キリスト教 | 春は花

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教えを繋ぐ

人間は多くの人に「出逢い」、教えを受けることで成長するのだと思います。人との「出逢い」は面会するだけではなく、時代を超えて、場所を超えて、手紙や書物を通してでも「出逢う」ことができます。


弊社は多くのお寺様とのお付き合いをさせて頂いております。そしてお寺様にはそれぞれに機関紙があります。いろいろなお寺様のいろいろな機関紙を日々拝読し、現在の仏教の教えや高僧の方のお話などを私は知り得ています。
そんな中で、昨年9月に妙法院門跡(三十三間堂本坊)様の発行される機関紙『蓮華』93号に接しました。『蓮華』93号には昨年9月に御門主を退任された菅原信海大僧正様揮毫の色紙「無」が読者プレゼントとして掲載されていました。私はその読者プレゼントに応募し、運良く当選したのです。
「無」という字は、仏教的にみると「人間の根源」を表すものと捉えられることが多いです。ただ、漢字に馴染みのない国の方の中にはこの「無」という字のくずし字を十字架に捉える方も居られるのです。
「無」を十字架に捉えるという話を聞いてから、私はこの書を大切にしなければと思い、掛軸に表具をする依頼をしました。
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先日、その表具が出来上がってきました。(上の画像をご覧ください。)
揮毫して下さった菅原信海大僧正様とは今年の2月に幽明境を異にすることとなってしまい、直接ご覧いただくことは叶いませんでした。
ですが、この「無」という字、仏教者の書であってもキリスト教を信仰する人にも理解して頂ける書であると感じています。
心のお広い大僧正様のお人柄を感じさせる、宗教の別を超えた立派なものとなったと私は個人的に喜んでおります。
人と人との「出逢い」はこのようにして後世の人々に教えを伝えていくのだなぁ、と感じた1週間でした。

「東洋」と「西洋」

ここ数か月、季節の行事などに沿った話題でお話を進めてきました。話題に何の脈絡もないように感じておられた方も多いのではないでしょうか?
実は、「自然崇拝」について洋の東西による違いを考えてみようという意図で進めていました。




私の興味関心は、「『東洋』と『西洋』の違い」です。世界は「東洋」と「西洋」だけではなく、イスラーム圏などもあります。ただ、現在の国際秩序形成の中心であった「西洋」と日本が属する「東洋」の違いを理解することは肝心なことだと考えています。
これまでお話してきた通り、日本では自然崇拝を基礎とした神道と大陸から渡ってきた仏教とが習合し、文化の形成基盤となってきました。一方の「西洋」は、キリスト教を基礎として文化が形成されてきました。「西洋」では人間や自然も含めた万物を神が創造したと考えられてきました。ですから、自然に神は宿らず、人間の文化形成に自然崇拝の要素が少ないと言えます。
文化形成の面で「東洋」と「西洋」にとても大きな差が生まれたのは、こうした「自然への接し方」に違いがあったからだと私は考えています。
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「西洋」の文化形成の基盤はヘレニズムヘブライズムです。では、日本に限らず「東洋」の基礎となっているものは何でしょうか?私は、自然崇拝と仏教なのではないか、と考えています。
「手を合わせる」という祈りの所作は洋の東西によって違いがありません。「東洋」と「西洋」の文化形成基盤の差が、もしかすると念珠の発展過程に何か関係があるやもしれない。私はそうした関心を持ち続けています。
今日は少し難しいお話でしたが、私の興味関心についてお話を致しました。


(「東洋」、「西洋」と確固付きで表記しているのは、①中東などのイスラーム圏を「西洋」に含めていないこと〔イスラームもヘブライズムの流れを汲むので〕、②一般的な東洋にも東南アジアにイスラーム圏があること、の2点を考慮してのことです。)

ロシアの宗教

「日本の隣国」というと、皆さんはどの国を思い浮かべるでしょうか?中国や韓国を挙げる方が大半なのではないかと予想します。
実は中国と韓国以外に隣国は沢山あります。その中の1つがロシア連邦です。
ロシアというとどのようなイメージでしょうか?ウォッカ、クレムリン、ピロシキ、マトリョーシカなど思い浮かべるものはいろいろあります。今日はそんなロシアの宗教のお話です。


ロシアは国土が広く、モスクワなどのヨーロッパ地域とシベリアなどのアジア地域はかなり離れています。ロシアの国土の東西は約1万Kⅿ離れているそうです。
そんなロシアも10世紀にはキエフ(現在のウクライナの首都)を中心とする小さな国でした。そして、988年にウラジーミル1世によってキリスト教が導入されました。ウラジーミル1世がキリスト教の洗礼を受けたのはクリミア半島のケルソンでのことです。ロシアにおけるキリスト教は、ロシア正教といわれる正教会の一宗派です。
八端十字架】(ロシア正教会で用いられる十字架です。)

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日本におけるキリスト教はカトリックやプロテスタントがほとんどで、ロシア正教やギリシア正教などと言っても何が違うのか、あまりよく分かりません。
実は、ロシアにおけるキリスト教は、EUに加盟している国々に代表される所謂「ヨーロッパ」のキリスト教とは若干趣が異なります。
キリスト教導入前のキエフ大公国では自然崇拝が為されていました。具体的には、大自然との深いかかわりの中で、母なる大地のすばらしさ、親子のぬくもり、祖先の霊を崇める、といったものでした。どこか日本の「八百万神」と似通った部分があります。
10世紀当時の政治状況や「文明国」としてキエフ大公国が認められるためにキリスト教の導入が必要であった、という経緯があります。ただ、結果として導入されたキリスト教がロシアの中でそれまでの土着の神々と共存するために変容し、変容させていったのは事実です。その過程が私個人としては非常に興味深く感じました。
前述した土着の神々は、キリスト教における「唯一の神」と「人間」とをつなぐ媒介(仲介者)として変容していきます。例えば、雷神ペルーンは『旧約聖書』に登場する預言者エリアに変わったかのように投影されることがあるそうです。
ロシアの土着宗教(自然崇拝)とキリスト教の関係は、キリスト教を「主」として、そこに自然崇拝の神々の中から当てはまる神だけを当て嵌める形式です。日本の神道と仏教が融合した習合的ではありません。
2014年に生じたロシアによるクリミア併合という問題があります。ロシアにとってクリミア半島はウラジーミル1世の洗礼地ということあり、国民にとっては非常に重要な土地であることが分かりました。また、ソ連という時代を経験したロシアにおいて宗教が無くならなかった理由も少しながら分かりました。


日本に居ると、欧米目線で世界を捉えてしまいがちですが、「隣国」であるロシアのことも学んでみると面白い部分があると感じました。

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ロシア精神の源――よみがえる「聖なるロシア」

著者:高橋保行 
出版社:中央公論新社
発売日: 1989/12/10
メディア: 新書

 

”知恵”と向き合う

今日も暑さの中で「風」を感じました。6月の「風」は、「茶」を啜りながら感じる「松風」です。これは「萬壑松風供一啜 (ばんがくのしょうふう いっせつにきょうす)」が出典の「風」です。
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(上の画像の書は、愛媛宇和島の玉鳳山大乗寺の露香室・河野徹山老師様ご揮毫の書です。)


本日は『聖書』のお話をしようと思います。
『旧約聖書』の「創世記」という部分に出てくるアダムとエヴァがエデンの園という楽園から追放される神話をご存知の方は多いと思います。アダムとエヴァは神に楽園から追放されてしまいます。追放された理由は、アダムとエヴァが楽園に生えていた“知恵”の木の実を食べてしまったというものです。“知恵”が罪と捉えられているのです!
『旧約聖書』では、人間はすべてこのアダムとエヴァの子孫ですから、人間は皆この罪を背負って生きている、ということとなります。人を殺したり、物を盗んだりすることで負う罪は自分自身が犯した罪ですが、“知恵”の木の実を食べた罪は自分自身で犯した罪ではないので「原罪」と呼ばれています。人間である以上逃れることのできない罪です。
この神話の世界を離れて、現実の私たちに当てはめて考えてみましょう。何かに思い悩んでしまい、「もうこんなことを考えるのはやめよう!」と思っても、どうしてもそのことばかりを考えてしまう。皆様もこういった経験をお持ちではないでしょうか?私は1つのことをクヨクヨ思い悩むことが多く、自分で自分が嫌になってしまうことがあります。
そんな時に、小鳥のさえずりや蝶や動物などが自由にしている様子を目にすると、うらやましく感じることがあります。思い悩んだりしない動物の方が幸せなのではないか、と考えてしまうのです。こう考えると、やはり“知恵”は罪なのだと思います。
最近は科学技術の発達で便利なものがたくさん出てきています。しかし同時に、それに伴う問題もたくさん出てきています。一昔前、“知恵”は高貴なものでしたが、今では“知恵”が本当に高貴なものなのか疑問を持たれています。
「風」などの自然を感じながら「茶」を啜る。このような、自然と一体となることが私たちにとって今一度大切なのことなのではないかなぁ、とふと感じた一週間でした。

阪神淡路大震災の日に

本日は阪神淡路大震災から22年の日です。
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昨年2016年の熊本地震、2011年の東日本大震災、2004年の新潟県中越地震、、、20年以内に限っても大地震は数多く発生しています。
地震を予知できるようになれば被害も小さくできるかもしれません。ただ、先日の大雪も降ることが事前に分かっていましたけれど、多少の混乱がありました。ですから同じように、地震を予知できたとしてもやはり被害をゼロにすることは難しいのかもしれません。(もちろん、気象や地震による被害を減らそうと日夜研究されて居られる方々がおいでになり、そうした方々のご尽力で少しでも天災の被害を小さくできればと私は願っております。)
こう考えると、やはり「祈る」しかないのでしょうか?「祈り」は効果が見えにくいものです。祈ったからといって、即座に願いが叶うとは限りません。では、どうすれば良いのでしょうか?
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この問いに対する答えは分かりません。それでも私は、普段から祈ることが大切だと考えています。祈りを始めるきっかけは人それぞれですが、毎日手を合わせる習慣を作ることが、大変な状況の時に生きている私達を支えてくれるのではないでしょうか?
阪神淡路大震災で亡くなられた大勢の御霊に手を合わしつつ、生きている私達にとっては手を合わせる習慣が大切なのではないか、私はそう思うのです。

日本におけるクリスマス

今週末はクリスマスです。クリスマスはキリスト教においてメシア(救世主)であるイエスが降誕(誕生)した日です。クリスマス(Christmas)という単語も分解すると「キリストの〔Christ〕」と「ミサ〔Mass〕(宗教儀式)」という意味の言葉となります。イエスの降誕が最初のミサで、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』で有名な「最後の晩餐」もミサの1つです。
日本では、松任谷由実さんの『恋人がサンタクロース』の影響が大きく、「クリスマス=恋人と過ごす日」という観念が定着しています。本来の意味と現実とが少し離れたものとなっているように思いがちですが、私は日本におけるクリスマスの意味合いの変化は実は共通点があるように考えています。

“恋人がサンタクロース” – 松任谷由実

キリスト教を信仰していない人にとって、イエスは歴史上の人物であり、信仰の対象ではありませんよね。もちろん会ったこともないです(笑)し、感情移入できる対象でもありません。だからこそ、日本におけるクリスマスでは、一番身近な「恋人」を大切にすることに重きを置いているのではないでしょうか?この「恋人」という部分を身近な人、例えば「親」や「家族」に置き換えても差し支えありません。「隣人愛」を説くキリスト教の教えを、最も身近な「恋人」に実践する。日本でのクリスマスは、実はキリスト教の教えを忠実に守っているのかもしれません。(「隣人愛」とは「神様があなたを愛しているのだから、あなたも同じように隣の人を愛しなさい」という意味です。)
日本でのクリスマスは、日本社会で長年培われてきた「孝行」や「思いやり」という考え方によって日本に適した形に変容したのかもしれません。

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