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お念珠のメンテナンス

寒い日があったり、暖かい日があったりと、正に三寒四温の季節です。
昨日はお彼岸の入りでした。お墓参りに行かれた方も多く居られるのではないでしょうか?もしかすると、引き出しに仕舞っておられたお念珠を久しぶりに出して、お墓参りに行かれる方も居られるかもしれません。
私はほとんど常にお念珠を携帯しています。祖父が私に授けてくれたお念珠で、私は「お守り」だと思って、常に持っています。
お念珠は糸で珠を繋いでいます。ですので、勿論のことですが時間が経てば糸が緩んできます。
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上の画像の念珠は私の念珠です。糸を締め直してから約半年ほど(5ケ月)経過したもので、主珠(木の材の珠)1個分くらいの緩みが出ています。このくらいの緩みが出てきたらそろそろ糸の締め直しの時期だと考えて頂いて構いません。
締め直したものが、下の画像の念珠です。
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石の材の珠を使ったお念珠は、多くの場合石と糸が接する部分が時間と共に擦り減っていきます。そして、どうしても糸が切れてしまうのです。1枚目の画像のように、主珠1個分の緩みが出た段階で弊社へお持ちいただければ、突然糸が切れた際に生じる珠の紛失などがなく、皆様の大切なお念珠をいつまでも使い続けて頂けます。
どんなお念珠でも、皆様各自の「念」の入った大切なものですから、同じものを長く使い続けて頂きたい―――この私たちの願いは、定期的な糸の締め直しによって実現することです。
お彼岸やお盆など、お念珠を使われる機会に、ご自身のお念珠のメンテナンスを考えて頂けると幸いに思います。

”外”に伝える

先日、アメリカからやって来た友人と話していて、日本の文化などを説明するのに苦労しました。「佗とは何か?」などと聞かれて、『山上宗二記』や武野紹鷗の『佗の文』のお話をしましたが、よくわかってはもらえませんでした。私の語学的な問題もあったでしょうが、日本語であっても十分に説明できるのか分かりません。
京都には外国人観光客の方が多くお越しになります。日本にお越しになる方は、それだけで日本に興味を持っておられることが分かります。「日本らしさを求めて京都を散策されているのだろうなぁ。」と傍から眺めて感じております。
そんな中、最近では外国人向けの茶道体験の教室が多く存在しているようです。私も1度だけ顔を出したことがありますが、日本人よりも外国の方々の方が相当「日本らしさ」を体現しておられるように感じました。
こうした需要の高まりからか、外国人向けの茶道英会話文集が出版されました。見開きの右側には日本語、左側には英語といった体裁になっています。会話文なので、読み易く、茶室へ実際に行ったような感覚になる本でした。
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日本に関しての注目が高まっている中で、私たち日本人が「日本」について十分に理解し発信できる能力を身に付けていくことが重要なことなのだと感じた1週間でした。

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外国人に茶道を伝える英会話例文集

著者:高橋絹子・新崎隆子 
出版社:淡交社
発売日: 2018/03/10
メディア: 単行本(ソフトカバー)
参考URL:外国人に茶道を伝える英会話例文集
(淡交社)

 

お念珠とその袋

3月になりました。陽気が増してきましたね。


皆さんはいつも服を着ておられるかと思います。洋服が大半でしょうが、和服をお召しになる方も居られるでしょう。洋服であれ和服であれ、服はどんな人でも必ず着ている物です。
そういう前提で次のお話を読んでみたいと思います。
【原文】
僧、洞山に問う、如何なるか是れ佛、山云く、麻三斤まさんぎん
【現代語訳】
ある僧侶が洞山守初とうざんしゅしょ禅師に問いました。
「仏とは何ですか?」
洞山は答えました。
「麻が三斤」と。
(『碧巌録』第12則 本則より)
「仏とは何か」と問われて、なぜ“麻”なのか、なぜ“三”斤なのか。疑問に思う点は多いです。
いやいや、言葉の字面にとらわれてはいけません。麻は十斤でも百斤でも良いのです。または、「麻」とは麻糸のことではなく、胡麻のことです。――といった説明がされることがあります。
これに対して中国文学の専門家であった入矢義高先生は、言葉の本来の意味から考察し、「麻三斤」とは僧衣一着分を作ることのできる材料の単位であることを解き明かされました。そして、この問答は
問:仏とは何か。
答:衣一着分。
ということになると説明されています。
(入矢義高『増補 自己と超越』(岩波現代文庫、2012年)88〜94頁)
ここからどのように考えるかは各人次第です。(そこが一番難しいのですが。。。)
最も身近な物である服こそが仏である。身につけている服と、文字通り「一心同体」となれているのか!?—―このお話はこうしたことを言っているように私は考えています。
【お念珠とお念珠袋】
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以前このブログで、お念珠がお守りになる旨のお話を致しました。神社などで授与されるお守りは祈祷されたお札が布製の袋に入っているのが一般的です。大事なご神体を保護するためにそうした工夫が為されています。
お念珠も実は同じなのです。お念珠袋はお守りである皆様それぞれのお念珠を保護する役割があるのです。
そして、上記のお話から考えれば、お念珠とお念珠袋は「一心同体」であると思うのです。お念珠そのものを大事にして頂きたいのが弊社の何よりの願いです。お念珠を大切にして頂くためには皆様が服を着るのと同じように、お念珠を保護するものが大事なのだと感じます。
念珠と身近に接している者として、どんなお念珠であっても大切にして頂きたい。本日はこうした私の願いをお話しさせて頂きました。

愛宕神社参拝

梅の花が咲いていました。暖かくなって、春の訪れを感じる日々です。
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さて、節分は過ぎてしまいましたが、先日私は愛宕神社に参拝いたしました。
私は毎年、2月と8月に参拝しています。今年の節分の頃は最強寒波が日本列島に襲来していたので、少し暖かくなった時期を見計らって参拝しました。参拝した当日の京都市内の気温は5℃でした。それでもやはり山頂は吹雪いていました。
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【本殿へ続く石段】
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【鳥居】
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【本殿の入り口】
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【本殿】
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昨年はおかげさまで大きな火の厄に遭うことはありませんでした。昨年のご加護を感謝し、本年の新しいお札を頂戴いたしました。
(昨年の参拝の様子は「節分のお詣り(その1)」をご覧ください。)
今年も1年、火の厄がないことを願っております。

仏教を身近に

梅の花がちらほらと咲く季節になってきました。底冷えする寒さが少しばかり落ち着いたようにも感じます。


今週は色々とイベントがある週でした。2月14日はバレンタインデー、2月15日は涅槃会(お釈迦様が亡くなった日)、そして本日2月16日は日蓮上人の誕生日です。その中でも今日は涅槃会のお話です。
近年注目される絵師として伊藤若冲という人が居ます。彼は1716年に生まれ、1800年に84歳でこの世を去りました。現代の私たちは学校教育で西洋画を学びますので、伊藤若冲の描く色彩豊かな絵を違和感なく受け入れることができますが、伊藤若冲の生きていた時代に若冲の絵は革新的でした。というのも、墨の濃淡の使い分けや細部までの細かな描写はそれまでの日本画の中心であった水墨画や狩野派絵画からは発展的なものだったからです。そしてもう1つ、若冲の絵の特徴は目の前の物を写実することに加えて「想像と創造」を絵に取り込んだことです。
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上の絵は若冲が描いた「果蔬かそ涅槃図」、通称「野菜涅槃図」と呼ばれる絵です。(上の画像は絵葉書として販売されているものの写真を載せています。)もともとの所蔵は誓願寺でしたが、現在は京都国立博物館に所蔵されています。昨日の涅槃会の際、この「果蔬涅槃図」の複製画が誓願寺の本堂に掲げられていました。(誓願寺に里帰りした旨が書かれた新聞記事はこちら。)
涅槃図と言えば、お釈迦様が横になっている周りを弟子たちが見守っている画が一般的ですが、若冲の「果蔬涅槃図」ではお釈迦様が大根に、弟子たちが様々な野菜や果物になっています。これが若冲特有の「想像と創造」なのです。
若冲は錦市場の青物問屋の生まれなので、こうした野菜や果物の涅槃図を描いたのだと予想されます。(若冲に関する錦市場の解説はこちら。)この「果蔬涅槃図」には多くの美術史研究者が様々な解釈を加えてきました。例えば、大根と仏教思想が深いかかわりを持つなどの解釈です。様々な解釈はどれも首肯できるものですが、何よりこの絵を見た人それぞれがどう思うのか、が大事だと私は考えています。
恐らく、若冲がこの絵を描いた当時は「お釈迦様への冒涜だ」という否定的な意見もあったことでしょう。ただ、現代以上に信仰心が強く、それでいて仏教の教義を難しいと感じる信徒が多かった時代、身近な野菜や果物でお釈迦様の最期の光景を描き出した若冲は、多くの”普通”の人々に仏教を身近に感じてほしかったのだと、私は予想します。この絵は、子供が観ても「あの野菜は何ていう野菜だろう」という新たな発見を得ると同時に、お釈迦様への思慕の念を抱くことも出来ます。私は若冲の「想像と創造」は老若男女問わず多くの人に仏教を身近に感じてもらうための方途だったと考えています。
若冲の絵は、綺麗や美しいといっただけでなく、仏教への関心を高めるのに役立つものだと、昨日の涅槃会を通じて感じました。

念珠の形(時宗)

立春を過ぎたのに、とても寒い日が続きます。皆様は体調を崩されたりはしておられませんでしょうか?
弊社が店を構えるのは「“寺町”六角」と呼ばれます。「碁盤の目」として知られる、人工的に整備された京都特有の呼び方で、南北の通りの名前と東西の通りの名前を交差して位置を指し示します。つまり、「寺町通(南北の通り)」と「六角通(東西の通り)」の交差した位置にありますよ、ということを「寺町六角」と言えば通じるのです。京都の「洛中」と呼ばれる地域は、どんな細い道であっても通りに名前が付いています。「○○X丁目」という地名で呼称される地域は明治以降の都市計画で整備された場所で、こうした地名の呼び方でも都市整備の時期が分かるようで面白く感じます。
さて、この「寺町通」というのは、豊臣秀吉の京都整備に伴って成立した通りです。安土桃山時代には、この地域は「洛中」の東の端であり、また鴨川の河畔で地質としても良質の土地とは言えなかった場所でした。そこに豊臣秀吉は京都各地の大きな勢力を持った寺院を集めていきました。本能寺(法華宗)、誓願寺(浄土宗)といった大寺院がこの「寺町通」に移されました。
寺町通と、八坂神社の参道である四条通の交差するあたりに、かつては「四条道場」と呼ばれた金蓮寺という時宗の寺院がありました。現在はその塔頭の1つの「染殿院」が残されているだけですが、かつては巨大な寺域を誇る京都の念仏道場の中心でした。染殿院は、付近を歩いてみると商店街の中に奥まって佇んでおり、見落としてしまいそうな寺院ですが、とても歴史のある時宗の寺院です。
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時宗という宗派は、一遍上人によって開かれた宗派です。ひたすらに念仏を唱えること、そして「賦算」と呼ばれる念仏札をいろいろなところに貼ることが極楽往生のために必要なことと説かれました。一遍上人が1284年から約2年間京都での活動の拠点とされた場所が、この金蓮寺の起源です。(金蓮寺は現在、京都の北西部、鷹峯にあります。)
時宗と言うと「踊り念仏」が有名です。太鼓や鐘の音に合わせて「南無阿弥陀仏」と唱える光景は、一遍上人のお生まれになった伊予の阿波踊りを想起させます。踊り念仏を見ていると、「難しいことを云々言わぬとも、兎に角楽しく「南無阿弥陀仏」と唱えましょう!」と一遍上人が仰っているように感じます。
念仏を大事になさる時宗では多くの方が浄土宗と同じく日課念珠をお持ちになります。(日課念珠に関してはこちらをご覧ください。)念仏を多く唱えることに執心なさる一遍上人の御教えを体現しているように思います。時宗が京都でも、そして全国で広く広まったのは、何より一遍上人のお話が分かり易かったのが要因だと思います。仏教詩人の坂村真民先生が一遍上人を尊敬されて讃歌を出されているのも、そのためだと思います。
京都にはいろいろな宗派の寺院がありますが、なるほどこんなところに御教えが息づいているのか、と感じ入った一時でした。

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一遍上人語録 捨て果てて

著者:坂村真民 
出版社:大蔵出版
発売日: 1994/10/01
メディア: 単行本(ハードカバー)

 

犬が悟れるのか?

2月に入りました。新年を迎えたのはつい先日だと思っていましたが、既に1か月が経過してしまいました。
今年は戌年です。町で散歩している犬をよく見かけますが、いろいろな品種の犬がいて、新たな発見をすることがあります。犬はかわいらしい生き物ですが、さて、私たち人間と同じく、「佛」になることが可能なのでしょうか?
禅宗の語録に『無門関』というものがあります。この第一則に「狗子仏性(くすぶっしょう)」というお話が載っています。お話の内容は、ある僧が「犬にも仏性があるでしょうか?」と尋ねて、趙州和尚が「無」と答えた、という問答に続くものです。
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お釈迦さまは一切の衆生は皆仏性を持つ、と仰いました。先の問いに「犬には仏性はない。」と答えると、お釈迦様が違うことをおっしゃったのか、ということになります。では、「犬に仏性はあります。」と答えるとすれば、趙州和尚が「無」と答えたのは何故なのか、ということになります。
趙州和尚が答えた「無」というのは、恐らく「有無」の「無」ではないのだと思います。大きいや小さい、高いや低い、広いや狭いといった人間が主観を持って判断する基準などは、後から生み出されたものに過ぎず、そんなものに囚われていてはいけない。犬に仏性があるかないか、というのも人間の主観的判断であって、趙州和尚の言った「無」というのはそうした人間の価値基準を超えたものなのではないか――私はそんな風に考えています。すなわち、人間は自分からの目線ではなく、風や樹木など自然のありとあらゆるものからの視点を踏まえてこの世界を捉えなければならないのではないか、ということではないかと思うのです。
禅宗では初心者が拈提する(=考える)公案(=問題)と言われていますが、有名な鈴木大拙博士もこの「狗子仏性」の公案に取り組んだと言われ、この公案を拈提するだけでも悟りに一歩近づけるのです。
思いやる気持ちや孝行心など、どんな場合でも忘れずに持っていたい気持ちだと、私はこの公案を考えながらいつも心に念じております。本日は干支から関連したお話を致しました。

「こころ」と「おこない」の往復

お店などに行った際、店内でお花が活けてあることがあります。野に咲く花とは違い、季節や花瓶、そしてお店の雰囲気などに併せてお花が活けられています。そういうお花を見た時、何だか落ち着く気がします。
私はお花を活ける機会を持った時、ただお花を花瓶に差しただけで上手くできたように思えないことがよくあります。お花を活けるということの難しさを痛感します。
日本ではお花を活けることが「華道」という藝術体系として確立されています。最近では野村萬斎さんの主演で映画化された『花戦さ』で華道を身近に感じられた方もいらっしゃるかもしれません。日本において「道」が付くものは華道の他に剣道、柔道、茶道、書道など様々あります。この「道」が付くものをどう考え、どう接すれば良いのか。これはとても大きな問題です。
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能楽を大成した世阿弥は『風姿花伝』という書物を遺しています。その中で次のようなことを語っています。すなわち、「芸」を通して、心を深め高めていき、また、深められ高められた「こころ」で以って「芸」を行っていくのです。この「芸」から「こころ」へを「向去(こうこ)」と、「心」から「芸」へを「却来(きゃらい)」と言っています。
つまり、お花を活けるという行為を通じて自らの心を深め、その高めた「こころ」で花を観賞する。そしてまた更に高めた「こころ」を以ってお花を活ける、という繰り返しを行うことで自分自身を高めていく、ということです。
こうした考えを知ると、活けられたお花は活けた人の「こころ」が現れたものと捉えることができます。そして、ふと目にしたお花を美しいと感じることでその「こころ」が高められていき、自らの活けるお花をより良いものとしていくのです。
お花を活ける、手を合わせる、といった何気ないことも「自分でおこなうこと」と「他の人がしている行為を見ること」の往復で徐々に高められていくのだと私は考えています。「こころ」と「おこない」の往復を通じて自らを高めていくことは難しいですが、大切なことだと感じます。先週ご紹介した書や今回のお花など、その作者の人柄を思いながら鑑賞していくことは重要なのだと感じました。

書の力

ブログの更新、滞って居りまして申し訳ございません。遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。


年末年始のお休みの際、京都には多くの外国人観光客の方がお越しでした。弊店にお越しの外国人のお客様も多く居られることに、いろいろな意味で驚きを持って見ておりました。
本ブログでもWikipediaにリンクを貼ることを度々行っておりましたが、日本語版以外のWikipediaを見ることは私はそれほど多くありませんでした。ところが先日、ふとしたことからヨーロッパや米国で日本の禅への関心が異常に高いことを知りました。
弊社の寺町本店にお越しいただくと、正面に「安田念珠店」と書かれた大きな書が目に入ります。
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この書は山田無文老師(1900年~1988年)が揮毫して下さったものです。山田無文老師は今年で遷化されて30年の節目の年となりますが、未だに多くの信奉者が居られる偉大な禅僧でした。
私自身は山田無文老師に直接お目に掛かったことはなく、それこそWikipediaの情報やご高著を通してしか存じ上げておりませんでした。
そんな中、英語版のWikipediaの情報を見て、検索した結果山田無文老師の在りし日のお姿が動画で観れることが分かりました。

Zen of Yamada Mumon Roshi

この動画は、「参禅」の様子まで映し出されるというかなり貴重な動画です。
本ブログでよく高僧の方の書をご紹介することがあります。書には揮毫される方の「風格」が現れると言います。この「風格」、簡単に言うと「人柄や性格」といったところでしょうか。
山田無文老師の書は力強い中にも柔らかみがあり、独特な感じを受けます。
欧米ではこうした書が芸術として評価されていることが分かりました。文字を書くことは、その言葉が持つ意味を伝えるだけでなく、何とも言えない力を観る人に与えるのだと感じます。
外国の方々に日本がなぜ仏教と神道を大切にして歴史を歩んできたのかをきちんと説明できるようになることが、念珠を商う弊社の役割なのかもしれない、と思った次第です。
ご興味を持たれた方が居られましたら、山田無文老師の書をご覧にお気軽に弊社の寺町本店にお越しください。お待ち申し上げております。

時の流れ

いよいよ一年が終わりを迎えます。私は個人的に、来年1月に「締め切り」を迎えるものがあり、それに全ての時間を費やしているのが現状です。思い通りに進まない一方で時間が刻々と過ぎて行き、「時間が止まればいいのになぁ。」と思う日々です。
「時間」――これも不思議なものです。人間が作り出したものではありますが、人間がこれに最も拘束されています。
「山中無暦日」という言葉があります。「山中さんちゅう暦日れきじつ無し」と読み下されます。この言葉、「山の中の生活にはカレンダーはないので、月日が経つのを忘れている。」という意味に解釈されるのが一般的です。
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(上の画像の書は京都・正法山妙心寺管長・江松軒こうしょうけん 嶺興嶽老大師様が揮毫なさったものです。)
山の中に住んで、たった一人で自給自足の生活をすれば、確かにカレンダーも要らないのかもしれません。でも現実にはそんなことは難しいですよね。この言葉の大意は「時間に囚われてはいけない」ということを言っているのです。〔ちなみに、この言葉に接すると「何だか特殊相対性理論に通じる話だなぁ」と思ってしまいます。〕
現代社会は気忙しく、皆様方も時間に追われる生活をなさっておられると思います。そんな中で落ち着いて自分を見つめ直すのが大事だとこの言葉は教えてくれているのです。
そうは言っても、人間は時間に囚われてしまう生き物です。時間の流れには逆らえませんが、年末年始の落ち着いた瞬間に自分本来のあり方を見つめ直す機会を持たれても良いかもしれません


2017年は第14回から今回の第63回まで計50回の記事を更新して参りました。私の思うままに書いてきましたので、訳の分からない記事もあったかと思います。毎回色々なご感想を届けて下さって感謝しております。今後共、ご愛顧いただければと存じます。
皆様どうぞ良いお年をお迎えください。