「十代目の部屋」コラム2 ‐ 天和3年(1683年)創業の安田念珠店

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第2回 お経について ~般若心経より~
お寺へお参りすると、必ずお経を耳にします。お経はほとんど全てが漢文の音読で、その独特の調子は、慣れてくると聴いていて心地よいものです。しかし、その意味は我々一般の人間にとってよく分からないものです。

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現在、いろいろな宗派で漢文のお経を訓読し、意味を理解しながら読もう、という動きが広がっています。
それでも、独特の仏教用語を理解し、そのお経の意味を全て理解することは、我々にとって至難の業です。今回はその中の一つ、般若心経について取り上げてみたいと思います。

般若心経はほとんど全ての宗派でよく読まれるものなので、聞いたことがある方も多いと思います。この般若心経には仏教思想の全てのエキスが詰まっていると言われています。 その中に、

色不異空  空不異色  色即是空  空即是色

という言葉があります。
岩波文庫 『般若心経 金剛般若経』(中村 元、紀野一義 訳註)は上の16文字を次のように訳しています。

「この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。(このようにして、)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。」

(前掲書11頁)

この訳は以下のように解釈できるのではないでしょうか。

物質的存在としてだけの自分を捉えるならば、それは只の木偶の坊に過ぎない。しかし自分という存在は只単に物質的に捉えるのではなく、時間的、空間的、遺伝的なあらゆる因縁の上に存在するものと捉えるべきものなのである。

この解釈が絶対的に正しいとは言い切れないですが、上の16文字の中に仏教(大乗仏教)のものの見方が見事に表れていると思います。

今や、仏教は死者の弔いの為だけに存在するかのように感じてしまいがちですが、そうではないことがこの般若心経の16文字から感じられます。仏教は、如何に生きるか、という哲学なのです。私達は日本文化の大きな財産としての仏教文化をもう一度見直すべきではないでしょうか。

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