2018 | 春は花 | Page 4

安田念珠店 オフィシャルサイト

春は花

神仏と人を繋ぐ葵

5月もあっという間に終わりに近づきました。
5月というと、京都では葵祭が催されます。京都の風物詩ですね。
葵祭
なぜ「”葵”祭」というかといえば、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の2つの神社の総称である「賀茂神社」の神紋が葵であるからとの理由です。
神話によると、遥か神代の昔に上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は、ご降臨を希った母神の玉依比売命(たまよりびめのみこと)の夢枕に立たれて、「葵を飾り、馬を走らせ、祭を行いなさい。」とのご神託を下されたそうです。そのお告げに従って神をお迎えする祭を行ったところ、賀茂別雷命がご降臨されたと伝わっています。それゆえ、「葵(あふひ)」は古くから神と人を繋ぐ草としてお祀りされているのです。
葵の御紋と言えば、徳川将軍家の「三ツ葉葵」が有名ですが、実は葵の寺紋を用いておられる寺院があるのです。それは信州の善光寺です。
【善光寺 山門】
善光寺1
【善光寺 本堂】
善光寺2
本堂の画像には門幕に立葵の寺紋が見て取れると思います。善光寺がこの立葵の寺紋を用いるのは、創建した本多氏(本田氏とも)が賀茂神社の社家一族だったからだと言われています。徳川家の祖である松平家も賀茂神社の社家一族だったため、葵紋を用いると言われています。
善光寺の御本尊は西暦642年に現在の地に遷座されたと伝わっています。神仏をお祀りする役目を担った社家の人々が神仏と人間とを「葵」でつなごうと考えられたのだろうと、私は想像しています。
葵祭は華やかな衣装に目が行きがちですが、神代から続く神と人とのつながりを現す儀式なのだと、葵祭の行列を垣間見て感じました。

技術の伝承

5月が半分過ぎてしまいました。五月病になっておられませんでしょうか?個人的にはてんてこ舞いな状況で五月病にはなっておりません。


さて、ゴールデンウィークは1日だけ個人的なお休みがありましたので、清水寺へお参りに行きました。
先日ご紹介した西国三十三所の集印軸は弊社の先代が満願した一幅ですが、折角なら私もということで「思い立ったが吉日」、巡礼を始めました。大変な時間が掛かりそうですが、のんびりと続けて行こうかと思っています。
洛陽(京都市内)にも三十三所観音霊場があります。西国霊場の写しで、後白河法皇の際に成立したと言われています。観音信仰は古い時代から続いていたのだなぁ、と感じる次第です。
清水寺
写真の通り、現在「清水の舞台」で有名な本堂は再建工事中です。釘を1本も使わずに多くの参拝者や伽藍を支えている構造を考えた古の人々は実に賢かったと思います。
こうした日本の古からの技術を見るたびに、私はこうした技術が今後も伝承される必要性を感じるのです。現代は何もかもが便利になり、特に機械で色々なことができるようになりました。迅速性の面では機械で処理することは優れているかもしれません。しかし、永く遺すという面においては、脈々と伝承されてきた技術によって為される物の方が優れているように感じます。
若い世代の人々が、日本で伝承されてきた技術の再評価する素地を残すため、弊社も手作りにこだわってお念珠を製造して参りたいと考えています。
雑多な感想ですが、本日は私の所見をお話しました。

「こころ」を豊かに

5月になりました。暑い日が来たかと思えば、涼しい風を感じるような日も来て、春と夏を行き来する日々が続いています。


先日、NHKの「ブラタモリ」という番組を観ていましたところ、銀閣近辺を散歩されていました。この番組の特徴は地形や地層好きのタモリさんが解説をする専門家よりも先に答えを言ってしまうところです。地層好きの私も興味深く拝見していました。
銀閣の中で、足利義政公が生活空間とされていた「同仁斎」で、付書院の前の障子を開けるとそこが「自然の掛軸」のように見えるという解説がありました。自然を部屋の装いの一部として取り入れるという発想が非常によくわかるお話でした。
【建仁寺の付書院】
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【建仁寺の格子窓】
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これを「美しい」と感じるか否かは、各自の心次第です。それが良いとか悪いとかいう問題ではありません。
以前お話を致しました「『こころ』と『おこない』の往復」という考えを踏まえると、いろいろな物や景色を目にすることで、その鑑賞者の「こころ」が豊かになって行くのだと私は考えています。
連休中に各地に赴かれる方も多いと思います。自然を取り入れた日本の美しさを探してみるのも楽しみの1つかもしれません。そして皆様の「こころ」を豊かにして頂ければと思います。有意義な日々となることを願っております。

「三十三」の姿

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言葉の学習をするときは、黙読することも必要ですが、音読することも大事だと言われます。母国語以外の言葉の場合は特に音読は必須であるように思います。お経を唱えたり、聞いたりすることもその一種なのかもしれません。
京都市内に在る僧堂の修行僧(雲水)の方々に弊店のお仏壇に回向をして頂く際、私も雲水さんの後ろに座って経本を持ち誦経を致します。以前は文字を追って声を出し、誦経のスピードに付いていくことに必死でしたが、最近ではお経の内容を考えながら唱えることができるようになりました。
禅宗では『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』、通称『観音経』と呼ばれるお経を読みます。このお経の中で以下のような節があります。
無尽意菩薩。白仏言。世尊。観世音菩薩。云何遊此娑婆世界。云何而為衆生説法。方便之力。其事云何。仏告無尽意菩薩。善男子。若有国土衆生。応以仏身。得度者。観世音菩薩。即現(1)仏身。而為説法。応以辟支仏身。得度者。即現(2)辟支仏身。而為説法。応以声聞身。得度者。即現(3)声聞身。而為説法。応以梵王身。得度者。即現(4)梵王身。而為説法。応以帝釈身。得度者。即現(5)帝釈身。而為説法。応以自在天身。得度者。即現(6)自在天身。而為説法。応以大自在天身。得度者。即現(7)大自在天身。而為説法。応以天大将軍身。得度者。即現(8)天大将軍身。而為説法。応以毘沙門身。得度者。即現(9)毘沙門身。而為説法。応以小王身。得度者。即現(10)小王身。而為説法。応以長者身。得度者。即現(11)長者身。而為説法。応以居士身。得度者。即現(12)居士身。而為説法。応以宰官身。得度者。即現(13)宰官身。而為説法。応以婆羅門身。得度者。即現(14)婆羅門身。而為説法。応以比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷身。得度者。即現(15)比丘(16)比丘尼(17)優婆塞(18)優婆夷身。而為説法。応以(19)長者(婦女身)(20)居士(婦女身)(21)宰官(婦女身)(22)婆羅門婦女身。得度者。即現婦女身。而為説法。応以童男童女身。得度者。即現(23)童男(24)童女身。而為説法。応以(25)天(26)龍(27)夜叉(28)乾闥婆(29)阿脩羅(30)迦楼羅(31)緊那羅(32)摩睺羅伽。人非人等身。得度者。即皆現之。而為説法。応以執金剛神。得度者。即現(33)執金剛神。而為説法。無尽意。是観世音菩薩。成就如是功徳。以種種形。遊諸国土。度脱衆生。是故汝等。応当一心。供養観世音菩薩。是観世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中。能施無畏。是故此娑婆世界。皆号之為。施無畏者。
上の節では観音様が三十三の姿に変化して人々を救う、ということが説かれています。下線を引いたところが三十三の姿です。そういったことから、三十三間堂や西国の札所が三十三か所であったりと、「三十三」という数字をよく耳にするのです。
今年は西国三十三所の霊場が草創されたとされる年からちょうど1300年の節目の年です。いろいろな姿に身を転じて私たちを救って下さる観音様は、実は自分自身のすぐ傍に居る人や物なのかもしれないと思いを馳せ、周りの人や物に親切・丁寧に接していくことが大事なのだと思います。


「西国三十三所 草創1300年――いまこそ慈悲の心を――」
公式ホームページ: http://www.saikoku33-1300years.jp/

準備の大切さ

桜の季節は終わりました。藤の花の季節に向かいます。
今週の火曜日(4月17日)、私は花園大学の公開講座に赴きました。そこで、花園大学の総長を務めておられる横田南嶺老大師様のご講義を拝聴しました。(詳細はこちらをご覧ください。)
大学の新入生へ向けてのお話でしたが、私にとっても大変有意義なお話でした。その一部から、私の感じたことを綴りたいと思います。
桜は4月初旬前後に満開を迎え、見ごろとなります。この時期になるとピンクの花を目当てに多くの方が花見をされます。しかし、桜は花が散った後もずっとそこにあり、来年の花を咲かせるために準備をします。
僅か1週間足らずの花を咲かせる為に、約1年もの準備期間を設けるのです。1年は約52週間ですから、51週間は準備期間なのですね。
こう考えると、どれだけ準備が大切なのかが分かります。準備には時間が掛かるけれども、見事な花を咲かせるにはそれが必要なのだと。
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上の画像は、先立ってご紹介した弊社の近くの桜の今日の様子です。今はその「準備期間」に入っています。
兎角スピードを要求される時代ですが、しっかりとした準備こそが見事な結果を産み出すのだということが実によく分かるお話でした。
(上記の内容は、老大師様のご講義の主たる内容とは異なります。)
何事にも「準備」をしっかりとして臨んでいきたいと感じました。

教えを繋ぐ

人間は多くの人に「出逢い」、教えを受けることで成長するのだと思います。人との「出逢い」は面会するだけではなく、時代を超えて、場所を超えて、手紙や書物を通してでも「出逢う」ことができます。


弊社は多くのお寺様とのお付き合いをさせて頂いております。そしてお寺様にはそれぞれに機関紙があります。いろいろなお寺様のいろいろな機関紙を日々拝読し、現在の仏教の教えや高僧の方のお話などを私は知り得ています。
そんな中で、昨年9月に妙法院門跡(三十三間堂本坊)様の発行される機関紙『蓮華』93号に接しました。『蓮華』93号には昨年9月に御門主を退任された菅原信海大僧正様揮毫の色紙「無」が読者プレゼントとして掲載されていました。私はその読者プレゼントに応募し、運良く当選したのです。
「無」という字は、仏教的にみると「人間の根源」を表すものと捉えられることが多いです。ただ、漢字に馴染みのない国の方の中にはこの「無」という字のくずし字を十字架に捉える方も居られるのです。
「無」を十字架に捉えるという話を聞いてから、私はこの書を大切にしなければと思い、掛軸に表具をする依頼をしました。
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先日、その表具が出来上がってきました。(上の画像をご覧ください。)
揮毫して下さった菅原信海大僧正様とは今年の2月に幽明境を異にすることとなってしまい、直接ご覧いただくことは叶いませんでした。
ですが、この「無」という字、仏教者の書であってもキリスト教を信仰する人にも理解して頂ける書であると感じています。
心のお広い大僧正様のお人柄を感じさせる、宗教の別を超えた立派なものとなったと私は個人的に喜んでおります。
人と人との「出逢い」はこのようにして後世の人々に教えを伝えていくのだなぁ、と感じた1週間でした。

感謝する心

4月になりました。新年度を迎えて、環境の変化があった方も多く居られることでしょう。
桜の季節に併せて4月8日は降誕会(ごうたんえ)というお釈迦様の誕生日のお祝いがあります。一般的には「花まつり」として知られています。
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仏教の教えは宗派などによって少しずつ異なります。その違いは「解釈」の違いなのでしょうが、そもそもお釈迦様が説かれた御教えの根本は何なんでしょうか?
これが分かれば得道者になれそうです。個人的には、この答えが知りたくて仏典や仏教書を読むことが多いのです。
各宗派の教えを読んでいて感じるのは、やはり日本の伝統的な教えが仏教の根本ではないか、ということです。すなわち、「孝行をしましょう」とか「人にやさしく」とか「物を大切に」といった極めて当たり前のことです。
例えば、同じことを人に伝える場合でも、「コラァ!」と言ってから伝える場合と、「いつもありがとう」と言ってから伝える場合とでは受け手としても後者の方が受け入れやすいのです。
私自身の胸に手を当てると、感謝の気持ちを持って人に接することが果たしてできているのだろうか、と思うことがあります。ただ、済んだことは済んだこととして、これから感謝の気持ちを持って人に接していくことが本当に大切なことなのだと感じます。
多くの人に支えられて今を生きているのだと、感謝しつつ、人と接していくことが何より大事なことであり、それを説かれているのが仏教ではないかと思うのです。
降誕会を目前にして、人との接し方について考えて頂く機会を持たれると幸いです。

桜花爛漫

3月はあっという間に過ぎてしまいました。今日は3月の最終日です。昔の暦では1~3月が「春」ですから、暦の上では今日で春が終わりということになります。
この数日で一気に温かくなり桜が咲きました。もう満開というところもいくつもあるようです。
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弊社近くの桜は上の画像のように綺麗に咲いています。本当にうららかな良い季節ですね。


このブログでは、仏様の教えについて今までいろいろとお話して参りました。桜やいろいろな花を目の当たりにすると、花が咲いている美しさを「美しい」と感じる心こそが肝心なのだなぁと思います。どんなに立派な教えでもその教えを受け取る人がどのように考えるか、ここが一番大事なところなのだと思いました。
この1か月、私はいろいろな方とお話をする機会がありました。人の数だけ受け取り方もあるのだと感じ、伝える方法をよくよく考える必要があると思うに至りました。
大きくは変えることはできないと思いますが、今後はより伝え方を工夫したブログにして参りたいと存じます。
ご指導ご鞭撻を賜れれば幸いです。

お念珠のメンテナンス

寒い日があったり、暖かい日があったりと、正に三寒四温の季節です。
昨日はお彼岸の入りでした。お墓参りに行かれた方も多く居られるのではないでしょうか?もしかすると、引き出しに仕舞っておられたお念珠を久しぶりに出して、お墓参りに行かれる方も居られるかもしれません。
私はほとんど常にお念珠を携帯しています。祖父が私に授けてくれたお念珠で、私は「お守り」だと思って、常に持っています。
お念珠は糸で珠を繋いでいます。ですので、勿論のことですが時間が経てば糸が緩んできます。
00072 before
上の画像の念珠は私の念珠です。糸を締め直してから約半年ほど(5ケ月)経過したもので、主珠(木の材の珠)1個分くらいの緩みが出ています。このくらいの緩みが出てきたらそろそろ糸の締め直しの時期だと考えて頂いて構いません。
締め直したものが、下の画像の念珠です。
00072 after
石の材の珠を使ったお念珠は、多くの場合石と糸が接する部分が時間と共に擦り減っていきます。そして、どうしても糸が切れてしまうのです。1枚目の画像のように、主珠1個分の緩みが出た段階で弊社へお持ちいただければ、突然糸が切れた際に生じる珠の紛失などがなく、皆様の大切なお念珠をいつまでも使い続けて頂けます。
どんなお念珠でも、皆様各自の「念」の入った大切なものですから、同じものを長く使い続けて頂きたい―――この私たちの願いは、定期的な糸の締め直しによって実現することです。
お彼岸やお盆など、お念珠を使われる機会に、ご自身のお念珠のメンテナンスを考えて頂けると幸いに思います。

”外”に伝える

先日、アメリカからやって来た友人と話していて、日本の文化などを説明するのに苦労しました。「佗とは何か?」などと聞かれて、『山上宗二記』や武野紹鷗の『佗の文』のお話をしましたが、よくわかってはもらえませんでした。私の語学的な問題もあったでしょうが、日本語であっても十分に説明できるのか分かりません。
京都には外国人観光客の方が多くお越しになります。日本にお越しになる方は、それだけで日本に興味を持っておられることが分かります。「日本らしさを求めて京都を散策されているのだろうなぁ。」と傍から眺めて感じております。
そんな中、最近では外国人向けの茶道体験の教室が多く存在しているようです。私も1度だけ顔を出したことがありますが、日本人よりも外国の方々の方が相当「日本らしさ」を体現しておられるように感じました。
こうした需要の高まりからか、外国人向けの茶道英会話文集が出版されました。見開きの右側には日本語、左側には英語といった体裁になっています。会話文なので、読み易く、茶室へ実際に行ったような感覚になる本でした。
枯山水
日本に関しての注目が高まっている中で、私たち日本人が「日本」について十分に理解し発信できる能力を身に付けていくことが重要なことなのだと感じた1週間でした。

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外国人に茶道を伝える英会話例文集

著者:高橋絹子・新崎隆子 
出版社:淡交社
発売日: 2018/03/10
メディア: 単行本(ソフトカバー)
参考URL:外国人に茶道を伝える英会話例文集
(淡交社)

 

安田念珠店

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