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春は花

Category Archives: 仏教

毎日、良い日だなぁ。

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早、十二月。1年の最後の月です。「光陰矢の如し」とは言いますが、時の流れは本当に早いものです。
ここで「時の流れが早い」と言いましたが、そんな言葉を呟けるのも毎日生きているからなのです。これは当然のことですね(笑)。しかしながら、実はよくよく考えてみると大変恐ろしくまた凄いことと言えます!!!
1人の男性と1人の女性が出会い、そこから子供が生まれます。人と人が出会うのも、タイミングが合わないと出会えません。例えば、生まれるのが1年違えば、学校で同級生にならなかった、という事態が起こり得ます。両親が出会った“偶然”、そして私たちがこの世に生を享けた“偶然”、そうした“偶然”の積み重ねで私たちの「今」があるのです。こう考えると、生まれたことは実に不思議ですし、人との出会いも実に不思議です。
「日々是好日」という言葉があります。言葉の解説はWikipediaをご覧ください。簡単に解釈すると「毎日、良い日だなぁ。」という言葉です。ただ、「毎日が良い日」ということの基礎には膨大な数の“偶然”が重なっており、そして「今」があるということ、こうした深い意味がこの言葉には隠されているのです。
人との出会いと別れ、こうした“偶然”と寄り添い、その傍にあるのが念珠です。私たちの大切にする気持ちを十二月に考えてみました。
(右の画像の書は京都・慧日山東福寺前管長・遠藤楚石老大師様が揮毫なさったものです。)

世の儚さを知る

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弊社には上の画像の書が掲げられております。
この書は弊社の本店営業部が竣工した記念に当時の醍醐寺の門跡様であらせれた岡田おかだ宥秀ゆうしゅう猊下げいか(1907年-1985年)が揮毫きごうして下さったものです。
弊社の本店営業部竣工以来ずっと掲げられています。1985年(昭和60年)に完成致しましたので、もう30年以上もの間、私達を導いて下さっております。
「大覚」という言葉は「夢から覚める」、つまり「この世は非現実なのだ」ということを教えてくれています。
「祈り」は、身近な人が亡くなったり、大震災などのどうしようもないことが起きた時に行うのが常です。
「祈り」が基盤にある念珠――私達の扱う商品は世の儚さを知らずして扱えないのです。
この書を掲げ続けているのは、「私達が世の儚さを忘れてはならぬ。」という弊社先代からの変わらぬ心意気の現れなのです。
USBメモリー紛失などの卑近な例からでも「世の儚さ」を感じることは実は大切なのかもしれません。

先日、私は落とし物をしてしまいました。この数年間で私自身が作成してきた文書などが保存されているUSBメモリーです。
無くなってみて初めて、そのUSBメモリーの自分自身にとっての重要性を知りました。何年も掛けて培った物も失うのは一瞬です。
何とも儚い(はかない)と感じます。
さて、前回「覚醒」は「目覚める」と同じ意味だと書きました。では何から「目覚める」のでしょうか?実は、「夢から目覚める」のです!
(右の画像の掛物は京都・東山建仁寺管長・小堀泰巖老大師様が揮毫なさったものです。)
日々の眠りの中で「夢」を見ることはありますよね(=睡眠中の幻覚)。また、将来の希望を「夢見る」こともありますよね(=将来の理想)。どちらの「夢」も「非現実」ということは共通しています。
仏教では、人生そのものが「夢」なのです。つまり、「人生=非現実」なのです!
儚い(はかない)」と言う漢字は「人+夢」ですし、ここにも仏教由来の言葉があります。
世の儚さに気付く――これが「覚醒」への第一歩なのかもしれません。

覚醒

『ドラゴンボール』(DRAGON BALL)は数ある漫画やアニメの中でも特に有名な作品です。老若男女を問わず、多くの方がご存知だと思います。主人公の孫悟空(カカロット)が強敵に出会う度に進化を続ける物語です。
『ドラゴンボール』では孫悟空やベジータなどのサイヤ人が自らの潜在能力を呼び起こし”覚醒”すると「スーパーサイヤ人」になります。物語が進むとスーパーサイヤ人以上の形態も登場します。

超サイヤ人3――孫悟空変身

この”覚醒”という言葉、実は仏教に由縁する言葉と言えます。お釈迦様が悟りを開かれて「覚者(かくしゃ)」になられたことに由来します。「覚」も「醒」も「さめる」と読みますし、「覚醒」という言葉よりは「目”覚”める」という言葉の方が馴染み深いかもしれません。日本の有名寺院でもこの「覚」の入った名前を持つお寺様は多いですよね。例えば、大覚寺(京都市右京区/真言宗大覚寺派)、円覚寺(神奈川県鎌倉市/臨済宗円覚寺派)、妙覚寺(京都市上京区/日蓮宗)、本覚寺(神奈川県鎌倉市/日蓮宗)などが挙げられます。
仏教において、人はこの「覚者」に成るべく修行をしていると言えます。『ドラゴンボール』風に言えば、「スーパー ホモ・サピエンス」を目指していると言えるかもしれませんね。
「覚」という言葉一つとっても、実は私たちは仏教と無意識に触れ合っているのです。

仏教と日本

『寺院消滅』――こんなセンセーショナルなタイトルの書籍が書店に並んでいます。最近では仏壇の無いご家庭や「墓終い」をする方々も少なくありません。

しかし、不思議なことに京都の寺院には多くの人々が観光に訪れています。例えば、清水寺。ほとんどの方は清水寺をご存知だと思います。ですが、「清水寺のご本尊様は?」という問いに答えられる方は少ないように思います。(清水寺のご本尊様は千手観音様です。)

日本では多くの人々が仏教を熱心に信仰しているわけではないようです。これは今も昔も違いはないように思います。

それではどうして多くの家庭が「檀家」として今も特定の寺院の信徒とされているのでしょう?
不思議ですよね。

私の考えですが、この「檀家制度」は徳川幕府による戸籍制度だったのではないでしょうか?

キリスト教を禁止し、「踏み絵」を行った徳川幕府は、キリスト教の禁止と人口把握の為に仏教を利用した、と私は考えています。そう考えれば、徳川幕府が倒れ、公的な戸籍制度が確立された現代では、「寺院消滅」という流れは自然なものなのかもしれません。

ただ、1000年以上もの間、この日本に根付いてきた仏教を知ることは、日本について知ることに通じると私は考えています。

仏教と日本、歴史をみると信仰という側面だけでは説明できない関係性を見出だせます。

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寺院消滅――失われる「地方」と「宗教」

著者:鵜飼秀徳
出版社:日経BP社
発売日: 2015/05/25
メディア: 単行本(ソフトカバー)
参考URL:http://bpstore.nikkeibp.co.jp/item/books/240960.html
(日経BP書店)

な~む~

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 皆さんは最近の連絡方法でLINEを使っていませんか?メッセージも送れるし、無料通話もできる。なんて便利なのでしょうか。

 LINEの特徴の1つが「スタンプ」です。ムーン・ジェームズなどのLINEキャラクターのスタンプはもちろん、ディズニーやドラえもんなど様々なキャラクターのスタンプがあります。そのスタンプの中にいろいろなキャラクターが「なーむー」と言って手を合わせているものがあるのをご存知ですか。

  これってどういう時に使うのでしょうか?

「なーむー」とは漢字に直すと「南無」です。「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」などのお題目を皆さんもどこかで一度は耳にしたことがあると思います。「南無」は「絶対的に信仰します。」という意味です。インドから伝わった「ナマス」という音に中国で漢字が()てられたそうです。ちなみにこの「ナマス」、インドでの挨拶「ナマステ」の一部だそうですよ!

 では、「南無」はなぜ「南」という字を使っているのでしょうか?昔、中国では羅針盤は南を基点としていました。今でも「指南書」などと使うところにその名残(なごり)があります。地図も南が上だったのです。というのも、中国から北方は寒いですし、暖かい南に行く機会が多かったからではないでしょうか。つまり、「南無」とは「道標(みちしるべ)が無い」ということなのです。

「南無」という言葉は実は奥の深い言葉なのです。こうやって調べてみるとLINEのスタンプも考えて使わないといけなくなりますね!?

「足下(あしもと)を見つめ直す」

看脚下(図解)看脚下

 弊社の本店営業部の玄関には右のような表札が掛かっています。

 ごうして下さった方(字を書いて下さった方)は、妙心寺の管長を務めておられた松山まつやまばんみつ老大師ろうたいし様(室号:ずいうんけん(1908年-1990年)です。「看脚下」はそのまま漢語読みで「カンキャッカ」と読むこともありますが、読み下して「脚下をよ」とも読みます。禅宗のお寺などでこの「看脚下」や「脚下照顧きゃっかしょうこ」もしくは「照顧脚下」という言葉を目にされた方も多いかもしれません。「看脚下」は、禅の教えとして深い意味がある言葉ですが、我々は「履物を揃えましょう。」という標語的な意味合いを持って用いさせていただいております。

 では、なぜ弊社が「履物を揃えましょう。」と書いた表札を玄関に掛けていないのでしょうか。「履物を揃えましょう。」と書いた表札の方が分かり易いですよね。

 この「看脚下」という言葉には、「履物を揃えましょう。」という標語的な意味合いだけでなく、「自己の足下を見つめ直しましょう。」という意味合いもあります。何事も基礎・基本・基盤が大切であるということを教えてくれているのです。

念珠は祈りの道具です。人の心と深く関わる商品です。利益ばかりを追求し、念珠が祈りの道具であるという基本を忘れてしまってはいけない。こうした大切なことを忘れないために、弊社では日々「看脚下」を目にしております。

神様?仏様?

椎名林檎さんの歌に『神様、仏様』という楽曲があります。
(詳細は「椎名林檎チャンネル」:https://www.youtube.com/watch?v=42W8bxW14sU

SheenaRingoVEVO

椎名林檎 – 神様、仏様

歌詞の意味を考えると、とても難しいです。「繰り返される諸行無常」や「南無阿弥陀仏!」といった仏教的な言葉もあり、「幽霊の正体見たり」などの神道的な言葉もあります。

難しいですね。。。。。

ただ、この歌詞から日本における仏教と神道の関わりが見えてくるように思います。楽曲のタイトルにある通り「神様、仏様」は並び列せられる存在なのです。「並び列せられる」と書きましたが、つまり日本では「神様」と「仏様」は共存しているんですね。これは「神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう)」という言葉で説明される、江戸時代までの仏教と神道との関わりの名残りなのです。

そういえば、ことわざにも「困った時の神頼み」というものもあれば、「仏の顔も三度まで」というものもあります。日本人は神様にも仏様にも親しんできたのですね。

神様にも仏様にも共通しているのは「祈り」という行為です。私たちの取り扱う「念珠」という商品は祈りと共にある商品です。

日本人と祈り。この関わりを考えつつ、私たちは皆様に素敵なぬくもりをお届けすることを目指しております。

椎名林檎さんの『神様、仏様』。今回は、この楽曲を手掛かりに「祈り」について考えてみました。

安田念珠店

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