みな泥を冠った仏である | 春は花

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みな泥を冠った仏である

明日、12月8日はお釈迦様が悟りをひらいたとされる日です。それに因んで「成道会(じょうどうえ)」という法要が仏教寺院では行われます。禅宗の修行道場では12月1日から12月8日まで1年で一番厳しい臘八大攝心(ろうはちおおぜっしん/ろうはつだいせっしん)が行われています。
毎年この時期になると「お釈迦さまは悟りをひらかれた」というお話を聞き、お釈迦さまはすごかったのだなぁと思うのですが、皆様はお釈迦さまがなぜ悟りをひらけたのだと思われますか? ただただすごいお方だった、という一点ではないと思います。勿論、たくさんの苦しい修行もなさったこともあると思います。
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(上の画像の書は、京都大原・魚山三千院門跡・堀沢祖門門主様がご揮毫なさり、千眞工藝謹製の「2018年 一隅を照らそう染筆日暦」に掲載されたものです。)
私は、上の画像の書「誰もが仏 泥をかむった佛さま」という言葉を最近はじめて目にし、何か納得するような気がしました。ここでいう「泥」とはすなわち「煩悩」のことです。つまり、上の画像の書が言っていることは「人は煩悩を持っているが既に仏(泥仏)なのだ」ということです。
お釈迦さまは私たちが冠っている泥を払いのけることができたのです。この泥を払い除けるには、自らが「泥仏」であることに”気づく”ことが何よりも大事なのです。お釈迦様が悟りをひらけることができたのは、この”気づき”があったからだと私は想像しました。
様々なことに”気づく”ことは本当に大切なのです。
”気づき”が大切なことを教えてくれる詩はこちらをご覧ください。
自らに可能性があることに気が付いて、自分の与えられた課題に一生懸命に取り組んでいく。老若男女誰もが実践できることであると感じました。

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