念珠の功徳 | 春は花

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念珠の功徳

近畿地方に台風が襲来したと思えば、今度は北海道で地震です。皆様、ご無事でしょうか?


念珠はお祈りの道具ですが、そこにどういう意味があるのか、疑問に思うことは多いのです。インターネットで「数珠の功徳」などと調べるとお念珠を取り扱う多くのお店が同じ説明をしておられます。いろいろなページを読んではいましたが、出典が不明で、時間がある時にちょこちょこと調べていました。今回は仏様が説かれたお念珠の功徳についてお話しようと思います。
弊社も「念珠の話」と題して、ポケットサイズのリーフレットをお配りしています。その中でも一部を紹介していますが、「佛説木槵子経(ぶっせつもくげんじきょう)」というお経が『大蔵経(だいぞうきょう)』という大きな経典の中に収録されています。以下にその原文と私の現代語訳を載せます。原文は国立国会図書館デジタルコレクション掲載のこちらを出典としています。
【原文】
佛説木槵子経
時難國王名波流離來到佛所白佛言世尊我國邊小頻歳寇賊五穀勇貴疾病流行人民困苦我恒不得安臥乃至唯願世尊特垂慈愍賜我要法使我日夜易得修行未來世中遠離衆苦
佛告王言若欲滅煩悩障報障者當貫木槵子一百八以常自隨若行若坐若臥恒當至心無分散意稱佛陀遠摩僧伽名乃過一木槵子如是漸次度木槵子若十若二十若百若千乃至百千萬若態滿二十萬遍身心不亂無諸詔曲者捨命得生第三燄天衣食自然常安楽行若復能滿一百萬遍者常得斷除百八結業始名背生死流趣向泥洹永斷煩悩根獲無上果


【現代語訳】
時に難陀国の国王は波流離[毘瑠璃王]という名で、お釈迦様の所へ来てこのように言いました。「お釈迦様、私の国は辺鄙な場所にあり、小さな国です。外敵の侵入や盗賊が頻発します。そのため五穀は実らず、疾病も流行し人民が困苦しています。私はいつも安心して眠ることができません。私の願いはただ、お釈迦様からの特に慈しみと憐れみをお願いし、私に必要な仏の教えを授けて頂くことです。私は日々修行を行い、未来の世界において民衆が苦しみから遠く離れるように願っております。」
お釈迦様は毘瑠璃王にこう告げました。「もし、煩悩やこの世の障害を無くそうとしたいのであれば、木槵子を百八珠繋いで、いつもそれを当然に身に付けているべきです。歩いている時も、坐っている時も、横になっている時も、常に仏を心の底から信頼し、帰依し尊重する心を無くすことなく、仏法僧の三宝を称賛するごとに、木槵子の珠一つを繰るべきなのです。この通り、だんだんと木槵子を用いて仏の名を呼ぶ[念仏を唱える]と、それが十回、もしくは二十回、もしくは百回、もしくは千回、もしくは百千万回、もしくは二十万回充分に唱えれば、心と体が乱れることなく、諸々の迷いや苦しみはなくなります。命を落として、炎天地獄に行った場合でも、このように現世で念仏を唱えていれば、衣食や環境に困ることはありません。もし、百万回念仏を一生懸命に唱えることができたなら、百八ある悪行の報いを除き、断ち切ることができます。こうすれば、はじめは生死の流れ([訳注]仏の教え)に背き、泥水([訳注]地獄)へ向かう様子であった人も煩悩の根源を永遠に断ち切って、この上ない果実を得ることができるのです。」
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このお経は、「念珠の功徳」というよりは「念仏の功徳」を説いているように感じます。ただ、常に念珠を持って、それによって念仏を唱える気持ちを持つことが大事なのだ、ということが分かります。ここで言う念仏とは「仏の名を念じること」であって、それが「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも「南無観世音菩薩」でも「南無薬師瑠璃光如来」でも構わないのです。
ここに登場する毘瑠璃王という国王は、お釈迦様の生まれた釈迦国を滅ぼした国王です。そうした事情を知ると、複雑な気もしますが、どんな人であっても仏を名を念じることが大事で、それを百万遍、二百万遍と行えば生きていく上でのこの上ない果実を得られるのだと教えてくださっています。
百八珠のお念珠でなくとも、皆さんが今お持ちのお念珠をいつも携えて、「仏の名を念じる」気持ちを持っていただけることが念珠を扱っている弊社としては無上の喜びです。
今回は、念珠の功徳についてお話しました。

※このブログは、多くの方々に念珠、仏教、京都に関心を持って頂くことを目的として、週に1回程度の頻度で更新して参ります。

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