんじ)という浄土宗の寺院があります。昔、京都で疫病が流行った時に知恩寺の僧侶が念仏を百万遍、何日も唱え続けたことで疫病の流行が止んだという逸話があります。これによって「百万遍」と呼ばれるようになったそうです。
しかしながら、百万遍、つまり百万回も念仏を唱えたことをどうやって数えたのでしょうか?この逸話の場において、実際にどうやって念仏を唱えた回数を計測したのかは正確には不明ですが、恐らくお念珠を用いて数を数えておられたのではないかと思います。
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上の画像のお念珠は、浄土宗のお念珠(男性用)のお念珠です。このお念珠は、上部の輪に27個の主珠が、下部の輪に20個の主珠があり、弟子玉が左右に6個と10個あります。この1連で
27×20×6×10=32,400回
の念仏を唱えたことを数えることができます。ちなみに、女性用のお念珠では上部の輪の主珠が40個あります。計算すると、
27×40×6×10=64,800回
の念仏を唱えることができます。男性用の2倍も念仏を唱えることができます。
こうしたお念珠の形をとるのは、「念仏を唱える」ことが浄土宗の教えの根本であり、出家した者も在家の者もその別なく念仏を唱えることを求めたのが要因であると考えられます。
この念珠は「日課念珠(にっかねんじゅ)」と呼ばれます。「日課」とは「毎日することが定まった仕事」という意味です。すなわち、誰でも三万回(男性)か六万回(女性)の念仏を唱えることが毎日の仕事(課題)であると言われているのです。私自身も浄土宗の檀信徒でありますが、毎日三万回の念仏を唱えてはおりません。怠惰であるなと反省します。
ただ、毎日定められた課題だからと言って、負担に感じることなく、毎日一度でも良いから念仏を唱える。これがなによりも大事なのだと、浄土宗のお念珠から私は感じ取っております。

念珠の形(浄土宗・その1)

この季節、紅葉が綺麗です。紅葉自体も綺麗ですが、その周りの木々などによって紅葉が引き立っているようにも感じます。こう見ると「主役」だけでなくそれを支える「脇役」が何よりも肝心なのだと思います。
【相国寺の紅葉】
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さて、今日は浄土宗について見ていきましょう。
浄土宗の宗祖・法然上人は様々な文書を遺しておられます。法然上人の御教えと浄土宗の本旨が一枚に詰まった「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」が有名ですが、今日は「発願文(ほつがんもん)」を見ていきたいと思います。
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(上の画像の書は知恩院門跡第83世門主・岸信宏猊下が揮毫なさったもの(複写)です。)
【原文】
願弟子等 臨命終時 心不顚倒 心不錯乱 心不失念
身心無諸苦痛 身心快楽 如入禅定
聖衆現前 乗仏本願 上品往生 阿弥陀仏国
到彼国已 得六神通 入十方界 救摂苦衆生
虚空法界尽 我願亦如是
発願已 至心帰命阿弥陀佛
【現代語訳】
願わくば、私たち念仏を唱える者が、命終わろうとする時に、心が迷ったり、心が乱れたり、我を失うことがありませんように
そして心と体に何の痛みも感じることなく、心身ともに安らかで、心穏やかにありたいものであります。
極楽浄土からお迎えにこられた阿弥陀さま、菩薩さま方よ、どうかお姿をお現しくださいませ。佛さまの私たちを救いたいという御本願のまま、極楽浄土へ立派に往生させて下さいませ。
極楽浄土に参りましたなら、六種の不可思議な力をこの身に備え、すべての世界で苦しむ人々を救うことができますように。
私のこの願いは、大空が果てしなく続いているように、永遠に続きます。
誓いを立て終わりました。真心を込めて阿弥陀様に帰依し奉ります。
この「発願文」は法然上人が、死を迎える時はこのように死に、死後はこのようにみんなを導いていきたいという願いを記したものです。
浄土宗では「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることが大切だと言われます。ただ、念仏を唱えることは、極楽へ往生し、その後に他の人々を救うために唱えるのだ、ということが「発願文」には記されています。念仏は、自らを救ってくれるだけでなく、他の人々をも救うものなのだと説かれているのです。
ご先祖様などこれまでの人々が「脇役」として支え、今を生きる私たちが「主役」となる。親孝行が大事だと言われるのは、こうしたことからも言えるのかもしれません。紅葉を眺めながら「発願文」を思い出しました。

安田念珠店

〒604-8076 京都市中京区御幸町通三条下ル海老屋町323

TEL:075-221-3735 FAX:075-221-3730

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受付時間:平日(月~金曜日)AM9:00~17:30まで