春は花 | 念珠のこと、仏教のこと、京都のこと

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春は花

葛川息障明王院

コロナウイルスの影響が色々な所で出ています。
夏の風物詩である葛川夏安居(かつらがわげあんご)という修行の期間があります。行者様方は比叡山麓の坂本から葛川息障明王院(かつらがわそくしょうみょうおういん)まで徒歩で向かわれ、約1週間のお経の集中お稽古をなさいます。(詳しいことは葛川息障明王院のHPを参照。)
この葛川夏安居が本年は中止となりました。多くの行者様がお集まりになることを考えれば、感染の危険性が高いと言えますが、少し残念です。
近畿三十六不動尊霊場をお参りしているので、昨年の大晦日でしたが、葛川息障明王院さまへお参りに行きました。
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御本尊様は千手観音さま、脇侍に不動明王さまと毘沙門天王さまがおられます。雨が降っていた日ですし、年の瀬でしたので、参拝者は私だけでした。(御本尊さまについては詳しくは葛川息障明王院のHPを参照。)
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観音さま、お不動さま、毘沙門さまと近時お参りしている仏様が一堂に会しておられ、個人的には大変感動しました。ひっそりとしたお堂に立派な仏様が鎮座されていることに感動を覚えたのです。
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参拝を終えた後、駐車場からお堂の方面を見ると霧がかかっていました。こうした歴史ある場での伝統的な修行が目に見えぬウイルスで中止になったことは本当に残念です。来年は本来の形で実施されるようにお祈りしています。

般若心経と仏様の教え

一部地域では緊急事態宣言が解除されました。第二波が襲来しないように予防しながら生活を何とか平常に戻していければと願っています。
「外出自粛」という状況の中でインターネットを通じた法話を配信している寺院が多くあります。私が何度か法話を拝聴した経験がある真言宗須磨寺派須磨寺副住職の小池陽人(ようにん)和尚様が、ここ最近は毎日ウェブ法話をアップロードされておられます。5月に入ってからは「般若心経」について毎日少しずつ解説をして下さっています。
5月15日までの全9回に亘って般若心経を解説して下さっています。本文は266文字の短いお経で多くの宗派で読誦されます。内容については掲載した動画をご覧いただければ良いと思います。
私はお唱えする機会が結構多いですが、いろいろなお寺にお参りしてみると宗派によって少しずつ違うことがあります。


・タイトルについて
多くの宗派:「摩訶般若波羅蜜多心経」
真言宗:「佛説摩訶般若波羅蜜多心経」


・読み方について
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多」の部分
多くの宗派:「かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみた」
禅宗「かんじーざいぼーさー ぎょーじんはんにゃはらみた」
「呪即説呪曰」の部分
多くの宗派:「しゅうそくせつしゅうわつ」
禅宗「しゅーそくせーしゅーわつ」


ちょっとした違いなのですが、大勢の参拝者の方々と一緒に読誦する際に一人だけ違うと目立ちます。
般若心経だけでなく、光明真言でも少し違いがあります。


・光明真言
天台宗:「オン アボキャ ビロシャナ マカモダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」
真言宗:「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」


これは日本語へ導入した際に訳者に応じて生じる音の誤差の問題であると理解しています。意味は同じです。
宗派の違いによっていろいろと違いはありますが、だからといって説かれていることに大きな差があるとは思いません。
自分がこの世に生を享けたことに感謝する、そして親や隣人を大切にしましょう。
私はこれに尽きると思っています。仏様の御教えというのはそんなに難しくはないのです。いろいろなことを学びながらも、日々命や自然に感謝することを忘れてはならないなぁ、とウェブ法話を視聴しながら感じました。

阿弥陀様の前での般若心経

自宅で過ごす時間が増えると、今まであまり観ていなかった動画を観る時間ができました。
私はいろいろなお寺をお参りした際にお堂の内部は「撮影禁止」とあるので、お堂内部はあまり撮影することはありません。私が一番多くの回数お参りしているのは弊社本店の前の誓願寺様です。このブログでもご紹介したことがあります。
誓願寺様には御本尊として大きな阿弥陀坐像があります。阿弥陀様の見つめる先に六角通があり弊社本店があります。この阿弥陀様を本ブログで紹介したいという気持ちは前々からあったのですが、実現できていませんでした。
今回、いろいろと動画を観ていると誓願寺様の本堂で音楽に合わせて「般若心経」を唱えられている動画を発見しました。
唱師は薬師寺寛邦様という臨済宗の僧侶の方でした。誓願寺は「落語発祥の地」ということで最初に「寿限無」を取り入れておられます。
アップロードされてから約1週間ですが、既に再生回数が7万回ほどということです。般若心経を普通に仏前でお唱えすることももちろん大切なのですが、このように現代音楽に合わせてお唱えする、そしてそれを世界に向けて発信するということは素晴らしいことだなぁ、と思いました。
誓願寺の阿弥陀様の大きさや素晴らしさを体感できる良い動画だと思います。こんな時期だからこそ、人々の安寧を願いながらこういう動画を観るのも意義ある時間の使い方なのではないか、と思いました。

「祈り」を信じて

春爛漫の季節です。昨年の5月1日は「令和」へと元号が変わり、御代替わりを目撃した1日でした。それから1年、こんな状況に日本が陥っているとは夢にも思いませんでした。
御即位を記念して、多くの寺院では「秘仏御開帳(普段は厨子の中に収められている仏様のお姿を拝見できる期間)」が行われる予定でありました。
【石山寺】
【紀三井寺】
【三井寺】
”33年に1度”など次回の御開帳までにかなりの期間が空きますので、是非ともお参りに行きたかった寺院です。ただ、感染拡大が続く中で、こうした秘仏にお参りできなくなりました。残念でなりません。
しかしながら、それ以上に多くの寺院では「コロナ禍が早期に終息するように」お祈りをして下さっています。大変ありがたいことです。
【高台寺】
【金峯山寺】
【円覚寺】
【慈眼寺・塩沼亮潤大阿闍梨】
【醍醐寺】
人類と病は長い間、闘ってきました。そして、その闘いの度に祈りが捧げられてきました。「『祈った』からといって病気が治るわけではない!」と言われればそれまでなのですが、人それぞれに宿る「心」の平安こそが社会の安定につながるのです。私はそう信じています。
自宅に居ても、一瞬で良いから手を合わせてお仏壇、もしくは太陽に向かって感謝の祈りを捧げる、これこそが宗教の原始的な形であり、その形を見直す良いきっかけになると私は信じています。
「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」との言葉通り、これだけの事態は将来の何か良い結果をもたらしてくれるための布石だと信じて毎日祈れればと思います。

見えないけれど祈っておられる

日に日に恐怖心が強くなる今日この頃です。大変な時代を我々は経験しています。
更新をしばらくお休みして申し訳ございませんでした。自宅にいるものの、それでもやるべき事は沢山あり、疎かになってしまいました。
京都の祇園祭の山鉾巡行が中止というニュースに接しました。祇園祭は「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」という名称で古くは呼ばれていました。名前の通り、「御霊」つまり「疫病をもたらす神や疫病による死者の怨霊」を鎮めるために始まったお祭りです。「このような時期だからこそ」という思いはありましたが、やはり感染拡大防止のためには致し方無い判断だったと首肯いたします。
御霊を鎮めるという意味では、比叡山延暦寺が京都に住む者にとって極めて大きな意味を持つ寺院です。「鬼門(艮:丑寅)」の方位は鬼(魔)の出入りする方位と昔から考えられており、その鬼が都に入ってこないように平安京の東北に比叡山延暦寺はあります。
比叡山延暦寺は「鎮護国家(ちんごこっか)」、つまり「国家を守護すること」を大きな目的として長年存立してきました。延暦寺が所領を得ていたのも安定した財源を確保し、それによって「祈り」に集中することが当初の目的でした。ただ、「祈り」に集中せずに武器などを持って「僧兵」となった者もおりました。そして所領を有していたことで時の為政者に反発・抵抗することが頻繁にありました。織田信長の比叡山焼き討ちというのも、こうした反発・抵抗に対する報復措置だったと私は捉えています。
鎮護国家
現在では、比叡山延暦寺において日々僧侶の方々は「鎮護国家」を祈っておられます。特に、千日回峰行を満行された大阿闍梨様たちは比叡山から京都に向かってお祈りを捧げて下さっておられます。回峰の道にある「玉体杉(ぎょくたいすぎ)」という杉は唯一腰掛けることが許された場所として有名です。ここからは京都を一望でき、京都に向かってお参りするには最適な場所だと思います。
玉体杉
しばらくの期間は拝観停止の為、私自身がお参りに伺うことはできそうにありません。しかしながら、私たちが見えない所であっても比叡山の僧侶の方々は日々「鎮護国家」、現在の場合ですと「コロナウイルスの早期終息」を強く念じてお祈りしてくださっておられます。こうしたことに感謝をしながら、私は毎日比叡山に手を合わせております。
何とかこの「見えない敵」を退散させるべく、場所は離れていても皆様で心を一つに念じていきたいと感じております。皆様のご健康が安らかであることを祈っております。

身近なことから

先が見えない情勢になってきました。家に居るのは別に苦ではない性分ですが、気候は本当に良い季節です。
散歩程度の外出はしています。近くへ行くと本当に綺麗な桜が咲いていました。
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新型コロナウイルスさえなければ本当に最高の季節ですね。
もう全員が感染者だと思って行動するしかない状況です。命が一番大切です。皆さんが何とか命を守り、心の底から桜が綺麗と思える来年を迎えられるようお互いに身近なことから予防していきましょう!

集中するということ

危機意識が世間的に高まってきました。自宅で過ごすことがもっと多くなりそうです。
家に居て「集中」して物事に取り組める好機ではあります。しかしながら、この「集中」というのはなかなか難しいものです。私などはかなり気が散るタイプでなかなか集中を持続するのは難しい性分です。
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人の集中力はせいぜい40分くらいが限度と言われます。昔の人は線香の燃焼時間で時間を計っていた場合が多くありました。現在でも坐禅をする際に線香1本が燃え尽きるまでの時間「一炷(いっしゅ)」を目安として坐禅が為されます。
道を究めた高僧の方のお話を伺うと「線香の灰が落ちる音が聞こえた」と仰る方も居られました。どんな音がするのでしょうか?私には到底想像もつかない境地だと思い、驚く以上に尊敬の念を持ったのを覚えております。それからは「集中」という言葉はあまり使わないようにしています。究極の集中状態を体験したことがない私が「集中」などと言っても低レベルなものに過ぎないと思うからです。
まぁ、ここまでの集中状態に達することができる方は数えることができるほどだと思います。ただ、他者ができることが自己にできないわけがない、という考えもあります。極限状態とはいかなくとも、落ち着いた気持ちで物事に取り組まれ、良き成果が出ることを祈っております。
平生を取り戻すべく、一刻も早い疫禍収束を願います。

今が大事

新型ウイルスが世界を席巻する毎日です。今週は特に世界が動きました。動きが取れない中で何をすれば良いのでしょうか?
自宅でできること、旅先でできることが違うように、平常時にできること、そして非常時にできることは実は違います。具体的に何をすれば良いのかは結構難しいのですが、各人が心と体を落ち着かせて何かに取り組むことができる絶好の機会だと思います。
【建仁寺派管長 小堀泰巌老大師様揮毫の「即今只今」】
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「即今只今(そっこんただいま)」という言葉があります。「今、この瞬間を一生懸命に生きましょう!」という意味の言葉です。簡単そうでかなり難しい言葉です。人間は過去や未来のことをあれこれと考えてしまいます。予定を立てて行動することは大切ですし、過去を振り返って反省することも大切です。ただ生きているのは「現在、この瞬間」だけなのです。これは分かっているようで分かっていないことです。「まぁ明日があるか。」と思ってしまってダラダラと過ごしてしまうことが私にはよくあります。こういう怠け癖のある私には「即今只今」との言葉は身に沁みます。
先日旅立たれた円覚寺の栽松軒 足立大進老大師様にも『即今只今』という題のご著書があります。「今、今日一日が足りれば幸せ」であるという教えが随所に鏤(ちりば)められています。人はあれもこれも求め過ぎるんですね。外部世界と少し隔絶した状態で「今、この一瞬」を見つめ直すことは人生の中で大切なことだと思います。しかし、そうした時間はあまり多くはとれません。これを好機と捉えるのが得策のように私は考えます。
「いつやるの?今でしょ!」という言葉が少し前に流行りました。あの言葉は実は禅の教えにも通じる深い言葉だったのだなぁ、と感じます。今しか出来ないことを見付けて一生懸命に取り組まれることを願っています。

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即今只今

著者:足立大進 
出版社:海竜社
発売日: 2009/08/01
メディア: 単行本(ハードカバー)
参考URL:http://www.kairyusha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-7593-1080-1.html
(海竜社)

 

「見えないもの」を感じる

前回、「見えないもの」のお話をしたので、その繋がりで気になっていたことについて今回は書きたいと思います。
「見えないもの」のもっとも身近なものは何でしょうか?私は”風”だと思います。風は気持ちがいい「そよ風」などもありますが、人々を困らせる「強風」、「台風」もあります。「風を感じる」などと聞くこともありますが、私は”風”と言うのが何なのかあまりよくわからないでいます。
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昔の話ですが、学生の頃に一人で夜中に山寺で座禅をしたことがありました。合宿に行って、いろいろな修錬を積んだ中での経験です。それまでは至る所で落ち着きの無い動きをしていましたが、その夜座は清々しい気持ちを私に与えてくれました。
鳥も啼かない夜でした。月の明かり以外は何もありませんでした。お堂の周りは月明かりで明るいですが、それ以外は真っ暗なので、当初はその暗闇から何かが襲ってくるのではないか、と思って夜座をすることをためらっていました。合宿3日目の夜に夜坐へ向かい、時間は分かりませんがしばらく座っていました。
その時に初めて”風”を感じました。疲れていて思考能力が低下していたこともあったかと思いますが、何も考えず、眠りの一歩手前の状態でした。ただ体に受ける”風”しか感じませんでした。
当然と言えば当然の話なのですが、いつもは風向きや強さ等あまり気にせずにいる”風”の繊細な強弱や流れの変化を肌で知り、なんだか凄いことを知ったような感覚でした。今でも”風”というものを感じようとしますが、「あれをしなきゃ!」とか「こうしてないと叱られる!」とか様々なことを考えてしまい、”風”を感じる気持ちが失われています。
「見えないもの」を感じる・知るのはやはり”心”・”気持ち”なのだと思います。株価の急落と言うのは人々の不安という気持ちが表れたもののように思います。人は世事に引っ張られてしまうのだ、それに惑わされない強い気持ちを持つことが必要だが、それが難しい、ということを強く感じた1週間でした。

「見えないもの」を知る

世事騒々しい1週間でした。人類はウイルスという「見えないもの」と闘っております。
今週の月曜日(3月2日)に円覚寺派前管長の栽松軒 足立大進老師様の遷化の報に接しました。世間がウイルスで騒がしい閏日に示寂されたとのことです。お弟子様で円覚寺派現管長の青松軒 横田南嶺老師様のブログ(その1その2その3)を拝見しておりますと、このウイルス騒動の影響で様々なご予定が中止となり、幸いにも栽松軒老師様の最期、そして通夜の後の一夜をご一緒なさることができたそうです。「終わり良ければ総て良し」ではないですが、人の最期はやはりその方のお人柄や人生を現すものだと思います。日本中を飛び回っておられるお弟子様思いの最期の迎え方だったなぁ、と私は感じました。
私は栽松軒老師様にお目に掛かった経験はありませんが、出版されているご著書はすべて拝誦しておりましたので、ご高著を通じて教えを賜っておりました。遷化の報を受けた後、弊社の中で話をしておりましたところ、弊社社員の中には嘗てお目に掛かった経験がある者やお修理をお預かりした者も居りました。私の知らないところで御縁があったのだなぁ、と思いました。
さて、栽松軒老師様の教えで特徴的な教え、というか私が一番最初に思い浮かぶのは次の詩です。
【円覚寺発行の朱印帳の最初のページに印刷されたものです】
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世の中には「見えるもの」と「見えないもの」があります。「見えるもの」は目で見ることができますから問題ありませんが、「見えないもの」は存在を確認しなければなりません。電波や放射能、そして今話題のウイルスも機器を通じて存在を確認できます。問題なのは”心”です。
”心”というのは存在することは分かっていますが、物理的に存在を確認することはできません。嫉妬心、猜疑心、虚栄心といった心はできるだけ小さくしたいものですが、昨今のトイレットペーパー不足の報道を見ると、人がこうした”心”を小さくすることがどれだけ難しいことなのかを思い知らされます。
しかし、そうした”心”もいつもそういう状態ではなく、「花や月が美しい」と感じる”心”となることが可能なのです。仏教では「絶えず心に観音様を描き、祈り続け、智慧と慈悲の心で生活しましょう。そうすれば観音様の大いなるお慈悲を知ることができます。」と説かれます。「絶えず」というのはなかなか難しいのですが、「花や月が美しい」と一瞬でも思える”心”を自分は持っているのだと自信を持つことが大事なのではないか、と私はこの詩を見ていつも思います。
室号の通り、栽松軒老師さまは松を栽(う)えられ、その松は青々として寿色が多いように私は眺めております。ご冥福をお祈り申し上げます。

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