今日も暑さの中で「風」を感じました。6月の「風」は、「茶」を啜りながら感じる「松風」です。これは「萬壑松風供一啜 (ばんがくのしょうふう いっせつにきょうす)」が出典の「風」です。

(上の画像の書は、愛媛宇和島の玉鳳山大乗寺の露香室・河野徹山老師様ご揮毫の書です。)
本日は『聖書』のお話をしようと思います。
『旧約聖書』の「創世記」という部分に出てくるアダムとエヴァがエデンの園という楽園から追放される神話をご存知の方は多いと思います。アダムとエヴァは神に楽園から追放されてしまいます。追放された理由は、アダムとエヴァが楽園に生えていた“知恵”の木の実を食べてしまったというものです。“知恵”が罪と捉えられているのです!
『旧約聖書』では、人間はすべてこのアダムとエヴァの子孫ですから、人間は皆この罪を背負って生きている、ということとなります。人を殺したり、物を盗んだりすることで負う罪は自分自身が犯した罪ですが、“知恵”の木の実を食べた罪は自分自身で犯した罪ではないので「原罪」と呼ばれています。人間である以上逃れることのできない罪です。
この神話の世界を離れて、現実の私たちに当てはめて考えてみましょう。何かに思い悩んでしまい、「もうこんなことを考えるのはやめよう!」と思っても、どうしてもそのことばかりを考えてしまう。皆様もこういった経験をお持ちではないでしょうか?私は1つのことをクヨクヨ思い悩むことが多く、自分で自分が嫌になってしまうことがあります。
そんな時に、小鳥のさえずりや蝶や動物などが自由にしている様子を目にすると、うらやましく感じることがあります。思い悩んだりしない動物の方が幸せなのではないか、と考えてしまうのです。こう考えると、やはり“知恵”は罪なのだと思います。
最近は科学技術の発達で便利なものがたくさん出てきています。しかし同時に、それに伴う問題もたくさん出てきています。一昔前、“知恵”は高貴なものでしたが、今では“知恵”が本当に高貴なものなのか疑問を持たれています。
「風」などの自然を感じながら「茶」を啜る。このような、自然と一体となることが私たちにとって今一度大切なのことなのではないかなぁ、とふと感じた一週間でした。