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飯室谷不動堂・地蔵盆と放生会

本日、近畿地方は雨天でした。暑さが少し和らいだように思います。
本日、私は比叡山飯室谷不動堂で行われた地蔵盆と放生会にお参りしました。雨天でしたので、回向三昧堂の中から法要が行われました。
【回向三昧堂】
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【回向三昧堂の中から地蔵堂を臨む】
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【地蔵堂】
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法要の後に雨が落ち着くまでの間、大阿闍梨様から法話がありました。お地蔵様という仏様は私たちの傍らに寄り添って下さる仏様ということです。そして安全な方へと私たちを導いてくださるそうです。この法話を拝聴して、不動明王様やお地蔵様という仏様は私たちの安全を守って下さる優しい仏様なのだなぁ、と感じました。ご利益(りやく)というと「何も起こらない(無事)」ことなのだと思いますが、この「無事」であることがどれほどありがたいことなのかを改めて感じました。現在でも道を歩いているだけなのに突然車に轢かれて亡くなるなどということが実際に起こります。家から出掛け、その日無事に帰宅できることがどれだけありがたいことなのか、感謝しなければならないと思いました。
【放生会で稚魚を放流した池】
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その後、私たちが日々いろいろな命を頂いて生きていることに感謝し供養するための放生会が行われました。鯉の稚魚を池に放流しました。大阿闍梨様のお話によると全ての稚魚が生き残るわけではないそうです。鳥に食べられたり、池の中での競争に生き残れなかったりする稚魚もいるそうです。ただ、体が小さくとも果敢に餌に飛びついていく稚魚は生き残っているそうです。生きるために一生懸命であることが大切なのだと教わりました。
【御牘】
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御牘(おふだ)を頂いて帰宅しました。日々生きていることに感謝しなければならないと感じたお参りでした。

他国の人から見た日本の習俗

炎暑の中、皆様体調はいかがでしょうか?
お盆の時期を初めて日本で過ごした中国人の友人に「日本の仏教は特殊ですね。」と言われて、少し驚いてしまいました。普段はあまり熱心な信仰者ではないような人々が突然地元に帰ってしまって、彼の住んでいるアパートは彼くらいしか残っていないのではないだろうか、と思ったそうです。地元に帰った理由は「お盆休み」ということで、「これは仏教の行事ではないですか!?」と不思議そうな連絡をしてきました。
確かに不思議ではありますが、日本人の仏教への接し方について、私は以前お示ししたようにカレーライスやナポリタンと言った日本で生み出された料理への接し方に似ていると感じています。
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彼と先日学業増進を目的に北野天満宮へ行きました。天神様へのお参りの後、参道を歩いて参道脇の東向観音寺へと向かいました。
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東向観音寺は菅原道真が太宰府で自ら刻んだ観音像をご本尊としています。神道である北野天満宮の中に仏教寺院があることに彼は極めて驚いていました。彼の驚きの原因は「神道と仏教がよく共存できたなぁ」ということのようでした。明治時代より以前は仏教と神道は厳密な区別もなく、ふんわりとした形で一緒に信仰されており、今のように仏教と神道が大きく区別されることの方が新しい考え方なのだということも伝えました。
私達が当然のことと思っている日本の文化や習俗は世界の人々にかなりの驚きをもって受け止められているのだということが今回よくわかりました。いろいろな人とボーダレスに交流していくことの大切さを感じました。

合掌の心

大変暑くなりました。いかがお過ごしでしょうか?
手を合わせることは感謝の気持ちとして大変大事なことだと思います。食事の前後や人にお礼をいう時など、よく手を合わせることがあります。
こういった手を合わせることも、幼いころの教育や習慣が大切なのだと思います。先立ってお世話になった信貴山朝護孫子寺の成福院様では幼稚園児のお泊り保育で貫主様が「右手が”がっ”、左手が”しょう”、合わせて”ポン”、いただきます」と教えておられることが分かりました。
【ご指導の様子】
ご指導の様子はこちら
【毘沙門天王様】
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多くの人が無意識にしていることですが、こうやって教えてもらえると子供にとっては有難いなぁ、と感じました。「三つ子の魂百まで」と言いますが、幼い頃に良い教えを受けることの大切さがわかった気がします。

般若心経奉讃文

祇園祭も山鉾巡行が終わり、四条寺町に御祭神様が御旅なさっておられます。
六月に毎年比叡山の回峰行者の方々が「京都切廻り」をなさいます。京都の神仏を巡り拝む行(ぎょう)です。千日回峰行の場合には「京都大廻り」といって、2日掛けて廻られますが、例年は1日で廻るものを2週連続でなさいます。
その道中では寺院だけでなく、神社でもお勤めをされます。八坂神社や北野天満宮も含まれます。多くの場合、般若心経をお唱えされます。「何だか不思議だなぁ」と思ってはいましたが、あまり深く考えては居りませんでした。
【京都大廻りの様子】
先日、信貴山にお参りした際に、『信貴山毘沙門天王勤行式』という経本を買い求め、電車の中などでパラパラと読んでおりました。そこで初めて「般若心経奉讃文」というものを知りました。真言宗でよく唱えられるものとのことです。
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抑も般若心経と申す御経は、文字の数僅か二百六十余文字なれど釈迦御一代の経即ち天台­経、毘慮舎那経、阿含経、華厳経、方等、般若、法華経等一切七千余巻より選み出された­る御経なれば、神前にては寶の御経、佛前にては花の御経、況して家の為、人の為には祈­祷の御経なれば声高々と読み上ぐれば上は梵天・帝釈・四大天王・日本国中大小神祇・諸天善­神・諸大眷属に至る迄、哀愍納受して我らの所願を成就せしめ給うべし。謹んで読誦し奉­る。
目から鱗でした。「神前にては寶の御経、佛前にては花の御経」とは知りませんでした。昔は御朱印(納経印)を頂く際に、寺院でも神社でも般若心経を写経して納めていたと聞いたことがありましたが、そうか般若心経とは神仏双方で用いることのできる万能なお経なのだと分かりました。
先立って、高僧の方と共に般若心経をお唱えする機会がありましたが、深く考えず読誦してしまい何とも申し訳なかったなぁ、と反省いたしました。仏様の教えを色々な所から学べるのはありがたいことです。神仏に感謝すると同時に列祖への感謝も忘れずに居たいと思いました。

「まことのこころ」を

雨が降ったり、曇ったりとなかなかスッキリしない天候が続きます。ただ、だんだんと暑くなってきました。
夏に涼むための団扇を毎年円覚寺様から頂きます。そこには青松軒老大師様揮毫の絵とお言葉が印刷されております。
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今年の団扇は「月 天にあり」でした。布袋尊が月を指し示す絵が添えられています。
これは「指月の譬(たとえ)」という禅の教えが出典だと思います。「仏の教えとは何ですか?」「人が生きる意味とは?」などといった大きな命題を問おた時、賢人が月を指さした、という逸話があります。普通の人は賢人の「指」を見てしまうけれども、大切なのは指し示した「月」なのだよ、ということを教えてくれています。
お経やお説教などに触れ、また立派な高僧と接するなど、普通の人はお経や高僧に対しての信奉を深めます。しかし、大事なのはそういったお経や高僧が説く「仏の教え」なのだ、そこを忘れてはならない、ということを教えてくれているのです。
一昨年の団扇には「見えなくとも そなえたい まことのこころを」とありました。世の中の真理など、肝心な部分である「まことのこころ」をしっかりと捉え直すこと。この夏に月を眺めるたびに「まことのこころ」の肝要さを意識したいと思った贈り物でした。

信貴山毘沙門天王御出現大祭

七月に入ってやっと梅雨らしい天候になりました。
私は信貴山毘沙門天王御出現大祭にお参りするために7月3日に信貴山朝護孫子寺へ行きました。
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聖徳太子の戦勝祈願の折に毘沙門天王が寅年、寅日、寅の刻にご出現されたことに因んで、毎年7月3日の寅の刻(午前3時~午前5時)に行われています。
午前3時の法要ということで宿坊に泊めていただきました。
【今回お世話になった成福院さま】
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毘沙門天王さまのお誕生日のお祝いといったところでしょうか?午後8時ごろから朝護孫子寺の3つの塔頭、そして本山を挙げて護摩供養や大般若祈祷など様々な法要が執り行われていました。
【開運橋から最初にくぐる鳥居】
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【成福院さまにつながる参道】
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【日が暮れてから本堂に繋がる参道】
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【本堂で年に一度開扉される御本尊様】
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【午前0時ごろに千手院さまから本堂へのお練り】
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私は結局一晩中、信貴山のいろいろな所へ行って、様々な法要を垣間見ました。夜通しの法要というのは初体験でしたが、毘沙門天王様のお誕生日を盛大にお祝いしているようで楽しく過ごしました。
勝ち運がつくなどいろいろなご利益があるそうですが、ご利益云々より個人的には開扉されたご本尊様を眼前で拝することができたことがありがたいと思いました。毘沙門天王功徳経にある御姿を為さっておられて、菩薩さまや如来さまとは違った力強い印象を受けました。
御本尊様を拝して、個人的には安田念珠店のお蔭を以ていろいろなお寺様にお参りできることに感謝の念を持った一晩でした。

「祈る」ということ

「あなたは熱心に仏様を拝んでいますが、何を求めているのですか?」と、ある人に尋ねられました。”熱心に”というのはお愛想だと思いますが、確かに「祈る」という行為をすることは多いです。
私は宗教に関しては結構冷めた考えを持っています。聖書や神話、お経などは好きですし、読む機会は多いです。ただ、所謂「物語」の一種として聖典を捉えています。科学的に神仏の存在を証明しなさいと言われてもなかなか難しいですし、恐らく誰にもできないでしょう。私は、神仏の存在を証明するより人それぞれの「祈り」という行為こそが大切だと思っています。
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神仏とは「列祖の祈りの総体」として出来上がったものだと捉えています。「家族が健康でありますように!」や「地震での被害からの苦しみを救って下さい!」など人々が経験してきた苦しみから生まれる「祈り」こそが大切なものなのだと考えています。立派な寺社や教会、仏像などもそうした「祈りの結晶」として私たちの目に見えているものだと思うのです。
弊社が「念珠」という呼び名にこだわるのも「祈り」という人々の「念」が詰まった商品が念珠だと捉えているからなのです。皆が笑顔で居られるように「祈り」を続けることこそ大切なことであると私は考えています。

教わるということ~経本を頂戴して~

知り合いの方から抜き刷りやご著書をご恵贈頂くことが私には時々あります。勉強になりますし、人の文章を読んで、自分の文章に活かそうとすることもあります。
先日ご紹介した唐招提寺の開山忌にお参りした際に初めてお目に掛かった法相宗の僧侶の方が今週、私に経本をご恵贈下さいました。個人的には、天台宗と真言宗の平安仏教と、浄土宗や臨済宗などの鎌倉仏教などは大体どういった経典を読誦するのか、法要に参列して見聞きしたことがありますので、ある程度は知っているつもりでいました。ただ、奈良の南都仏教に関しては全く知らず、先日唐招提寺で『梵網経』に初めて接して、「戒律」について説かれたお経があるのだと感じ入りました。今回頂戴したのは『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)』というお経でした。
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ネット情報によると、歌手の宇多田ヒカルさんはこの『唯識三十頌』の写経がお気に入りとのことでした。ということで私も写経をしてみました。六百字程度でしたので、便せん五枚に約一時間ほどで書写できました。
お経の内容としては「唯識」について三十の頌(漢詩の一句の単位)でまとめられていました。「唯識」というのは、ものすごく簡単に言えば、「この世に存在する物は私たちの識(認識)によって表象(形作られる)されるものであり、識(認識)以外に事物は存在しない。」ということです。
このお経の要点は「円成実性(えんじょうじっしょう)」つまり「あるがままの完全なる境地に入っていくこと」なのだと思います。世の移ろいに流されてはならず、しっかりとした自己の認識を持たねばならない、ということを教えてくれているのだと思います。
難しい内容ではありますが、南都仏教はこうした内容を教学しておられるのだなぁ、と大変勉強になりました。人にいろいろなことを教わるのは大変にありがたいことだと感じた一週間でした。

観音様を念じながら

ツツジが綺麗な季節ですね。
数年前から弊社のエレベーターホールに観音様の絵を飾っております。これは嘗てご紹介したことをきっかけに私が掛けております。千真工藝謹製のカレンダーに掲載されていたものですので、勿論印刷されたものです。
この観音様の画賛は個人的に気に入っていて、床の間に掛けても良いなぁと思っていました。いろいろ考えた結果、以前に青松軒老大師様より色紙を頂戴致しておりましたので、お写経と「観音様を念じましょう」とのお言葉を併せて1幅の掛軸に表装いたしました。
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私は、東日本大震災の折の津波で本堂が流されてしまったお寺にこちらの色紙が届けられた逸話などを見聞きするたびに、苦しむ人を救って欲しいという気持ちをこの観音様に向けます。(気仙沼のお寺円覚寺からも情報発信されています。)
弊社は今後も日々観音様を念じながら、皆様の為に尽くしていきたいと考えております。

唐招提寺 開山忌へお参り

今週は歴代祖師の御命日が続いた一週間でした。6月4日は日本天台宗の祖、伝教大師・最澄さまの御命日、6月5日は日本臨済宗の祖、千光国師・栄西さまの御命日、6月6日は日本に戒律の真を伝えた過海大師・鑑真大和上の御命日でした。
私は6月6日に唐招提寺へお参りしました。
鑑真大和上の遺徳をしのぶ舎利会では、唐招提寺の長老様と泉涌寺の長老様が向き合って問答をなさいます。泉涌寺の開山さまが月輪(がつりん)大師・俊芿(しゅんじょう)さまで、月輪大師様が日本に伝えた戒律が日本の二大律となってきたことの名残りです。唐招提寺の「南都律」と泉涌寺の「北京律」の2つが並立して、今日まで伝わっています。(西大寺の真言律宗については勉強不足でどう位置づけるのか分かりません。)
梵網経を式衆の方々と一緒にお唱えして、鑑真大和上にお焼香をしました。
律というと「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」ということのように思いがちですし、お経にもそのように書いてあります。ただ現在、律を理解する時には「自律」という言葉が一番しっくりくるのだと思っています。まずは自分の中できちんとした基準を作り、その基準を守れるように努力する。これが在家の私たちの行える律なのだと思います。
戒律を伝えるために何度も難波しながら日本へ渡ってこられた鑑真大和上の精神力や胆力に思いを馳せたお参りでした。

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